2026年05月02日(土) 「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます」詩 篇139:1
「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます」詩 篇139:1
ある説教者が、大きな伝道大会の説教を頼まれた。 重大な働きだ。準備のために心整え、祈り始めた。説 教準備をするのだが、上から与えられない。尚も祈り 続けるが、与えられない。期日が迫る中、焦りを覚える。 一日断食祈祷をし、心を主に向けた。その中で、心の 奥が照らされた。 数名による非難と批判を受けて、ひどく傷つき、赦せな い思い、恨み、憎しみがあった。自分では認めたくなく、 心の奥に封印していた。主の御前に、心底悔い改め、 一人〃の祝福を心から祈った。その時、心がすっきりし て、晴れやかになった。そして上からのメッセージが与 えられた。大きな喜びと共に、豊かに祝福されてその大 会は終えた。 ある人は、仲の良い親友がいたが、卒業後、別々になり、 それぞれ結婚もして、遠方で会う機会も無かった。それが 教会の合同キャンプで、長年振りに出会い、喜んだ。そこ で、相手が、大変賞賛を受ける事態があった時、心さわつ き、動揺したのだ。心が暗くなり、帰宅後、御前に行き祈っ た。あるがままの思い、気持ちをことごとく告げて、主と交 わった。 すると御霊に照らされ、相手への妬みを示された。親友で あり、絶対に認めたくない事だった。しかし紛れもなく、以 前から見え隠れしていた感情だった。それを認めて悔い 改めた。心がすっきりと、平安にされて、主に感謝した。自 分で、内にあるものはわからない。御霊に示され、初めて 認識できる。主は私たちを取り扱い、平安へ〃と導いて下さる。 ・・・・・・・・・・・・・ 御霊の光で、初めて心の底が見せられる。自分ではわか らない。心が何かザラつく時、平安が無い時、御霊の 語りかけだろうか。「聖霊は、すべてのことを教え」て下さり 平安に導かれる。
2026年05月01日(金) 「するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。 『・・そんなことが、あなたに起こるはずがありません。』」マタイ 16:22
「するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。 『・・そんなことが、あなたに起こるはずがありません。』」マタイ 16:22
主が、弟子たちに「多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみが える」と十字架の贖いをはっきりと話された時、ペテロは「そんな 事が起こるはずがありません」と主をいさめた。その時に主は「下 がれ。サタン」とペテロに向かって言われた。その前に、ペテロは 「あなたは生ける神の御子キリストです」とすばらしい信仰告白し たばかりだ。 主も、この事を明らかにしたのは、人間ではなく、天の父だと言わ れた。その後にペテロは、今度はサタンの声に聞いている。ペテロ が、サタンからの思いを受け入れたのは、「神のことを思わないで、 人のことを思っていた」からだった。王となり、ローマ帝国の支配 から解放してくれる主が、死ぬ、殺されるなどと有り得ない、有っ てはならない事だ。そのため否定した。 私たちもどうだろう。思いを吹き込むサタンにだまされる時は、肉 の思いにいる時だ。その時は、決まって主が意識から飛んでいる。 目に見える所だけを見ている。肉の損得や情や欲望に支配され、神 無しで判断してしまう。サタンにやられてしまう。パウロは「今後、 人間的な標準で人を知ろうとはしない。 かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもう そのような知り方はしない」と言った。人間的な標準とは、御言葉 でなく、肉の価値観だ。サタンは巧く世の価値観に誘い、方向を誤 らせ道を間違わせてしまう。自分は正しいと思うのでやっかいだ。 主に拠り頼み、祈っていよう。御言葉に立とう。 ------------- 見方によって全く違ったものになる。世の価値観のまま、安易な受 け答えをしがちだが、どちらに立っているだろう。御言葉に立ち、 主の御心に添った生き方を祈りたい。