2007年03月02日(金)
  「自分の中でグルグル」

信仰生活、神を信じるのが本来の信仰だが、自分を信
じ、自分の中でグルグル回っているだけ、ということ。
でも、自分は神を信じているつもりだから、気づかない。

Aさん「私もわかる。あ、自分のことだと思った。神
様に向き合ってるんじゃなくて、自分の中で、自分に
向き合ってるだけだと、感じたことがある」

Bさん「自分がカードを持っていて、今のこれは試練、
これは愛すべき、と対応カードを持っていて、状況に
応じて、自分がそのカードを持ち出して、処理してい
る。それぞれが別々のカードで、対応しているのも自
分。そこに神が無い。すべて自分がしている。信仰生
活を何か大きく勘違いしている。

自分がもう全面ギブアップで、断崖絶壁でどうにもで
きない時は、神様に心底頼っているのがよくわかる。
でも、普段は、頼って無くて、自分で生きてて、自分
でやってる。

それぞれの場面場面に、信仰的と自分が思う対応をし
て行く事じゃなくて、信仰とは自分を献げて行くこと
なんだと、教えられる」

「そこに至った時、献げられない自分、献げたくない
自分、そこに行き着く。自我が頑強にあって、献げら
れない。神様、神様と言いながら、自我の強い、自己
中心な自分を知る」

でも、自我の強い、自己中心な自分が見えるという
事は、自分の中でグルグルしているのではなく、神に
向いたという事だ。光に向かう時、自分の姿が見える。

献げることができないという事が、見えていることは
神の恵み。見えていることは、祈りにもって行ける。
祈って行く時、神はその祈りを聞いて下さる。

神に向き合っておらず、自分の中でグルグル回っている
時は、自分が神なわけで、常に自分は正しくて、何の
問題意識も感じない。
御言葉を自分が取って来て、成就するように念じている
状態。神は語っておられない。
実は目をしっかり閉じて、見ようとしない状態。神だ
と思っていたものが、実は自分であり、自分の中だけ
の世界だ。そこは自分の思い通りだ。

いろんな状況の中で、御霊が働いて下さって、状況と
御言葉が一致して、何だか気づけたりする。御霊の働
きだ。