2006年12月07日(木)
  「主のこころ」

最近カルトの学びをしたり、カルトから逃げ
て来た人々の事を聞いたりする機会がある。

マインドコントロールとは、例えば、魚とまな
板と包丁だけが置いてあって、鍋もガスも無い。
さあ、どうぞ自由に、自由に、あなたの自由に
調理しろと言われて、刺身しか作れない。

それに気づかずに、自分で刺身を作る事を選ん
で、自発的自由意志で刺身を作ったと思っている。
実は裏でコントロールされている。

洗脳は、直で、もろでわかりやすい。キリストは
神でない、神でないと、すり込まれてること。
北朝鮮から帰国した人々のように、環境が変われ
ば、元に戻る。

指導者の野心、欲望追求のために利用される。
神の名のもとに、聖書のもとに、良心に恐れや、
とがめを与えて、人々を支配して行く。従わない事
は自分が悪いと、良心がとがめようになる。
そのようにコントロールされる。
自分で考えるより、指図された事をする方が楽だか
ら、指導者のいいなりになって行く。

神に従っている指導者なら、その人と神との関係
を育てて行くように、導いて行くはず。

面白かったが、
深夜にジャンジャカ、バンバン賛美して、隣人
から怒鳴り込まれた。主のための賛美をしている
のに、怒鳴り込む方が悪い。サタンじゃ。迫害じゃ。

皆で大笑い。「それって変だと思わんのん?」「中に
いると全然思わんかった。今はしっかり思うけど」
「でも、そういうの前にも聞いた事あるわ」

「暖かい神様なんて全くわからない。厳しい恐い
だけの神様」「いつも安堵感があって、平安で、
自由なんだよ」「自由なんて、わからない」

カルト、カルト的・・って、心がない。
主のお心がない。形は全部あって、外側は同じ
聖書の御言葉、でも、冷たい、冷え冷えした牢獄
のよう。

イエス様の弟子たちって、逃げた。自由に逃げること
ができたってことは、いっさいマインドコントロール
されていないんだ。

イエス様の周囲にいつもパリサイ人もいた。
ほんとに、イエス様のお心を思っていないと、
それてしまう。主のためにとやっていて、間違いに
気づかない。

by多恵子