2007年07月07日(土)
  「懲らしめ」

先日、1才のA君が、大人に「ペン!」とほんの
少し叩いた。
すると、A君ママが「大人の人にいけません」と
叱った。

A君は叱られると、泣き出した。「ちゃんと謝り
なさい」とママが言う。続けて大泣き状態だ。
「泣いてもだめ!ごめんなさいを言いなさい!」
と叱る。

しかし、A君は大声で泣き続ける。しばらく待つが、
ごめんなさいが言えない。
謝るようママは迫る。尚も泣くばかりで言えない。

1才の子供だが、自我があって、頑なな心があって
ごめんなさいを言わない、のがわかる。
紛れもなく自我から来ている。罪の性質がある。

ママは、尚も謝るように言うが、それができない、
自我がそうさせないのだ。

A君ママは、別の部屋へA君を連れて行き、お尻を
しっかり叩いた。
すると、A君は、心素直にされ、「ごめんなさい」
が言えた。

神様と私達の関係を見るようだった。まず御声をかけ
て素直に従順に従うように、招いて下さる。
そこで、従えれば、それが一番良いのだ。

しかし、自我があって、従えない。どうしても頑な
な固い心があって、従えない。
すると、神様はむちを持って来て、懲らしめられる。

痛い目に会うと、さっと従うのだ。痛い目に会って、
自我が砕かれないと、従えない。何と頑なな心だろう。

しかし、これら一連の、神様の動機は愛そのものだ。
A君ママが愛するゆえに、A君のお尻を叩くように。

A君はちゃんとわかってる。それ以後は、つい口ぐせ
で「ペン」が出てしまうようだが、「ペン」と出た
途端わかってて、さっと表情が変わり、神妙になる。

神様が自我を砕いて下さる時、心素直に従える。
自分から進んで従ってゆけたら、どんなによいだろ
うに。

「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の
聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです」
ヘブル12:10