2007年06月07日(木) 「見えない者が見えるように」
若い頃からの友人と話していて、 人生3分の2も過ぎて、振り返ると色々あった よねえ、と。 友人がしみじみと語った。「もう波瀾万丈だった。 私、粉々に砕かれたわ」「うん、信仰生活って砕か れる歴史だよね」 「ほんと割礼だね。皮がはがれて、むける感じ」 「そうそう、皮がはがれた感じ。痛くて苦しくて 血が流れて、もう耐えられない苦痛なんだけど、 でもほんとに、砕かれて良かった。感謝しかない」 「振り返れば、失敗が感謝で、失敗により高慢が こてんぱんに砕かれる。失敗の無い人生なら どんなに高ぶっていただろうと。その高ぶりに すら気づかない。」 「今、わかる。私、本当に高ぶってたわ。でも それが、信仰によって歩むことだと、信仰を貫く ことだと、信じていたから恐いよね」 「うん、言ってること、わかる。わかる」 「自分の力で頑張って、人をさばきまくって、神様 の心と正反対の方向へどんどん進んで行く」 「あのまま行っていたら、ほんとに心の底から 恐い。失敗して、砕かれて、恵みが知れて本当 に良かった。 失敗したけれど、失敗する前に帰りたいと思わな いんよ。神様の愛を知れて、恵みを知れた今が、 ほんとに感謝で、感謝で」 信仰のつもりが、信仰の名を借りた、自己主張で、 世と妥協しないという名を借りて、バッサバッサと 周囲を蹴散らして行く。それが勝利だとの勘違い。 「目の見えない者が見えるようになり」ヨハネ9:39 今、ほんとに見える。盲目だったんだ。主があわれんで 目を開いて下さった。 でも、ほんとに盲目で良かった。 見えていたなら、心底盲目となる。「見える者が盲目と なるためです」