2026年09月05日(土)

「だから、神の国とその義とを第一に求めなさい。 そうすれば、それに加えて、これらのものはすべ て与えられます」マタイ6:33



私たちはどうだろう。少し不安があると、どんどん
それが大きく膨らむだろうか。経済的不安は、先
々の事にまで及ぶ。身体的不安はどうだろう。体
調を崩すと、何か深刻な病気ではと、不安でたま
らない。大丈夫だと思おうとするのだが、不安は、
増し、眠れなかった経験があるだろうか。

主がおられ、「すべて」の必要は備えられると、励
まされても、どうしてもだめなのだ。何度も学び、
頭ではわかるのだが、先は見えないので、恐れと
不安がどうにもならない。明日の不安に押しつぶ
され、今日の御心を行なう事ができない。今を生
きることが出来ずに、今日一日をつぶしてしまう。

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めな
さい。そうすれば、それに加えて、これらのものは
すべて与えられます」とある。神を第一にするなら、
食べる物、着る物、生活の必要はすべて与えられ
ると。主が与えて下さる。そして何よりも、心を満た
して下さる。よく逆にする。「これら必要なもの」を
第一にして、あくせく走り回り、主が後回しになる。
その結果、思い煩いと不安に支配され、心は重い。

「労苦はその日その日に十分あります」その日にな
すべき御心が備えられている。それは必ずあなた
に出来る事だ。心を集中して、今、出来る事を行な
って行く時、達成感、生きる喜び、平安が与えられ
る。そのために、主を第一にする事が大切だ。もし
修正が必要なら、軌道修正して、従って行こう。

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神を第一にすると「それに加えて、これらのもの
はすべて与えられる」と。神と全必要のどちらも
与えられる。よく逆にしてしまう。目の前の必要
第一に走り回ってしまう。神第一に。


2026年09月04日(金)

「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、 いつも主への賛美がある」詩編34:1


ダビデは「あらゆる時に、主をほめたたえる」と言って
いる。「いつも」「すべての時に」と。つまり喜びや楽
しみの時だけでなく苦しみの時、悲しみの時も、「常に」
「すべての時」だ。実際、この時は、非常に苦しい悲惨
な状況だった。サウル王から一方的に妬まれ、ダビデは
サウルから命をつけ狙われ、逃げ回っていた。

そんな中、もう窮地の策で、サウルの敵、ガテ王アキシ
ュのもとに身を寄せた。敵なら来ないだろうと、しかし
その家来たちがダビデの正体を知っていて、王に告げた。
恐れたダビデは追い詰められ、身の危険を感じ、何と気
違いの振りをした。

気が狂った振りをし、ひげによだれをたらし、屈辱的な、
惨めで最悪の状態だ。結局、アキシュからも追い出され、
ほら穴に逃げ込んだ。何と悲惨な状況だろう。その直後
に「私は主をほめたたえる」と言ったのだ。「私の口に
は、いつも主への賛美がある」と。

順境で喜びの時に、賛美するのは、誰でもする。しかし
そうではなく、恐れて、惨めで、弱く、窮地の、苦しみ
のまっただ中で、ダビデは賛美した。このような状況で
は、落ち込んで、気力が失せ、愚痴と不満でいっぱいが
普通だろうか。しかしダビデは主を信頼していた。

主は共におられる。最悪の状況の中で、主を仰ぎ信じた。
その時に、主は答えて下さる。「この悩む者が呼ばわっ
たとき、主は聞かれた」。私たちも、主を呼ぶ時、主は
答えて下さる。主を呼ぶと、主は答えて下さる、この繰
り返しの中で、主への信頼が、絆が、深められて行く。
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主を呼ぶと、主は答えてくださる、だから試練の中でも、
感謝と喜びが湧き上がってくる。この主との絆が、窮地
の中で主への深い賛美となる。主を呼ぼう。


2026年09月03日(木)

「わたしは烏に、そこであなたを養うように命 じた」T列王17:4


私たちは、主に喜ばれたいと願う。何が、主に喜ばれる
のだろう。あれやこれやをお献げすることだろうか。主
が、喜んで下さるのは、自らに備えて下さっている御心
は何か、又、主の、私へのご計画は何かを祈り求め、そ
れを悟り、従って行くことだ。自分が良かれと思うこと
ではなく、主の御心が重要だ。

でなければ、的はずれになってしまう。もし、主の御心
の中にいるなら、それが目立つことでも、誰にも知られ
ないことでも、王としてでも、門番としてでも、又、そ
れが病院のベッドの上だとしても、主の御心に歩んでい
るので、自分自身には、感謝の思いがあり、喜びがあり
平安に守られる。

主を見上げ、自分と主との関係の中で歩んでいるからだ。
エリヤが、主の示しによりアハブ王に、2.3年の間、雨が
降らないと告げた。これから日照りで、大変な飢饉とな
るだろう。アハブの手を逃れさせるために、主は、エリ
ヤに「ケリテ川のほとりに身を隠せ」と命じられた。

その川の水を飲み、烏に「そこで」あなたを養うように
命じた、と。その主の言葉通りに、烏が朝夕にパンと肉
を運んで来た。普通、烏は食物を運ばない。自分が食べ
てしまう。主の奇跡だった。川が枯れるまで、エリヤは
そこで養われた。「そこで」が非常に大切だ。

御心の中心に、御心の場所にいるなら、すべての必要が
備えられている。エリヤは「行って、主のことばのとお
りにした」。ケリテ川のほとりに住んだ。御心を実行し、
従う時に主のみわざを見て行く。主の御心を求め、その
御心に従えるよう祈ろう。
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日々、自分の希望を叶えるためにはと考え、祈るが、ま
ず主の御心を求めたい。そして、今の場所が「そこで」
あるなら、ますます感謝を深く主に献げて歩みたい。


2026年09月02日(水)

「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられ る。『立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、 落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る』」 イザヤ30:15



信仰生活において、時に、突如の出来事が起きて、動揺、
困惑する事がある。あなたも経験しただろうか。平穏な
日々を過ごしている中、突然の非常事態が起きる。沢山
の人々が、突然、降って湧いたような事態に状況に、戸
惑い、呆然とし、しかし主により導かれて行った。

ある女性は、夫がリタイアし、夫婦でゆっくりとした時
を過ごしていた。そんな中、夫が体調を崩し、風邪程度
に思っていたが、具合い悪く病院へ。すると様々な精密
検査へと進み、思ってもみない難病が発覚。平和な中の
突如の事態に、何をどうすればよいのかもわからない、
パニックに。

肉は、何とかしなければと、とにかく動こうとする。大
きな不安と恐れ、焦りに襲われる。最悪のシナリオが描
かれる。しかしいつも学んでいるように、まず祈ろうと、
教会へも祈りをお願いした。主のもとへ行き、洗いざら
い状況も不安も思い煩いも、何もかも打ち明け祈った。

祈り続ける中で、「あなたの道を主にゆだねよ。主に信
頼せよ。主が成し遂げてくださる」との御言葉が臨んだ。
それに応え、夫のことも自分自身もすべてを主にお委ね
した。すう〜っと気持ちが楽になり、安心感が来た。

その後、病院関係や友人知人、様々な方面から、難病や
病院、施設の沢山の情報、資料が手元に集まり、自分は
何もしていないのに、主のわざに驚いた。最もふさわし
い病院と治療へと導かれた。まさしく主が成し遂げて下
さった。
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必ず主が脱出の道を備えていてくださる事を何度も経験
した。動揺する心を主に向け、祈ろう。目に見えない主
の備えが必ずある。問題のさ中で主が力をくださる。


2026年09月01日(火)

「ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら、 飛び去って、休むものを。ああ、私は遠くの方へのがれ 去り、荒野の中に宿りたい。あらしとはやてを避けて、 私ののがれ場に急ぎたい。」詩篇55:6



ここではダビデは苦しみと辛さ、重荷のため、逃避した
い、逃げてしまいたいと言っている。私たちも、時に、
どこかに逃げてしまいたいと思うだろうか。その時、ダ
ビデはどうしたのだろう。ダビデの逃避は不可能だった。
自分の状況から逃げることはできず、どんなに深刻だっ
たろう。それは、忍び難い苦しみだった。

自分をそしる者が敵なら忍べたが、「私の同輩、私の友、
私の親友のおまえが」と親友の裏切りに、どんなに心引
き裂かれる思いだったろう。実子にも敵対され、攻撃を
受け、「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく」と。ダビデ
は、この苦悩の中で、主に祈った。そして、主に、すべ
てをお委ねした。

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたがたのこ
とを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるが
されるようにはなさらない」と。重荷を主のもとに持っ
て行くなら、主が、私たちに代わって受け取り、心配し
て下さると。経済的苦境、病気、難しい対人関係、夫婦
の問題、育児の悩み、進路・・

自分ではどうにも出来ない難題が与えられている。しか
したまたまでも、成り行きでもない。主のセッティング、
ご計画の中だ。御手が働いている。必ず導いて下さる。
ダビデのように、祈りに持って行き、主に明け渡そう。
そうする時、まず自分の心が落ち着き、平安にされる。
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自分の力ではどうしようもない事を抱え込み、くり返し
考えてしまう。これは重荷だと、主に渡そう。主はこの
苦しみをご存じで、支えてくださる。