2012年04月01日(日)
  「幼子のように」

先月末、1年間ファロー帰国していたAカンボジア宣教師
一家が、現地に無事戻った。

帰国前、ファローのために、又、特に子供たちのために、
皆が熱心に祈ってくれた。

小学校入学したBちゃんは、最後まで喜んで通学できた。
良い担任の先生と、和やかな雰囲気のクラスだったようで、
祈りの答え、神様の豊かな祝福に心から感謝した。

幼稚園入園のまだ小さいC君も、最後まで通えた。
神様が、C君のために備えて下さった、とても素晴らしい
幼稚園で、感銘を受けた。

「遊び」が、子供にとっての大切なもの、いのちと捕らえて
いますと。
次々とプログラムはあるが、もし、その子がその遊びに
熱中していて、それを続けたいなら、そのまましていて
構わない。
次のプログラムに移動していて、その子が来たくなれば
来ればよい。

何と良い方針なのだろう。
次々と、プログラムに押し込められ、強いられるのでなく、
どこまでも小さな子供の意志、選択と気持ちが尊重され
ている。

折々に幼稚園行事に参加したが、先生が大声でがなり
立てる声を、一度も聞いたことがない。力で抑え込む様を
見たことがない。
小さな子供たちが、大人のように丁寧に、大切に尊重
されて扱われている。

何かプログラムに、急な変更が生じた時、耳もとで一人
一人の該当子供たちに、先生が、きっちり説明している。
子供たちが、首を縦に振って、にこっとうなずいて、行動
に移って行く。
大人と同じ扱いだ。



「イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、
みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。

イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。
『子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めては
いけません。神の国は、このような者たちのものです。

まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を
受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません』

そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて
祝福された」


弟子たちが、子供を「邪魔、邪魔」と叱った。うるさい子どもたち
が主を煩わせないようにと、主のことを思って配慮したのかどうか。

しかし、主は憤られた。
大人と同じように、大切だと。

子供が純真だからでなく、子供も罪人。
子供は親に頼らなくては、絶対に生きて行けない、無力な存在。
自分の徹底無力を認めて、一つ一つを主に頼って生きてゆくこと。


大事に、大事にされている子供たちを見て、色々考えさせ
られた。