2009年02月03日(火)
  「・・ありません」

霊と肉の学びをしていた。

肉は、自分のために生きる。自分の好きなよう
にしたい。自分の時間を奪われなくない、自分
のために時間を使いたい。労力も持ち物も、
自分の好きに使いたい。

しかし、新しい性質は、それでは虚しい。
喜びがない。神に従いたい、神に喜ばれる
ように時間を用い、自分自身を用い、持ち物
を使いたい。神の御心に歩みたい。

この二つが葛藤する。葛藤は正常だ。
それによって成長して行く、と。

Aさん「こうしたらいいな、神様に喜ばれるだ
ろうなと思うことがあって、でも、肉はしたく
ないんですよ。
助けて上げたらいいだろうな、という状況が
あって。

でも、肉は強情で、頑なで、嫌なんです。したく
ない。自分は本当に愛がない。自分には愛の
かけらもありませんと認めた。
そして、助けて下さいと祈った。

その時、別の事情が生じて、その事をしなくても
良くなった。心の葛藤が無くなった。

でもその時、この事をしなければ、自分は後悔
すると思え、自分の自由意志で、しようと思った。

強制されて、強いられて、嫌々でなく、自由意志
で選び取って、したいと思い、その事ができた。

そして、その事をして行くと、思いもかけない、
素晴らしい祝福が備えられていた。その中で、
渦中にある問題の指針が与えられたのだ。

お手伝いにも、主が働いておられるのがわかった。
どんどん環境が開かれて、助けられて、スムーズ
に導かれて、時間的にもピッタリにやり終える事
ができた。
すべてが備えられていて驚くばかりであった。

そして、すべてが終了した時、心に湧き上がる喜び
が来た。御霊の喜びだった。
御心を行わせて下さり、平安と素晴らしい喜びを
経験した。

「自分には、〜ありません」「自分には〜できま
せん」と言う時、神様が働かれ、真に主を経験する。