2008年10月16日(木)
  「同じ時間過ごすのに」

Aさんが、「思い煩い」から「信仰」へと
導かれた祝福を話してくれた。

難病の持病を持ち、いつも身体的負担が
ある。良くなることはなく、病と一生うまく
付き合って行く感じだ。

実際、身体はしんどくて、辛い。家事も
思うように出来ない。イライラしたり、
又、人にはわかってもらえないと、
自己憐憫に陥ったり、しんどい状態
だった。

そんな中、更なるストレスから、身体に
更に異常をきたした。
持病の上に、更に身体に負担がかかり、
そのための通院も増えた。

どんどん落ち込んでしまい、身体の不安
にどっと襲われる。一生治らないのでは、
不安が不安を呼び、思い煩いでいっぱい
になる。
心は暗く、重く、沈んで行った。

思い煩いで心は重苦しく、見る景色も
どんより、心は苦しくて、しんどくてたま
らず、とうとう心身許容量オーバーに
なった。

もうどうにもならず、ギブアップ状態に
なった。
この苦しみから救われたい、助けが
欲しい。神を見上げ、助けを求めた。

いつも学んでいる、神にはご計画がある。
今はわからないが、最善をして下さって
いる。
もうどん底で、苦しいだけで、どうにも
ならない。委ねようと思った。

そんな時、十字架にかかる前の主が
力いっぱい鞭打たれて、身体は裂かれ
て、血まみれになり、ぼろぼろになって
おられる映像を見た。

イエス様を鞭打っているのが自分だと
わかった。自分の不信仰がイエス様を
鞭打って痛めつけている。

悔い改めて、信じようと思った。
その時、心が変わっていた。
あんなに苦しく、辛く、暗くて、もう
一歩も前に進めなかったのに、心が楽
になり軽くなり、平安になっていた。

信じて行こうと思えた。どうなろうと
お委ねしていようと思えた。
心が180度変わってしまい、暗さも
苦しさも辛さも失せてしまった。

感謝と平安が心を支配した。
すると、身体の状態が良い方へ向いて
来た。

「同じ時間を過ごすのに、全く違うます
よねえ。
暗い苦しい心でいるのと、平安で楽な
心でいるのと。状況自体は同じなわけで、
信仰に立つとほんとに恵みの中に入れ
られること体験しました。感謝でいっぱ
いです。
思い煩っていて、全然イエス様を信じて
いなかった事がわかりました」

そのまま主のもとへ行って、助けを求め
る時、思い煩いの不信仰を信仰に変えて
下さる。