2006年01月05日(木)
  「委ねることができた」

Aさん、年始の交わりの中で、改めて大きく
変えられた事を語り合う。

聖書や神様や教会への拒否反応は全く
無く、御言葉を聞くのも嫌でなく、訪問して
もいつも快く迎えてくれた。

でも、十数年もなかなか神様の事がわから
なかったよね、と笑う。長かったよね、と。

神様の事がわかり出したのが、やっぱり
子供の事で、自分でどうにも出来なくなり
神様に心の底から祈った。切羽詰まった
断崖絶壁の時に、神様を頼った。

どうにも出来ないので、子供を委ねた、
その時に、遠かった神様がすぐそばに
ぐんと近くなった。それから段々神様の
ことがわかって来た。焦点が合って来た。

生活の様々な困難が起こる。神様を知って
いて本当に、本当に良かったと心底思う。

でも、その知れる時が、やっぱり自分の窮
地の時、絶体絶命の時、試練の時。

あの試練があって良かったと、思えるから
感謝だと。あれが無かったから、神様の事
はわからなかった。自分でどうしようも出来
ない時にこそ、神様を知る。

頭ではわかるが、どうしても委ねられない、
委ねられないと言っていたAさん。
断崖絶壁、絶体絶命の時は、自然に委ね
たというか、たぶん委ねざるを得なかった
神様の取り扱いだった。

子供を委ね、自分を委ねた時、子供を最善
の道に導いて下さった。子供を最も幸せな
道に導いて下さった。

委ねる事が最善、しかし、出来ない者を、
愛なる主は環境を通し、そう出来るように
して下さる。
放っておかれない事が感謝だ。
by多恵子