2010年01月08日(金) 「これ無しには、わからない」
Aさんが話す。 「救われて何十年、神様が全然わかってなかった。 頭で、御言葉を聞いて、すうっ〜と通り過ぎて行く。 これまで御言葉の種がいっぱいいっぱい蒔かれて来た。 確かに、蒔かれているから、ふっと時折り思い出 したりする。学びでの先生の言葉も思い出す。感謝だ。 でも、自分は全くその「種」に、水をやり、世話をし 育てて、来なかったんだと。 自分のためにだけ生きて来た。固い固い強固な 自我があって、自己中心。 神様の栄光のためなんて、全く無かった。人のため にも無い。すべて、ひたすら自分のため。 だから、いつも全く平安が無い。自分で自分を守ら ないといけないから、不安で不安で、ああなったら、 こうなったらどうしようと、恐れでいっぱい。もう恐怖。 でも、絶対に神様に明け渡せない。なぜなら、明け渡 すと、大変な試練が来て、あれもこれも取られ、 もうとんでもないひどい事になるとしか思えない。恐怖。 どうしても、そうとしか思えない。神様は恐い方。 明け渡したら、最善をして下さるというのがもう全くの 未知の領域で、どうしても信じられない。 信じようとしない、固い自我。 長い間、そこを堂々巡り。明け渡すと最悪になるとの 思いにがんじがらめ。 愛を全く知らないことが、わかった。 今、自分の心が変わっているのがわかる。自分では 絶対に不可能。神様が変えて下さった。 今、神様が最善をして下さることを信じれる。これは奇跡。 変えられた。信じれる。今、心が平安。希望がある。」 この奇跡は、大きな変化は何で? どうして変わったのか? 「砕かれたから。これしかない。全く神様がわから なかった。 確かに救われていて、天国へ行けるんだろうけど、神様 と共なる生活など全く無いし、実感も全く無かった。 自我の厚い殻が破られる必要があったとわかる。 砕かれて、神様を実感するようになった。すべて自我が 妨げてるんだよね。自分のことしか無かった。 自分の思い通りに、周囲もコントロールして、ただただ 自己中心の世界。神様など無かった。 砕かれることが、すべてなんだなあと。痛くて、辛くて、 苦しいけれど、これ無しに、神様は絶対にわからないね。 痛いけれど、本当に良かった、感謝だと思える」 「砕かれない限り、神様は、頭でしか、わからないね」