2009年10月06日(火)
  「御心に従って試練」

御心に従っていて、試練が来ることを学んでいた。
御心に従うから、試練が臨む。

「向こう岸へ渡ろう」とイエス様が言われたから、
御言葉に従って、舟に乗ったなら、生死に関わる
大嵐に会った。

御心に従わず、岸にとどまっていたなら、嵐に会わ
なかった。

なぜか、御心に従うのだから、順風満帆で、何もかも
がスムーズに行くはずと思っている。

それで、試練が来て、悩みが来た時に、うろたえ、
動揺し、自分の進んだ道は御心では無かったの
では?もしかして御心間違ったんだ、と悩んでしまう。

でも、御心を行なっている中で、試練が臨む。訓練
し、鍛え、聖め、信仰の成長を与えて下さる。

Aさんが、今は、ちょっと時間的にも体力的にも
無理なので、子供の関係の係に、今年は何とか
免除されるように祈っていた。
祈りに祈っていた答えとして、役が回って来た。

ハードで無理と人間的には思えたが、祈った結果
であり、これは神様からの御心と受け入れた。

御心で与えられたのだから、何とかして下さるはず
助けがあると思い前に進んだ。

ところが、ところが、次から次へと臨む試練。
仕事がうまく回らない、そこに絡む対人関係、今
までのやり残しのつけまで、担当者に回って来る。
泣きの涙だった。

引き受けた事が間違っていたのか?御心では
なかったのか?
そうでなく、御心に従って、試練が来た。

しかし、1年が終わり、結果的に素晴らしい神の
栄光が現れた。やはり御心であった。

「やって本当に本当に良かったです。自分への砕き
だったし、強い自我があり、砕かれ、訓練され、
鍛えられました。沢山の学びを得ました。

最後素晴らしい、麗しい対人関係の結果が与えられ、
本当に神様を見ました。
ここを通らなければ、神様を知れなかったし、通って
本当に感謝でした」

誰しも、逆境も試練も嫌で、逃げたい、避けたいが、
高慢砕かれ、自我が砕かれ、無くてはならないものだ。

どの試練も、砕かれて感謝だったと、心底思えるので
感謝だ。