2007年05月03日(木)
「意識すること」
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我が家のマンションに入る入口の暗証番号が、
最近変更になった。8年振りの変更だ。
何度もやってしまう。身体が勝手に動き、以前
の番号をピッピッピと押すのだ。
ウヌ?開かない?? 一瞬、あ、そうだ、と押
し直す。
勝手に手が動くのは、いつも無意識でいる時だ。
他の事を考えていて、思いが他の事にあって、
目の前の事が頭に無い。
すると、無意識で身体が勝手に動く。8年かけ
て培われたものは深いと、つくづく考えさせら
れる。
信仰生活における、古い価値観、この世の価値
観、思考パタンも同じだ。培われたものは根深い。
根深く在る。
新しい暗証番号を押している時は、「意識」し
ている時だ。
入口で、意識した時に、新しい番号を押せる。
その違いは、意識しているか、していないかだ。
信仰生活も同様だ。イエス様を信じて、救われて、
古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなった。
古い人は十字架で、キリストと共に死んだ。古い
私は死んだ。主と共に葬られ、そして、主と共に
新しいいのちによみがえった。
日々、毎瞬、毎瞬、「意識」することがとても
大切だ。
意識する時、新しい暗証番号が押せて、ドアが開く
ように、
古い自分に死んだ、よみがえりの主と一つになって
新しい自分が生きている、それを意識して生きて行
く時、そのように信仰生活が開いて行く。
「私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私の
うちに生きておられるのです」ガラテヤ2:20
「古い人は死んだ」「私はキリストとともに十字架に
つけられた」
思い煩いに襲われそうな時、いや違う、古い自分は
もう死んだ。目の前の事に焦って、イライラしそう
な時、いや違う、私はキリストと共にすでに死んだ、
そこに立つ時、心が静まって行く。
私はキリストと共に十字架につけられた、それを、
毎瞬、意識して、意識して歩めるように。
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