2007年11月05日(月)
  「絶対に大丈夫」

遠方の友からの久し振りの便り。

「子供が、自分の進路に向かって旅立ちました。
神様に感謝でいっぱいです。」

子供さんの事についても、本当に心配な時期が
あって、祈りの要請が来て、一緒に祈りにあずか
った。
子供の意志は止められず、どうにもできなくて、
ただ祈るばかりの日々も。

不安や思い煩い、心配に心をさいなまれつつも、
できる事はして、あとはもう神様にお委ねするばかり。

ひたすら祈っていると、神様は不思議をされて、
その事態が良きに導かれた。
真に神の守りのみわざであった。
祈りが聞かれた事を、目の当たりに見た。

子供の小さい時から、育児で悩みに悩みながら、
ずっと祈りの中で育てて来たAさんだった。
紆余曲折を通りながら、でも最終的に落ち着く
べき所に落ち着かせて下さった。

Aさん自身にも、苦難、艱難、様々な苦しみが
あったが、でも、本当にすべてが益とされて、
あるべき所に、すべてが導かれて行った。

ヤコブが年老いて、エジプトの食糧を得るために
ベニヤミンを連れて行かねばならないと告げられた
時に、

「あなたがたはもう、私に子を失わせている。ヨセフ
はいなくなった。シメオンもいなくなった。そして今、
ベニヤミンも取ろうとしている。こんな事がみな、私
にふりかかって来るのだ」創世42:36

何もかもを失い、四方八方失意に取り囲まれて、
災難が、どおっと降りかかって来るように見えた。
どこを見ても、失望落胆、絶望・・

命であったヨセフを失い、ヨセフの代わりに
愛情を注いぎ、命となっていたベニヤミンをも
取られる。どんなに心真っ暗であったろう。

しかし、実際は、そうではなかった。
全部がおさまるところに、おさまって行くと、
何とヨセフは生きていて、シメオンもベニヤミン
も共におることができて、飢饉の中、豊富な食糧
により、皆の命は救われ、皆で住む事ができた。
夢のような話だ。

失意や落胆の中を通るけれど、実は、神の素晴
らしい計画の中であり、必ず平安なところへ導き
出して下さる。

神様にある時、どんな時にも将来と希望がある。

「あなたがたのために立てている計画・・それは
わざわいではなく、平安を与える計画で、将来と
希望を与えるためのもの」

神様にあるなら、何があろうと、絶対に大丈夫だ。