2017年05月01日(月)
  「比較」

学びの後、何やかやと語り合っていると、

★「やっぱり、“比較”が、自分は根深いなあと気づかせ
られます。
神様に出会って、比較ではない、神様を見上げて、
自分と神様の関係がすべてで、御心を行なって行く
歩みだと、教えられて。

そんな価値観無かったので、すごく感謝で、救われた
思いになりました。
でも、頭ではわかるんですが、それが日常では比較
してるんですよねえ。

自分が落ち込んだり、暗くなったり、喜び無くなったり、
沈む時に、その根に、“比較”があると気づかされます。

でも、気づける事が感謝なんですよね。
以前は、全く気づかなかったから。でも根深いです」


★「結局、神様知る前は、ずっと比較の中で生きて来た
から、長い間に培われたものは深いですねえ。
人との差異で、自分を量って来て、それが当たり前で
それしか量るすべがなく、それしか無かった。

だから無意識にも、比較している。
でも、比較が諸悪の根源ですよねえ。カインとアベル、
ダビデとサウル王、弟息子と兄息子、ぶどう園の労務者、
律法学者とイエス様・・
皆、比較から妬みが来て、憎しみとなり罪を犯して行く。

ペテロが死に際の事を、イエス様から言われた時に、すぐ
にヨハネが気になり、ヨハネはどうかと。

すると、・・それがあなたに何のかかわりがあるか。
あなたはわたしに従いなさいと。

ずうっと比較の誘惑や、攻撃が来て、一生この御言葉
握って、御言葉に立って行くことだなあと思わされて
います」

「あなたに何のかかわりがありますか」
「あなたはわたしに従いなさい」

★「小さい子がいるのですが、周囲が気になって
しまって。
おけいこ事を、あれやこれや習ってると聞くと、
心がざわついて、遅れを取る不安に襲われて。

でも周囲は何の関係もない。
主を見上げて、主の御心を行なってゆくことだと
我に返れて感謝です」