2009年04月03日(金)
  「イエス様を着る」

Aさんの仕事は、人のお世話をする仕事だ。
日々大変な体力が要り、神経すり減らし、
その場、その場を、知恵と的確な判断力を
持って対応しなければならない。

繰り返しが要求され、非常な忍耐の要る
仕事だ。
心身共に、ハードで、聞いているだけで、
うわあ〜、何と大変な〜〜、言葉無いほど。

聞いていて皆で「うわあ、私には出来んわ。
絶対できん。Aさんすごいわ」

しかし、そのAさん、生き生きと仕事ができる。
神様だ!と。神様がさせて下さっていると。
確かにAさんの賜物で、その賜物が豊かに
用いられている。

ものすごく大変でストレスやプレッシャーに
押し潰されそうになるけれど、次の朝、「さあ
行こう!!」と気力新たに出れるんですよぉ、と。
一度も、行きたくないと思ったことはない。
自分でも不思議で、本当に神様を感じると。

そのAさん、職場まで自転車通勤。
自転車で数十分の間、自転車をこぎながら、
ひたすら祈りに祈り続けて、職場に到着と。

その祈っている時に、イエス様を自分が着て
行くのがわかると。
イエス様をしっかり身につけて、職場到着と。

そして、職場では、いっさい自分に頼れない
から、自分には出来ないから、一瞬一瞬、主に
拠りすがり、すがりきってると。
だから、出来るんですよねえと。ほんとにイエス様
で、イエス様がして下さっていると。
とにかく頼りきって、すがりきっていると。

これなんだよねえ。信仰とは、拠りすがること。

Aさん「そうなんですよ!ところがね!
仕事終わって、帰宅すると、もうほお〜〜、何も
考えられず、何もできず、消耗しきって、もう魂
抜けた状態。

家に帰ったと同時に、もう終わったと、イエス様も
脱いでるんですよね(大笑)
だから、一番肝心な家族への証しができてない
んですよぉ(笑)
家族に甘えてしまって、手抜きだし、もう証しどころ
ではない」

Gさん「すごいわかる!一緒だ!私も仕事はすごい
神様に頼るから、すがるから、すごく助けられて導
かれて。
でも、さあ、仕事済んだ〜!!と安堵で、ほうっと
して、帰宅途上で全部イエス様脱いで、帰宅するや
もう甘えとわがままが出て、結局家族が被害を被る」(笑)

「イエス様を着たまま、帰って、着たまま、後の時間も
家事や家族と接することをすりゃあええんですよねえ」

「家族への証しが一番大事ですよねえ」

でも、人は自分に出来ないところで、イエス様に
真剣に、本気で、必死に、拠りすがる。
だから、神様が働くことができて、神様の栄光が
現れる。

「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるから
である」Uコリント12:9

Aさんが祈りに祈り、拠りすがりながら自転車をこぎ、
イエス様を着て行くさまが、とても印象的で恵まれた。