私は 三浦綾子氏の 塩狩峠・道ありき三部作などを読み,キリスト教に惹かれるものがあり、親しみを覚えました。
パブテスト教会にも 数回足を運びました。
私は 息子の事で悩みを持ち、一人神に祈っております。
祈りが通じる事を信じて。
自分の負い目を すべて神に委ねる事が出きれば、どんなに楽になる事でしょう。
でも、同居している高齢の主人の両親は 熱心な仏教信者です。
舅にたいしては 人間として 尊敬もしています。
私がキリスト教を信じるなどと言う事は、彼等にとって 到底理解されるとは思わないし、認められるはずも無いでしょう。
私が 儒教的な考えなのかもしれませんが、親の気持ちを考えますと、黙って教会に
行く事は はばかられますので、今のまま 聖書や本に接し、自分なりに宗教を 構築していく事が、何も失わずに 楽な方法なのかと思います.
しかし、自分自身が この状態で満足しているわけでは有りません.
かと言って、真の信仰への道に突き進む事は、両親だけでなく 夫とも異宗教とも成得るので、先の事を考えると 怖く思うのです。
改宗の経験を お持ちの方は、どの様に対処されたのかを どうかお教え下さい.