2003年08月23日(土) 何も動かず、何も見えない
昨日、B子ちゃんと学びをする。 ★B子「前回の学び会で、難しい問題を 祈ったでしょう。帰るや、すぐに祈り が答えられたんよ!! 答えが、もう待ち構えていた。すでに 成就していた!!」「えー!!すごい!」 呼べば、答えて下さる神様を、共に喜ぶ。 求めたものが、すぐに与えられる祈りがある。 そして、別の形の祈りもある。 「わたしの願うようにでなく、あなたの みこころのようになさってください」 B子ちゃんの状況は険しい。困難が前にも 後ろにも横たわり、身動きとれないように 感じる。 「もう、やめてしまおうかと思ったりするん よ。(笑)もうしんどいわ。でも、神様が与 えて下さった場所、祈って与えられたみここ ろの場所と確信がある。」 今の神様のお心は、「忍耐して続けなさい」だ とわかる。 神様が今の場所に導かれたことが、はっきりし ている。だとすれば、そこに神様のご計画が あり、しようとしておられることがある。 何も動かず、何も進まないように見える状況で、 教えようとしておられる大切なことがあるはず。 ★東北へ行って、東北の先生方や兄姉方と交わ った。都会と全く違って、まず人は来ない。 チラシでなど全く来ない。よそ者だと、表面的 には良いが、しかし、受け入れてもらえない。 ある先生と交わる。どんなに動き回っても、何 をしても、次から次へと方法を変えても、何も 動かない、何一つ動かない、微動だにしない、 そんな中で、何年、何10年間も、じいっと身を 据えていることの、厳しい大きな訓練。 「ほんとに、自分は変えられましたわ。」と。 目に見えるところ何一つ動かない、そんな環境の 中で、見えるところでなく、見えないものによっ て歩む、「信仰」によって歩むということが、 どういうことか、先生方を通して、見せられた。 目に見えるところ、何も全く動かないので、見え るところで一切無い、物事の「本質」が見えて来る んだろうなと。 信仰の本質、礼拝の本質、クリスチャン生活の本質・・ 見えるところが、一切取り除かれて、見えないもの を見続ける時、そのものの本質が見えてくる・・・。 ともすれば、目に見えるところだけで、右往左往し、 そこに目をとられ、見えるところだけにバタバタし、 見えるところに翻弄され、過ぎ去って行く人生。 東北に行って、大変なインパクトを受け、深く考え させられ、教えられた。 そして、都会から東北へ宣教に出られた、その先生 は言われた。 「来て良かったです。本当に良かったです。変え られました。何もわかっていない者でした。」 その先生に、神様の栄光を見た。神様が輝いておら れた。 「私たちは、見えるものにではなく、見えないも のにこそ目を留めます。見えるものは一時的で あり、見えないものはいつまでも続くからです」 Uコリント4:18 by 多恵子