2015年04月03日(金)
  「信仰もって・・」

「長血の女」の箇所で、

この女性の、12年の長血の身体的苦しみが
あった。
あちらに良い医者がいる聞けば飛んで行
き、こっちにいると聞けば、急ぎ訪ね、どこに行って
も治ることなく、失意落胆を繰り返し・・

期待の度合いだけ、失望も大きく、それが12年
心は疲弊し、同時に財産も使い果たし・・
心的苦痛に、経済の破綻、不安、思い煩い・・

しかし、病は治らず、更に悪くなり、もう財力も無く、
病の性質上、人の前にも出られず、社会生活も、
宗教生活もできず、

何の希望も無い、ただ苦しみと辛さと痛み・・

そんな中で、イエス様のうわさを聞き、この方
なら、何とかして下さるのではと、一縷の望み
をもって、イエス様の着物にさわった。

すると、血の源が枯れた。
12年間も、どうやっても、何をしても治らなかった
病が、完治した。

このままうまく逃げたかったかも知れない。誰にも、
何も知られないまま、密かにこの場を去りたい・・

しかし、主は「誰がさわったのですか」と言われ、
じいっと待たれる。

何とかこの場を、すり抜けられたどんなに良いだろう。
しかし、時間は過ぎる。主は動かれない。

観念して、告白した。12年間の真実を余すところ
なく告げた。
主は心の痛み、悲しみ、苦しみ、怒り、心の傷
を受け止め、いやして下さった。

そして「安心して行きなさい」と。平安を下さった。

・・・・・・・・・・・・

「12年間の病、12年前、自分は何をしてただろう?
まだイエス様のもとに来ていない。
もう思い煩いと、怒りと、不満と、大変な中にいました!

今じゃあ、イエス様無しの人生など絶対に考えられない。
『安心して行きなさい』
私も、神様を信じて、自分自身を明け渡した時に、この
平安をいただきました。
そして、今もずっと平安をいただいています!」


「真実を余すところなく告げることを、教えられます。
自分は告げきれてないと思う。
心の底にある思い、傷、痛み、それすら自分で
押し込め、抑え込んでしまっているのでは。

どうしても人の目を気にして生きているので、繕って
しまうので、自分が自分の気持ちをわからない。

神様とよく交わって、自分の内にあるものを
告げて行きたいです」


「自分は、自分にとっての長血は何だろう?と、
そえrを祈って行きます。」

「血の源が枯れた・・完全にいやして下さる、解決
して下さることが感謝です。

血の源が枯れた経験をします。赦せない相手を
赦せたこと。受け入れられない状況を、受け入れる
ことができたこと。
祈って、神様の示しに従って行くことなんだなあと。
着物をさわるのと、同じ結果を見る」


弟子たちも、群衆も、イエス様に触れていた。
でも、物理的に触れていたのと、信仰もって触れた事
の違いを、しっかり受け止めて応えて下さった。