2009年05月07日(木)
  「万事益」

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従
って召された人々のためには、神がすべてのこと
を働かせて益としてくださることを、私たちは知
っています」ローマ8:28

学びの中に、この御言葉が出て来て、話し合って
いた。
その時、ふと、父のことを思い出した。

ある時、高齢の父が階段で、足を滑らせ転んで、
コンクリートだったので、頭を打ってしまった。

病院に運ばれ、身体は大したことはなかったが、
頭を打った加減で、記憶が途絶えてしまった。
現在の事は認識できるが、以前の事が思い出せ
ない。

医師によると、一時的なもので、しばらくすると
戻るからとの事。
しかし、家族は大変心配した。

記憶喪失の事を聞いた時に、まず来たのが、
「ああ、転びさえしなければ・・」との思いだった。
何で、転んだのだろう、何で、何で・・。

その瞬間、いや違う、そうじゃない、神様目線に立つ
とそうじゃない。ローマ8:28。

この事も必ず益として下さる、良かったと言える
ようにして下さると、思えて、信じた。
そして、転んだことを感謝しますと、祈った。

数日後、転倒ゆえ、脳の精密検査を受けた。
すると、脳に癌の転移が見つかった。
父は以前に、初期癌の切除手術をしていた。
再発、転移だった。

その脳に転移とわかった事が感謝だった。
もし、転倒が無ければ、脳検査をする事も
なかっただろう。

結果的に、父はその半年後、天に召されたが、
父のための祈りが積まれ、もう脳の手術は
不可能で、他にも転移が見つかり、
私たちも、心を備える時が与えられた。

父はその少し前に、長男の個人伝道により、イエス
様を信じる決心が与えられた。
その時は、手術前であり、明日手術との夜だった。
「おじいちゃん、手術のために祈ってるから」
の長男の言葉に、「お願いする」の返事。

そういう反応は、今まで決して無かったので、
驚いて、神様のこと、十字架の救いについて
話すと、「信じる」と。
本当だろうかと、もう一度繰り返して話すと、
やはり「信じる」と。

その後、転倒で、記憶喪失になり、少し戻ったり、
まだらな感じであったが、亡くなる前に訪ねた時、
意識がはっきりして、明確に救いの確認が与えられた。

もう衰弱で、言葉も喋れず、寝たきり状態だったが、
はっきりと力強く「はい」という言葉で、信じている
こと、天国へ行ける確信を、表明してくれた。

救いと、救われた事が周囲にもはっきりわかる
ようにして欲しい、との祈りを続けていたが、
その二つの祈りが答えられた。

結果的に、癌ゆえに、父は死と向き合い、神様
と向き合った。
癌でなかったら、救われていなかったと思う。
癌が感謝でならない。
父の救いは、母の救いへとつながって行った。

身体はいつか必ず朽ち果てる。高齢の父は癌でなか
ったとしても、遅かれ早かれ死を迎える。
永遠のいのちが与えられたこと、その原因となった癌、
すべてが益で、本当に感謝。