2007年04月04日(水)
  「私たちではなく、神が」

培われた根深い古い価値観がある。

今この瞬間もこのままで愛していて下さる。私が
神を愛したのではなく、まず神が私を愛して下さ
った。
これがなかなかわからない。このまま受け入れら
れるとは思わない。こんな自分が愛されると信じ
難い。

このままの自分はダメで、神様に従っていたり、
神様を求めていたり、神様に近くいるなら受け入
れられると、漠然と思っている。つまり底の自分
はダメ人間。

Aさん「もう忙しくて忙しくて、する事が山積み
で追っつかない。朝の出勤も早いし、デボーショ
ンがもう取れない。ああダメだと思う。
携帯配信の日々の御言葉は必ず見ていて、命綱。

まずこのままで愛していて下さる。という御言
葉が心に響いた時、デボーション出来ない自分
を、まず神がこのまま愛していて下さるんだと
思った。

愛されていると思うと、すごく嬉しくなった!
ほんとに嬉しくて感謝な思いが湧いて、心に喜
びが来た。重い心が軽くなった。

その時、少しでもデボーションしたいと思った。
『ねばならない』『ダメだ、ダメだ』じゃなく
て、『したい、神様に近づきたい』と心から
思えた。

すごい不思議ですよね。出来ない自分をこのまま
で受け入れて下さっていると知る時、そんなら、
このままでいいんなら、デボーションしなくて
いいやでなくて、したい!と思えるんです。心か
らの自由な、自発的な思いが来る」

愛していて下さる。今、このまま受け入れていて
下さる。だから、神様に感謝して、喜んで従って
行きたい。神様の愛に応えて行きたい。

邪魔をするのが、自分はダメという“この世の価
値観”。「この世と調子を合わせてはいけません」

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを
愛し・・」Tヨハネ4:10

今日も愛されていることを思うと、心がわくわく
する。嬉しい〜!