2007年08月12日(日) 「種が入らないと・・」
「聞いていることによく注意しなさい」 御言葉の聞き方、聞く態度が、種蒔きの「土地」だ。 御言葉は「種」だ。 御言葉を聞く時に、他の思いが入って来る。 サタンだ。他の思いをどんどん入れて、御言葉を取っ て行く。奪い去る。 メッセージを聞く時にも、デボーションで御言葉を読 む時にも、祈る時にも、どんどん思いが幾らでも入っ て来る。 サタンが他の思いを入れて妨害している。他の事を 考えている。 御言葉と思いと、同時進行で聞いていると、「勘違い」 するが、御言葉は全然入っていない。 種が入らないから、実が成りようがない。 又、他人事として御言葉を聞く。傍観者として聞く。 自分の事として聞いていない。映画館で映画を観て いるように、御言葉を聞く。 目の前を、すう〜っと素通りして行ってしまう。 Aさん「私、それだ!なんかすごくわかる!いつも何か 他人事で、自分の事として全然聞いてないから、だから、 自分の中に御言葉がとどまらないんだと、よくわかる。」 Bさん「同じ。御言葉をほんとにぼおっ〜と聞いてる。 結局何を聞いたのかがわからない。残らない。サタンに 取られてるんですよねえ。自分では聞いてる“つもり” だけど、全然御言葉が入ってないんですよねえ」 御言葉を聞く時、自分の思いも邪魔し、妨害する。 「そんなん無理」「到底無理」「できっこない」の自分 の思いが、同時進行で起きて来て、それがあると 御言葉が心に入るのをシャットアウトする。入れない。 自分は御言葉を聞いている「つもり」だが、シャット アウトされて、入ってない。 Cさん「ずうっと御言葉聞いてるんだけど、神様の事が 全然わからなかった。“そんなんできっこない”と御言葉 聞く時に、いつも思ってて、それでだ!それが妨げて たと、よくわかった」 まず御言葉が入らないよう、サタンは妨害、遮断する。 入ってしまうと、今度は、自我に働いて、御言葉に 従わないよう誘惑する。何とか出た芽を枯らしてしまう。 又、いばらをどんどん生えさせて、せっかく心に入って、 種から出た芽をふさいでしまう。 この世の付き合い、価値観、名誉、賞賛を求める 心、楽を求める心、金持ちになりたい、目に見える もの、見えないものを所有したい誘惑、いろんなもの が生えて来て、芽をおおってふさいでしまう。 優先順位が狂ってくると、神様のことが後ろへ後ろへ 追いやられてしまう。いつしか神様から離れてしまう。 「いばらに邪魔されるのがわかる。出て来たいばらを どんどん抜いて行けるように」 御言葉を入れさせない、入ったら何とか枯らそうと、 常にサタンが妨害している事に、心していよう。