2008年07月13日(日)
  「わたしの平安」

当時、まだ求道中だったAさん、長子さんの進路で
ギリギリな時期に、教会に飛び込んで来られた。

もうプレッシャーとストレスで、親の方が胃がガンガン
痛み、ガチゴチで。思い煩いと心配のどつぼにおら
れた。見るからに、ストレスで固まっておられた。

その求道中だったAさんが、はっきりとイエス様を
信じて、救いに入れられた(^^)
そして、今回、次子さんの進路を目の前に控えて、
もう余裕、余裕で、平安そのもののお顔。

「いや〜感謝です!!変えられました(笑)神様が
最終的に、子供のために最善をして下さると、信じ
れるので、ほんと平安なんです。
仮に、自分の最終的に自分の思いと違ったとしても、
それが子供のために、一番良いのですものね。
神様が決めて下さるからには、ほんと信じれます。

以前、長子の時に、決まった進路が、親の私の思いと
違ったんですよぉ。
でも、その中で、子供がそれは生き生きと、ほんとに
良さを発揮できて、伸び伸びと過ごさせてもらったん
です。ほんとに、子供にとって一番ふさわしい所だった
んです。
神様が与えて下さるのは、自分の思いとは全く違う
けれどまさに、最適、ふさわしい所だと経験しました。
神様に選んでもらい、決めてもらうのが一番確かです。

だから、今回も、どのようになれ、思った所ともし違
ったとしても、子供にとって最もふさわしい所へ導い
て下さるので、気持ちがものすごく楽で、安心なん
です。これって、すごいですよね!!

でも、人間の思いと神様の思って、ものすごく違う
んですねえ。
常識的に考えて、いろんな面から判断して、これは
こうが絶対良い!と思うんですが、御心は違って
る事がしばしばなんですよぉ。

知人が悩みを抱えていて、本人のためには、〜〜
の道が一番良いと思うんですが、ただただ、その人
のために祈ってたんです。

すると、結果的に全然違う選択されて、全く違う方向
に行かれたんですが、でも、ずっと祈ってたから、
その人にはとっては、その道が最もふさわしく、後に
は良かったと言えるんだと思えたんです。」

使用前、使用後のように、まあ歴然と違うAさん。
「でもまあ、あの頃とえらい違いじゃ〜」

もうニコニコと満面笑みでAさん
「はい、もう本当に感謝で、感謝で。心が楽で、
どんな結果が出ても安心なんです。神様のお陰です」

“わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは
あなたがたにわたしの平安を与えます。
わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは
違います”ヨハネ14:27