2008年09月10日(水) 「カンボジア訪問Cキリングフィールド」
「自分たちは愚かだが、愚かである事を 自覚すれば、幾らかは愚かでなくなる 可能性があるに違いない。 何が起きたかを正しく知り、それを忘れず、 後世に伝えて行く事が、ポルポト時代に象徴 される狂気の時代を再現させない第一歩だ」 と、カンボジア旅行途上で読んだ本にあった。 何でこうなったのか、何が起きたのか、真実 に向き合い、正しく知ることが、二度と同じ事 を起こさないために、どうしても必要だ。 でなければ、また同じ事を繰り返す。 今日の新聞に出ていた。 プノンペンに「資料センター」を創設すると。 ポルポト時代の事が、カンボジア国内の学校で いっさい教えられていない。 だから子供たちは知らない。風化させないために 虐殺の事実を、資料を残し、こうなった原因の 調査研究を行なうと。 ツールスレンの後に、キリングフィールドに行った。 8千に及ぶ頭蓋骨が慰霊塔に展示してあった。 銃で撃たれた跡であり、頭蓋骨に穴が貫通している。 「ここに犠牲者の何100遺体」と、くぼんだ穴に立て 看板で説明がついている。 大きな木があり、「赤ん坊は、ここで両足を持ち、 振り投げて、この木にぶつけて殺害した」と。 まだ30年前なので、服の切れ端が、あちこちに 地面に散らばっている。骨や歯も地面から地表に 出ている。その歩く道の下に沢山の犠牲者が 埋まっていると。 拷問と殺りくを繰り返したポルポト側の加害者、 虐殺地獄をかろうじて生き延びた被害者、 双方が、今も生きていて、何の精神的ケアも 治療も、サポートもなされず、放置されたままだ。 人々は心を封印して、ふたをして、押し殺して 生きているのだろうか。 食べて行くのに必死で、ちょっと地方に行くと 病院すら無い状況で、人々は肉体的治療すら なされないまま、これが寿命だからと亡くなって 行くという。 カウンセラーなどという次元ではない。 キリングフィールドは、一見、まるで普通の野原だ。 晴れ渡った、南国の明るい太陽の下で、のどかな 何の変哲もない、緑の木々の茂る野原・・ そこがおぞましい虐殺現場であり、自分が歩くその 下に、数知れない拷問虐殺された人々の遺体が今 もそこに埋まっている、 静かで、平穏な、何事も無かったかのような、明るい 現場に、余計に怖さが増す。 人間の罪の底知れないおぞましさ、背後に働くサタン、 自分も同じ人間・・他人事でない。主の十字架が無け れば、まさしく絶望だ。 あの残虐、残酷な十字架上で、まさにこの罪の贖いが なされたことが、現実感持って迫り来た。 何があって、何でこうなったのか、真実を明らかに して、失敗から学ぶ事が、二度と同じ過ちを犯さない 事につながる。 クリスチャンとしての、自分の霊的生活も同じだ。 何でこうなったのかよく考えて、失敗から学ぶこと、 同じ失敗を繰り返さないために。