2004年02月04日(水)
  神様の愛の実感

今日も、続けて交わり通して教えられ恵まれる。

「自分の正直な気持ちを探ると、礼拝に来るにも、
神様を愛してなんかでは全然ない。愛してなんか
いない。でも、来たいと思ってる。もうどうも出
来ないから、このままの思いをお委ねします、と
祈って来ている」

「近所の人々と交わっている時でも、自分が交わ
りを盛り下げているのではと、思ってしまう。自
分は心の底まで何もかもはどうしても話せない。
自分がこの場にいなければ、もっともっと盛り上
がって、何でも自由に話せるんじゃないかと。

それで、自分はもう何もできないから、近所の人
達と会う時も神様に祈った。すると、もう本当に
祝福して下さって、心からの交わりが自分もでき
たと感じれた。自分も心から楽しく満たされた。
近所の人々と心の交流ができた」

「人に隠れて誰にも知られず、隠れて色々な事が
出来たらいいな、素敵だなと思った。隠れたわざ
を実行し始めると、もう全然だめで、神様報いが
欲しい!こんなのできない、嫌だ。やっぱり報い
を下さい!天国に宝を積む生活など絶対に出来な
い、自分の本当の姿を知った」

神様に何もかも、全部を、自分の正直な姿を言え
ることが感謝。「神様を愛していない」「人も愛
していない」「自分しか愛していない」「隠れて
良いことなど出来ない」「報酬が欲しい」

隠さず、良い子ぶらず、自分の正直な気持ちを神
様に言うから、神様がありのままの自分を受け止
め、ありのままのこの自分を愛していて下さると、
深く「実感」できる!!

何一つ無い、何も出来ない者を、どうであろうと
愛し続けて下さる神様の愛って、測り知れず、次
元を超え、思いを遥かに越えている。
by 多恵子