2006年11月03日(金)
  「天に宝を」

A教会の献堂式に出席した。
その教会のBさんが証しをされて、とても恵まれた。

遙か遠方の地から、親族の救いのために、示され
てC市にやって来た。しかし、来た時は職もなく
何の当てもない。ただ神が導かれたから来た。

しかし、そのC市で思ってもみない仕事が与えられた。
クリスチャンゆえ与えられた仕事であった。そして、その
地で牧師が与えられるようにという、大胆な祈りを導
かれ献げ続けた。
すると、本当に神学校を卒業したばかりのD先生が
主に導かれてやって来られた。神の奇しいみわざに
驚いた。

やがて、ご両親が救われた。その父親が亡くなられ
た時に、遺産が入った。その遺産すべてを神に示さ
れて、会堂建設のために献げられた。

これは神から来たもの、神のもの、自分のものには
出来ないと。“金銭を愛する生活をしてはいけませ
ん。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身
がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを
離れず、また、あなたを捨てない」”ヘブル13:5

素晴らしく立派な会堂が建ち、神の栄光が溢れて
いた。Bさん通して、主に従う事の素晴らしさを教え
られた。

自分の喜びでなく、主に喜ばれることを選び取って
行く時、そこに真の喜び、主からの喜びが与えられる。
自分のために生きても、ほんとに虚しい。
天に宝を積む歩み、天を見て、今日も生きること
ができるように。富も時間も賜物も、天に積んで
行くことができるように。

by多恵子