2008年05月05日(月)
  「無いものでなく、有るものを」

丁度、もう一人ご高齢のB婦人と電話でお話した。

足を痛められて、集会に来れず、養生しておられる。
「もう高齢の大台も、大大台に突入です」と笑われ、

「まあ、感謝じゃなあと思いましてね。箱車押して、
ほんの近くまででないと歩けないんですが、何とか
階段を一段一段上がれる事が、感謝でならないです。

一段一段祈りながら、上るんですよ。上れることが
感謝でならないです。
近くのお店に行けますし、生活ができていることが
神様の守りで、感謝で、感謝で。」

お独り暮らしで、足も痛められて、先を見るなら不安
と恐れと思い煩いしかないところを、

不平不満、愚痴が全く無く、口から出るのは感謝の
言葉のみ。
視点の置き方一つで、天と地ほどに違って来る。

神様に視点を置くなら、どんな状況でも、平安と感謝
しかない。
状況と自分に視点を置くなら、不平不満、愚痴、煩い
しかない。

状況は全く関係なく、どこを見ているかだけだ。
感謝を献げ続ける人を通して、周囲も引き上げられる。
恵みがまき散らされ、恵みが伝染して来る。
喜びと平安が流れ来る。

あれも感謝、これも感謝と、溢れるばかりに感謝
しなさいの通り、喜びが流れ込んで、恵まれて恵
まれて受話器を置いた。

Bさんの面白い証しがある。

「かなり郊外の教会で、年末の大掃除で、二階の
窓拭きをしていた。すると、網戸がポロッと取れ
て、真っ逆さまに落下。

一瞬の事に、驚き慌てるが、又、その瞬間「神様
感謝します!」と叫び祈った。
そして、下を見ると、何とそこは隣の葬儀場の駐
車場!

おそるおそる、網戸の行く先を見ると、何と!そ
こだけ空いていて、車が無かった!!隣はベンツ!

神様、感謝します!! ほんとに神様でした」と。

無いものを数えて、不平不満、愚痴の人生でなく、
与えられているものを、有るものを数えて、感謝、
感謝、感謝の日々でありたい。