2008年11月07日(金) 「宝のあるところに心もある」
素晴らしい秋晴れ、真っ青な空に、日差しはやや 強いが、風が少しひんやりと、さわやかで、何とも 心地良い。 隣県で仕事をしている次男を、久し振りに訪ねる。 眼下に、水平線まで広がる海が眺望できる山の 上のレストランに案内してくれる。 見渡す限りの海の水面に、陽が反射して、白くキラ キラとまぶしい。緑の田や家々の遠景、綺麗な景色 に、穏やかな、気持ちの良い気候。 長閑さの中で、何やかやと談笑し、休息の時が 与えられる。 神様の御手の中に、すっぽりと、包まれている大きな 平安と安堵感。 眼前の大海原と、青い空を見上げ、心地良い風を 膚に感じつつ、あれやこれやと考える。 今、婦人会で「再臨」の学びをしている。 いつか、イエス様と、顔と顔を合わせてまみえる。 その時のために、今を生きること。天を見据えて 天に繋げて、この一日を生きることを学ばされている。 目の前に流されるのでなく、地ではなく、天に焦点を 当てて、天に宝を積む生活。 学びの中で、Aさんが、天を思い、再臨を思い、 今から、余計なものを捨てて行きたい、握りしめて いるものも手放して行きたい、焦点定めて歩んで 行きたい。 「シンプルライフだ!」「そうシンプルライフ!」(^^)/ 「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。 しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。 それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。 それゆえ、私たちに自分の日を正しく生きることを 教えてください。 そうして私たちに知恵の心を得させてください」 詩編90:12 ダビデが祈ったこの祈りが、心にピッタリ!と来る。 「それゆえ、私たちに自分の日を正しく生きること を教えてください」 天国までの、再臨までの、後どれだけかわから ないが、残された日々を、この一日を無駄にせず、 主に喜ばれるように、天に宝を積む日として、 有意義に生きることができるように。 そのために「知恵の心を得させてください」との 祈りが、今日も必要であることを教えられる。 ある証しがあった。 長年牧師をしていた父親が、今際の際で、 まさに息を引き取ろうとしていた。 家族は全員集まり、悲しくて泣いていた。 すると、その父親が言った。 「私はイエス様に出会ってから、今まで、ただ この一事のために生きて来た。天に備えをする ためだ。 私の生涯すべてをかけて、天に宝を積むため に生きて来た。今その報いを頂くために、天に まさにその喜びの所へ行こうとしている。 私の生涯最高の日だ。何を泣くことがあろうか」と。 「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある からです」マタイ6:21 天に宝を送ると、心が天にあるようにされる。