2008年04月05日(土)
  「求めよう」

Aさん「傷つけられた人がいて、その人を赦せます
ように、愛せますようにと、祈れないんですよぉ。

何で祈れないかというと、仕返しできなくなるか
ら(笑)本音は仕返ししたくて、やっつけたくて、
報復したいんですねえ。」

「罪の性質、古い性質、肉はその通りだ。
ちょっと傷つけられても、何倍にもして報復した
いし、やり返したいんだよねえ」

「自分は赦したくなくて、愛したくない。赦せな
い。できないことはわかって、できないまま状態。

そんな時、“求めなさい。そうすれば、与えられ
ます”の御言葉が来て、できないまま、でも、
全然神様に求めてない自分に気づかされた。

赦せるよう、愛せるよう、神様に“求めよう”との
思いが与えられて感謝でした。そうできるように、
神様に、自分を明け渡しました。」

「ほんと、良かったね。感謝。神様がして下さ
る」と、何やかんや話していて、

丁度、その後の集会での御言葉が、長老、祭司
長、律法学者たちが、イエス様をピラトのもとに
連れて行き訴える箇所だった。

「そして、イエスについて訴え始めた」
「しかし、彼らはあくまで言い張って」
へロデのもとへ送られた後も、
「立って、イエスを激しく訴えていた」
「彼らは声をそろえて叫んだ。この人を除け」
「彼らは叫び続けて、十字架だ、十字架につけろ」
と叫んだ
「ところがあくまでも主張し続け、十字架につける
よう大声で要求した」
「そしてついにその声が勝った」

彼らは最初からキリストを憎んで、殺そうとして
いた。妬みからの憎しみゆえに。

肉に従って行くと、本当に抹殺して行くんだな。
ほんとに罪は怖い。

新生して、新しい性質が与えられていて、御霊の
助けがあって、神様に従って行くことを選べるよう、
助けがある事が本当に感謝。

「その当時、今ではあなたがたが恥じているその
ようなものから、何か良い実を得たでしょうか。
それらのものの行き着く所は死です。

しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、
聖潔に至る実を得たのです。
その行き着く所は永遠のいのちです」
ローマ6:23

行き着く所は永遠のいのちだ。