2013年07月03日(水)
  「ごめんなさい」

「ちょっと失敗してしまった事が
あったんです。
自分のケアレスミスで、一つ間違ったら
大ごとになるところで。
神様に守られて、本当に感謝だったんです。

家族も驚いて、気をつけないと、と思わず
言ったんですが、自分は不満で、『私だって
忙しくて、する事が多くて、大変で・・』と、
言い訳していて。

弁解に終始し、自分を正当化する自分、
すぐに、きちんと自分の非を認められない
自分に、ああ自我だと。
もう、自我の強さを教えられて。

冷静になって、省みる時、ほんとに他の誰でも
なく、自分の失敗で。
神様の前に認めて、悔い改めることができて、
感謝でした。心平安にされました」

「わかる、わかる。自我が絶対に言いたく
ないのが、『ごめんなさい』。
ごめんなさい、だけは決して言いたくない。
良い行ないで、チャラにしてしまおうとする」

「口先で、ごめんなさい、と言っても、
心の奥底では、自分が悪いと思ってなかったり
して、自我はどこまでも強い。
ほんとに、神様ごめんなさいです」


丁度、遠方の主にある友から。

・・・朝礼拝のお話は「ごめんなさい」でした。

神から、食べるなと命じられていた
善悪の知識の木の実を、蛇に誘惑されて
エバが食べてしまい、エバはアダムにそれ
を与え、アダムも食べてしまう箇所だ。

アダムは言い訳タラタラ・・・
アダムとエバはふたりとも「ごめんなさい」と
言えない。

神様はどこまでもやさしい語り口。

幼児と触れあっていて発見した事の中に
「ゴメンナサイ」と「ありがとう」は、教えなければ、
言えないということがあります。

子育ての中でも繰り返し躾けた部分でもありますが、
全ての子に共通した弱点とわかりました。

言い訳や嘘は教えなくてもスラスラ出てくるのに。
そして、振り返れば自分もそうだったこと。

神様に素直に「ゴメンナサイ」と言えるように、
祈ることは大切だなぁとつくづく感じました。・・・


悔い砕かれたたましいを、一番喜ばれる。