2020年03月02日(月)
  「“我慢”は違う」

Aさんが、「私ずっと、聖書の“忍耐する”というのは、我慢だと勘違い
していました。
だから、ずっと嫌な事や、試練や、辛い事、苦しい事があると、我慢して
いました。

我慢なので、ぐう〜と心の奥に押し込み、抑え込んでいるだけなので、
それは、ずっとそこにそのままあって、出て来そうになると抑えつけて、
自分はずっと辛かったです。

でも、あ、自分は勘違いしていたんだと、気づかされて。
聖書に出て来る忍耐は、自分を抑えこんで、我慢することでなく、

神様を信頼して、神様が必ず良くして下さると、信じることなん
ですね。
ものすごく楽になり、解放されました!!

我慢は、辛く苦しいですが、神様がこの苦しい事態を良くして下さる、
必ず最善に導いて下さると、信じることは、すごく平安で、感謝です。



前述の、天に帰られた主に在る友のAさんが、かつて証しして
下さった。

腕の捻挫と骨折をして、それが非常な激痛で、うめきつつ、
顔を歪ませながら、ひどい痛みをじっと我慢していた。

我慢に我慢をし、余りの痛さに、神様助けてと祈り続けていた。

その時に、ハッと、「我慢」の「我」は、自我の「我」で、「我慢」の
「慢」は高慢の「慢」だと、突然御霊から教えられた。

「我慢」は、自我と高慢から来るものだと。
自分の力で、力の限り耐えて抑え込む、どこまでも自分の力だ。
自分の力を高慢という。

「我慢」するのでなく、主に頼り、主を信頼することが、主の喜ばれる
こと。


目の前の試煉も、自分が何とかしなければと、思っているから、自分の
両肩に何もかもがかかってきて、負いきれず、大きな不安と思い煩いと
なる。
心が暗くなり、落ち込み、恐れに襲われる。

自分が、しようとしている。

主を仰いで、主に拠り頼めるよう、主に信頼できるよう祈ろう。


“主に拠り頼む者は幸いである”詩篇52:8