2008年01月10日(木)
「罪」
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カンボジアへ2度目の訪問。
町が3年前より、綺麗になっている。
3年前は、空港を出て、タクシーに乗ると、道の
両サイドがずうっとゴミの山。びっくりする。
最近、清掃業者が町を掃除しているそう。
前回、行けなかったツールスレン刑務所へ行く。
何度も本を読み、何度も写真を見ていたが、自分の
目で見ると、全く、全然違う。
何が違うのか。身体全部で、体感するんだろう。
ベトナム軍がプノンペンに侵攻し、首都占拠して、
翌日、その虐殺刑務所を発見する。遺体がまだそ
のままで、政府軍の高官達も拷問の上虐殺された。
初めて足を踏み入れた、ベトナム兵が撮った虐殺
された遺体の写真が展示してある。
余りにもひどくて正視できない。
容疑者の拷問には、考えられる限りの残虐な手段
が使われたそうだ。特に、子供を洗脳し手先にし
たので、子供の残虐性は際立っていた。
裏切り者を明らかにして行くのが組織の目標の一つ
だった。
密告に証拠など必要なく、裁判もなく、即処刑だった。
そこは元高校で、教室を利用して、独房が作って
ある。汚いレンガを荒々しく積んだだけのもの、
木のもの。家畜用みたいな場所だ。
狭い仕切っただけの独房。見ただけでもおかしく
なりそう。
原爆と同じで、余りにもひどすぎて、決して見たく
ないけれど、見ないといけない、そんなたぐいの
ものだ。
神から離れた、人間の罪の底知れぬ不気味さ、
どこまでも残虐になれる、「罪」の恐ろしさを思った。
「罪」とはそういうことであり、それが「罪」なんだと。
「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪と
されました。それは、私たちが、この方にあって、
神の義となるためです」
十字架で罪とされた、イエス様はどんな恐ろしい
底知れぬ闇を通られたのだろう。
光と愛と正義と真理が、あることが感謝で感謝で
たまらない。神がおられることに、喜びが溢れる。
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち
勝たなかった」ヨハネ1:3
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