2006年08月12日(土)
  「よみがえりの主」

今は、会堂でイースター礼拝をして、その後、
近くの見晴らしの良い山の山頂へ行き食事交
わりをしている。

ずっと以前、まだ人が多くない頃は、朝6時
に集合。山へ行き、早天礼拝をした。(電車
が無いので、3時起き4時出で遠方まで迎え
に行った事も)
朝のまだ膚寒い、ひんやりした空気の中で、
身が引き締まりながら、よみがえりの主を覚
える格別のひと時であった。

礼拝後、会堂に戻り暖かい朝食を共にした。
ほっとし、御言葉の恵みで心が満たされた後、
和やかな楽しい交わり、霊肉共に恵まれた。

遠方からの人が増え、人数も増えて、6時集
合は無理になり、早天から野外イースター礼
拝へと移行して行った。通常の礼拝時刻に、
お弁当持参で集合。
礼拝後、その年のイースターの日時の加減で、
あわよくば満開の桜の下でのバイキング宴会
となった。

これは桜の季節とあいまってか、ご高齢の方
にイースターではなく、「教会のお花見」と
いうことで定着していた。

個人的には、よみがえりの主に、献身した時
に出会った。
「ここにはおられません。前から言っておら
れたように、よみがえられたからです」
「すると、イエスが彼女たちに出会って、『
おはよう』と言われた」マタイ28:8

絶対に生涯を献げるのは無理、不可能、自分
のプランがある。絶対に出来ないと抗し続け
ていた。
しかし、母教会の宣教師が祈りに祈り続けて
くれていた。

生涯献げる事など出来ないし、かと言って、
世の虚しさは嫌というほど知っている。世に
帰る事は絶対に出来ない。

進む事も退く事も出来ず、完全中途半端。
平安もなく、喜びもなく、世は虚しいが、それ
はよくわかるが、かと言って、神の素晴らしさも
ほとんどよくわからない。

こんな歩みに、とうとう行き詰まり、追い詰められ
て、献身の決心をした。
その時に、初めて神様ご自身に出会った気がし
た。心が満ち満ちて喜びが溢れた。

献身後、聖書を読んでいたある日、よみがえり
の箇所を読んでいて、まさに目の前によみがえり
のイエス様が現れたようだった。心が隅々まで完
全に満たされたのであった。喜びが満ち溢れた。
まさによみがえりの主に出会った。

by多恵子