2026年04月02日(木) 「・・そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つの とげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、 私を打つための、サタンの使いです」Uコリント12:7
「・・そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つの とげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、 私を打つための、サタンの使いです」Uコリント12:7
パウロは正しいと信じ、キリスト者を迫害していた。その尋常でな い熱心は神のためと信じての事だった。その中、突然の主の介入に より、180度転換し、命を賭けて宣教の生涯を全うする事に。パウロ は大使徒で、第三の天に引き上げられ、特別な恵みを経験した人物 だ。あらゆる面で秀でた人で、信仰により、何でも出来る人物のよ うに見える。 ところがパウロには、とげが与えられていた。もっと主の働きがス ムーズに出来るようにと、そのとげを除いて欲しいと祈りに祈り、 切なる祈りを献げた。しかし、答えは「ノー」だった。「わたしの 恵みは、あなたに十分である。わたしの力は弱さの内に完全に現れ る」というものだった。 この世の価値観と真逆だ。この世では、強い事が良いこと、能力が あり、力があり、できる事が善であり、弱さは忌むべきもので、受 け入れがたいものだ。しかし、主は、弱いことが良いことで、弱さ の中でしか、神の力は現れないと。培われた価値観と真逆だ。 自分が弱い者であることを認め、日々に、主に拠り頼んで行く事が、 大きな祝福を受ける道であり、それは平安と喜びに歩める事だと。 プライドが妨げるだろうか。自分の弱さを知り、主の御前に認める こと、それが信仰生活の秘訣だ。その時、主が、くびきを共に負っ て下さることを経験して行く。喜びと平安を持って歩める。 -------------- そのままで主に受け入れられているのに、自分が一番ありのままを 受け入れられないのかも知れない。自分の力で主のあわれみや恵み を曇らないよう、主に感謝し、主に頼って歩みたい。
2026年04月01日(水) 「主の使いは、・・『あなたはどこから来て、どこへ行くのか。』 と尋ねた。彼女は答えた。『私の女主人サライのところから逃げ ているところです。』」創世16:8
「主の使いは、・・『あなたはどこから来て、どこへ行くのか。』 と尋ねた。彼女は答えた。『私の女主人サライのところから逃げ ているところです。』」創世16:8
サライは、子どもができない中、夫アブラムの子を、奴隷により 得ようとした。当時の風習であり、肉には良い策だと思えた。ア ブラムも、サライによる提案という事で受け入れた。しかしハガル に子どもができた時に、ハガルは奴隷ながら、優越感でサライを 見下げるようになった。 肉で事を行なうと、必ず問題と秩序の乱れ、混乱を引き起こす。 肉の手で何かを得たとしても、正しく所有する事ができない。自分 を見下すハガルに、サライは怒り、いじめで報復した。ハガルはそ の仕打ちが、余りにも辛くて荒野に逃げた。しかし御使いが現われ、 サライのもとへ帰り、へりくだって仕えるようにと。 そして主により、子孫が大いに増やされる事を告げた。ハガルとイ シマエルにすれば、自らの意志の及ばない事であり、自分で選んだ 道ではない。ハガルは奴隷であり、どうにもできず、これは彼らの 責任ではない。しかし、状況に対して責任はないが、それに向かう 態度と行動は自らの責任となる。主は彼らを顧みられた。 サライのこの事による教訓は、肉の考え、判断、決定は必ず問題が 生じ、悩みを引き起こす事だ。人間的に最善と思える方法が、必ず しも御心なのではない。又、親しい人からの、御霊によらない肉の 助言が罠となった。そこから大きく道がそれる事がある。聞くべき は、まず主であり、判断と決定の際には必ず主を仰ぎ、主によく祈 り、導きを求めよう。 -------------- いかに自分の最善が主の導きに勝っている事か。祈っていても肉の 手でつかみ取ってしまう。そこでまた争いが起きる。主に祈り、御 言葉に照らして、よく悟れるように主に助けを求めよう。