2008年11月11日(火) 「あわれみで胸が熱く」
「わたしがあなたの傷を直し、あなたの打ち傷を いやすからだ」エレミヤ30:17 Aさんが、心の病を持つ友人のために、ずっと祈り 続けていた。リストカットもあり、痛ましい状況だ った。 Aさん自らも心の病を通っただけに、重荷を持ち、 心配し、自分に何ができるのかを祈っていた。 先日の特伝のテーマが「痛む心への愛」。何とか 来て欲しいと、誘い、一緒にずっと祈り続けていた。 祈りを積む中で、自分に出来ることは、相手の反応 はわからず、あるいは拒まれるかもわからないが、 どうしても、この素晴らしい神様を伝えたい。滅び から天に移されて欲しい。 自分に出来ることはそれしかない、と。 更に祈りを積む中で、語った御言葉に耳を傾けて くれた。罪はよくわかるようで、でもだから自分は ダメだと思ってしまうようと。神様のご愛、慈しみ が伝わるように祈るねと。 そんな時、主に在る友が、最近のメッセージ通して の恵みと送ってくれた内容が、今一度心にしみた。 ・・「メッセージの中で、新聞記事が紹介されました。 それは、『1967年式のトヨタ車が部品メーカーの エンジニアグループの手で38年ぶりに復活した』 というものです。 38年前に作られた、スクラップ同然の車を買い取 って運び、90人の技術者が通常業務を終えた後に、 修復作業を続けた。 設計図を頼りに全て手作業。2年半かけて完成した。 オリジナルパーツは90%。 先生は神様の愛をこの作業に携わった技術者に 重ね合わせて説明。『神様の一方的な愛』『スクラ ップ同然の人間を買い取り、修復して永遠の命を与え てくださる愛』 『スクラップ工場の片隅にぽつんと置き去りにされ た車』私はその車だった。真の神様を認めず、自己 中心の生活を続けた結果、何の役にも立たない、只 の鉄塊になり果てていた。 でも、車自身は自分の状況にまったく気付いていない。 『何で誰も乗ってくれないの?私、ちゃんと動きますよ。 あ、ガソリンが切れてる・・・オイル交換もずいぶんし てない・・ホコリと鳥の糞にまみれてる・・洗ってくだ さいよ〜・・・ ずーーっと同じ景色しか見てない・・ガラスが曇って、 いつの間にか景色もぼやけてしまった・・・ あれ?タイヤがパンクしてる。どなたか空気入れて くださいよ〜』 エンジンが錆び付き、ハンドルも壊れ、タイヤなんて 空気を入れたって穴ぼこだらけで膨らまない。 実際、教会へ導かれた頃の私は、自分自身に 問題があるのにそのことに気付かず、全て他人の せいにしていた。 あのままスクラップ工場にいたら、ぺしゃんこにされ、 粉々にされ、炉に投げ入れられるだけだった。 そんなクズの私を見つけ、ご自分の御子を犠牲に して買い取ってくださった神様。 何の価値もない、というより邪魔者だった私を・・・ 動けるように修理し、しかもオリジナルパーツ100%! 性質はそのままで良いと仰ってくださる。」・・ 同じく、まさに自分のことだと、心に染み入った。 「ところが、神の恵みによって、私は今の私に なりました・・ それは私ではなく、私にある神の恵みです」 Tコリント15:10 「昔の私」はどうであったのか。もし、神様の恵みが 無ければ、どうなっていたのか。 今の私・・罪を赦して下さり、虚しかった心に、満ち 溢れる喜びを、揺るがない平安、安堵を与えて下さっ た。何を持ってしても、埋められず、空虚だった心を、 満たして下さった。 神様がおられなければ、神様のあわれみが無ければ、 どうなっていたかわからない。 「わたしの心はわたしのうちで沸き返り、 わたしはあわれみで胸が熱くなっている」ホセア11:8