2007年10月09日(火)
「主の平安」
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ミャンマーで亡くなられた戦場カメラマンの事が知り
たいと、テレビをつけたら、突然カンボジアが出て来た!
偶然で、新聞を見ると番組に出ていて、チェックして
いなかった。そのまま見入った。
いろんな人が「見たよ!」と。日本人の小児病院勤務の
女性看護師さんが、病院に来れない子供達を、こちらから
家々を訪問して看護していた。朝から晩まで休む間もなく、
それこそ献身的に労しておられた。
家を訪問するが、それが物凄く貧しくて、小屋のような
家で、子供たちは食べる物が無くて、飢えている。
施設にいたら、食べられるので預けてくれと頼むが、
親が自分の世話をさせるために必要なので、子供を
置いておく。
後ろ髪を引かれる思いで、次の訪問先へ急ぐ。まだまだ
訪問しなければならない。
母親が、5,6人育てている家でも、ひどく貧しい。
一つの鍋の野菜汁みたいなのを分け合って食べている。
働いても働いてもお金にならないと、母親はどうにも
ならない現状を背負っている。
とにかく貧しい。食べ物が無い。薮の中に赤ん坊が捨て
られていたと病院へ。看護師さんが命とりとめ寝かされて
いる赤ん坊を、時間があれば抱く。スキンシップのために。
赤ん坊の面倒を見てくれる里親を絶対に探し出すと、自分
に出来ることはそれしかないからと、看護師さん。
エイズにかかっている子供たちが、投薬治療を受けていた。
一生薬を飲み続けなければならないそうだ。
男性の出演者が、「知らなかった」と言った。カンボジア
がこんなだとは。驚きで、ショックで、自分は何してるん
だろうと。
今までカンボジアに関して様々、見聞きしていたので、そう
なんだろうなと、まさに現状なんだろうなと見ていた。
ベンツを乗り回して、大金持ちの政府関係者。日本の金持ちで
も比ではないそうだ。片や、首都でも、夜に裸のまま、物乞い
している子供たち。余りにも落差が大きすぎる。
地方へ行くと、病気になっても、薬も治療もなく、病気になる
と諦めるそうだ。亡くなって行くと。
教会のある青年は、病気になり、見舞うと野戦病院のような
粗末なベッドで、高熱で苦しんでいた。何の治療もなされて
いない。
何もできず、何の手だてもなく、一緒に訪問した宣教師さんと
共に天の御父に祈りを献げたと。祈った時、その青年の顔が安
らかそうに平安になったと。
薬も治療も無い中で、今はその青年はおそらく天国へ帰って
いるだろう。
今、死を迎えようとしている人を、目の前にして、死を乗り
越えた「平安」を与えることのできる、お方を思った。
人間はいつか死に臨む。何十年かの違いで、必ず皆、死と向き
合う。
薬も、物も、お金も与えることのできない、死を前にした
「主の平安」この平安を今、手にしていること感謝。主ご
自身を得ている、ことの感謝。死の陰の谷も主と共に越え
ることができる安堵。
その先には、永遠に朽ちることのない平安と喜び。
何という救いだろう。何ものにも替えられない「平安」
という宝を得ている。
「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っている
ことのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っていま
す」ピリピ3:8
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