2008年04月01日(火)
  「主を喜び感謝すること」

恵まれたこと。他教会のキャンプに参加。

盲人の目が開かれる箇所からのメッセージがあり、
喜びも、希望もない人生を送っていた。

イエス様が目を開けて下さって、「彼はたちどころ
に目が見えるようになり、神をあがめながらイエス
について行った」

そして「これを見て民はみな神を賛美した」

目が開かれた盲人は@「神をあがめた」
A「イエスについて行った」
B「これを見て、民は神を賛美した」

@私たちの人生は、神を崇める目的で生きて行く。
神を喜ぶために生きる。
A神のみこころを実現するために生きて行く。
Bそのように生きて行くことが、証しとなって人々
は神を見る。

見えるようになったのは、神のただ一方的なあわ
れみであり、あわれみ以外の何ものでもない。

神のあわれみを受けた。「神のあわれみ」これが
すべてにおける生き方の動機であること。

このメッセージを聞いて、その教会の一人の婦人
Aさんが「私は子供が生まれてから、子供に手が
かかり、今はあちこち動き回り、目も離せない。

教会で皆が一生懸命奉仕して下さっているのに、
自分は子供を抱えて、思うようにできない。
奉仕して下さっている皆に申し訳なくて、いつも
心が痛くて、苦しくかった。

でも、今日、そうじゃなくて、神様の救いを喜ん
でいる事、神様のご愛に感謝して、神様を賛美して
いることを、神様は喜んで下さるとわかった。

自分は何もできないけれど、神様を喜んで、心から
感謝して、御名を崇めて生きて行きたいと、本当に
心が軽くなりました。平安と喜び与えられました」
と泣きながら証しされた。

本当に信仰の原点、神様のあわれみによって救われ、
あわれみによって、今ここにあり、心から神様に
感謝し、神様を喜んでいたいと、それが御名を崇める
ことであり、それが一番の証しになるのだと、とても
心恵まれた。

Bさん「ほんとに立ち返らせられます。自分が忙しく
バタバタバタバタしていると、自分だけ忙しいと、何
だかイライラしてきて、家族に対しても、もっとやっ
てよと、周囲をさばいてしまう。

本末転倒で、何をしているのかわからなくなる。あわ
れみによって救われたこと、救いに感謝して、神様を
喜ぶこと悔い改めて、そこにいたいです」

あわれまれている事、神様に感謝する事、賛美する事、
神様を喜ぶ事、いつもそこに立ち返りたい。