2009年08月01日(土)
「つもり」
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精神の病を持っておられるAさん、
定期検診に出向くと、一目見るなり、主治医が
「Aさん、落ち着いていますね」。
一言も喋る前から、Aさん「医者は、わかるんですねえ」
「良好です。良くなって来ていますよ」と言われたと。
そして、「人によっても色々だが、Aさんは、『思いを
変えること』、それが、回復への道です」と。
「何か、聖書の言っている事と同じですね」(^^)
Aさん「御言葉が本当に、神の力であることを経験
させられています。
“恐れるな”“わたしがともにいる”という御言葉が
ものすごく力があって、心が平安にされるんです。
今、心がとても平安です。神様が近くて、こんなに
神様を近く感じたことは無かったです。今、神様と
一緒に生活している感じなんです。」
目の前の状況より、御言葉の方を信じていて、
信仰によって、生きておられることを、目の前に
見せられた。
そして、よく御言葉を信じている“つもり”だが、
不安と恐れ、思い煩いに、さいなまれるのは、
平安が無いのは、御言葉でなく、目の前の状況
の方を信じているからだと、見せられる。
Bさん「“つもり”が、神様から離れてしまう、サタン
の罠だと教えられた。」
ずっと神様に従っている“つもり”、御心を行なって
いる“つもり”、デボーションも毎日ちゃんとしている
“つもり”・・だから、何の問題も無いはず。
だのに、実際は、生活に神様を感じていない。
聖書を読んでも何も入って来ない、語られない、
だけど、まあ、こんな日もあるだろうで、日を
過ごす。ちゃんと従っているし。
しかし、神様と自分の間にもやがあって、膜が
かかっている。地に足が着いていない感覚で、
浮いている感じ。
そして、心に罪が湧き上がる。妬みや頑なな
心や反発心が起きて来る。
何でだろう?従っているし、御心行っているし、
デボーションもしているのに・・。
学びを通して、とにかく今の気持ちを、正直に
そのまま神様に、祈る事を教えられ、そのよう
にした。
すると、神様との生きた交わりが回復され、
神様に従っている“つもり”が、、決して神様に
従っていなかった事に気づかされた。
神様にでなく、なすべき事に心が占められて
しまっていて、なすべき事はどんどんするが、
神様に心が無いという状態になってしまっていた。
でも、外側、神様の御心行なっているので、
全然気づかず、神様に従っているつもりだった。
悔い改めた時、神様との交わりが回復し、
心がすっきりし、軽くなり、もやが消え、
地に足が着いて、神様との交わりの中で
歩めている。
神様に従っている「つもり」なので、
問題意識もなく、求めもなく、中途半端なまま、
ずうっと流されてしまう。
サタンがそこに働いている。
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