2009年07月08(水)
  「信仰の芽萌え出で」

カンボジア・・

真っ青なキャンバスに、白い雲、遙か彼方には、視界いっぱいに
広がる地平線。
何もない。果てしない広大な緑の大平原。その中に、椰子の木が
点在。これぞカンボジアの原風景。

バッタンバンでは、乾期に珍しくスコール。
ほこりが、雨のシャワーにきれいに洗われて、水滴の残る、瑞々
しく生き返った草木。
雲がおおい、川は濁流となり、グレイ色の風景は、水分を含んで、
しっとり何とも情緒的。

そこに、顔をのぞかせる、一条の鮮烈な太陽光線。
再び、真っ青な空が顔を出し、明るい輝きを取り戻し、
スコールの後の、ほっとひと息。

360度、広大な自然がどこまでも。日本では見たことの無い風景、
いつまでも見ていたい。心が惹かれ、癒される。

美しい自然に恵まれたカンボジア・・。

その美しいカンボジアで起きた、凄惨、陰惨な事実。
今、ポルポト裁判が行なわれている。元ツールスレン刑務所長
がクリスチャンになって、真実を何もかも明らかにしたいと。

何でこういう事が起きたのか、今後二度と起こさないために、
事実検証し、あらゆる資料を収集し、後世に伝えるとの目的
で、資料センターが設立されるそうだ。

エデンの園で、アダムとエバが神を捨てて、罪を選んだ。
最初の子供カインとアベル、そのカインが人殺しをした。
選んだ罪が、いかに悲惨なものであったかを、見る。

ポルポト兵士達も、自分が命令に背けば、また仕事に
手抜かりがあれば、自分が殺される。
殺すか、殺されるか、人間の罪は拷問を、更に残忍
なものへと、どんどんエスカレートさせて行った。
罪のなせるわざ。


次から次へと飛び込む日常のニュース。
親が子を殺し、子が親を殺し、誰でもいいとの無差別殺人。
次々と出る裁判の結審。どれがどの事件であったのかも
わからないほど。

エデンの園で、人の選んだ「罪」が、実は思いを越えた、
想像を越えた恐ろしいものであることを、見せられて
行く。

あの残忍残虐な、主の十字架でなければ、片がつけられ
なかった、恐るべき罪。自分の内にある肉。


「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの
情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです」
ガラテヤ5:24

「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられた
のは、罪のからだが滅びて、私たちがもはや
これからは罪の奴隷でなくなるためであることを、
私たちは知っています」ローマ6:6

「自分の罪に対しては死んだ者であり・・」

十字架がなければ、どうなっていたのだろう。


Aさんが、詠んだ歌を見せて下さった。

「ポルポトに粉砕されし南の地に
         信仰の芽の萌え出ずるなり」


「カンボジアで働く、N先生のことを思って、詠んだん
です」と。

その短歌に、ツールスレンを思い、罪を思い、イエス様を
思い、涙が出た。