2003年07月23日(水)
  「はっきりと見えて」

★「さばいてはいけません。さばかれないため
です。」

「まず自分の目から梁を取りのけなさい。そう
すれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちり
を取り除くことができます」マタイ7:5

まず、自分の目にある梁に気づく時、自分の姿が
見せられる。聖霊様によらなければ、気づけない。

聖霊様に見せられる時、神様が見ておられるよう
に、見る。御言葉によって、自分の姿が照らし出
される。自分の姿を見て、心砕かれて、悔い改め
が与えられる。

そうする時、不思議なことが起こる。
梁が除けられて、はっきりと見える。対象がはっ
きりと見えて、そのものの姿が見える。
全くさばいてはいないのだから、判断に確信が
持てる。全く御言葉の通りだと、何度も経験し
て来た。

自分に梁のある間は、見えない。ちゃんと見えな
いし、正しく見えない。判断ができない。

★「聖なるものを犬に与えてはいけません・・それ
を足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き
裂くでしょうから」7:6

神様を、中途半端でなく、はっきりと鮮明に打ち
出す時、敵対する勢力も、はっきりと姿を現わし
て来る。驚くほど鮮明になる。
パウロは足のちりを払い落として、立ち去った。

さばくことと、識別することの相違。
まず自分の内側が取り扱われ、対象のものが、
はっきりと見えるようにして下さること、足のちり
を払ってよいこと、
最近の出来事から、教えられたのであった。
by 多恵子