2026年03月12日(木) 「このおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません・・ どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注 ぐのみです」U歴20:12
「このおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません・・ どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注 ぐのみです」U歴20:12
ユダ王国が、アモン、モアブ、セイルの大軍から攻撃を受けて、絶 体絶命の窮地に陥った。ヨシャパテ王はこのおびただしい大軍に無 力であり、どうすればよいかわからない。ただ主を仰ぐのみと。そ の時、主の霊がレビ人ヤハジエルに臨み「この大軍に恐れるな、気 落ちするな、この戦いはあなたの戦いでなく、神の戦い。明日、彼 らに向かって出陣せよ。主の救いを見よ。主が共にいる」と告げた。 ヨシャパテはひれ伏し、主を礼拝し、すべての民も礼拝した。そし て主を賛美した。翌朝早く出陣した。その時、歌う者たちを任命し、 軍の先頭に立ち「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」と喜び の声、賛美の声を上げ始めると、主は伏兵を設けて、攻撃して来た 大軍を襲わせたので、「彼らは打ち負かされた」。 敵の死体が野に転がって、逃れた者は一人もいなかった。主が奇跡 をされ、大勝利した。出陣した時、現実には、敵はおびただしい大 軍だ。目に見えるところは、絶対に勝ち目はない。恐怖で怯え、ひ るんでしまう。だが主を信じ、賛美の声を上げた時に奇跡が起きた。 「地のすべての王国が、神がイスラエルの敵と戦われたと・・聞いた 時、神の恐れが彼らの上に臨んだ」。今、目の前の難題で、不安と 恐れのまっただ中だろうか。恐れをありのまま主に告げよう。思い の丈を祈ろう。主に従ってみよう。感謝を献げ、主の示しに従おう。 伏兵が備えられていて、主によって、必ず乗り越えて行ける。 -------------- 現実を前にして、すぐに恐れてしまう者だが、弱さのままで支えて くださる主に、ありのままを祈ろう。主の御力を信じる信仰を求め、 主を賛美しよう。すでに勝利している証しだ。
2026年03月11日(水) 「ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあと にして、成熟を目ざして進もうではありませんか」へブル6:1
「ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあと にして、成熟を目ざして進もうではありませんか」へブル6:1
私たちクリスチャンにとって、願いが叶う事は、大変嬉しい事だ。 主は、御心に適った願いを叶えて下さる。その時には、主に感謝を 献げよう。しかし、大人になるために、段々と堅い食物をとる必要 がある。私たちは、辛い苦しい事は避けたいし、好きではない。思 い通りになる事は大歓迎だが、そうでない事柄は非常に受け入れ難 い。 だが思い通りでない事柄により、私たちは砕かれ、練られ、鍛えら れ、成長する。砕きのために、主は、あなたの前に、思い通りにな らない事態を置かれる。振り返る時、どうだろう。どうにもならな い、悶々状態の中で、主を叫び求めたのではないだろうか。主に拠 りすがる事によって、一歩〃成長して来た。 言える事は、成長を望むなら、痛い事を逃げるな、避けるな、だ。 それによって、霊の感覚が訓練される。苦しみの中で、あがき求め る中で、御霊からのもの、サタンからのもの、肉のもの、これらの ものが、少しづつ〃クリアにされて行く。今までわからなかったも のが、はっきりと見えて来る。頭の理解でなく、経験によって、霊 的理解が培われて行く。 苦しみを通りながら、良い物と悪い物を見分ける感覚が訓練され、 鍛えられて行く。サタンと戦いながら、主に拠りすがりながら、霊 的感覚が研がれて行く。霊的成長を願うなら、困難から逃げてはな らない。苦しみから逃げて、もっと大切なものを逃してしまう。 目の前の問題を、主と共に乗り越えよう。成長させようとして下さ っている。 ------------- 逃げられない環境や病を通して、目に見えない主を知り、信仰によ ってのみ与えられる平安を受ける。主が全ての問題に関与されてい る。失望せず主と交わり、成長していきたい。
2026年03月10日(火) 「わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、 その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地・・に、彼らを上ら せるためだ」出エジプト3:8
「わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、 その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地・・に、彼らを上ら せるためだ」出エジプト3:8
モーセは、エジプトで王子として育てられた。文武両道、非常に有 能であり、言葉にもわざにも力があった。地位に伴う影響力のもと 40才の時に、同胞を救おうとして、虐げるエジプト人を殺してしま った。助けるが受け入れられず、ミデヤンの地に逃亡する。自力で 事を行おうとして、手痛い失敗をした。 ミデヤンの地で妻を得、家庭を持ち、舅に仕え、荒野で羊飼いとし て40年を過ごす。栄華の中にいた王子が、無名の一介の羊飼いだ。 毎日〃何も無い荒野で羊を飼う生活だ。かつての栄光からでは、落 ちぶれた、人生の無残な敗北者だ。しかしながら家庭を持ち、穏や かな幸せもあっただろうか。 主の計画があり、モーセの力が砕かれ尽くした時が、神の時、到来 だ。40才の意気軒昂な時でなく、80才のモーセを、主は召し出され た。実は、荒野で、主はモーセを訓練され、整えておられた。今度 は、主自身が遣わされる。モーセは、今さら何を?なぜ私が?と尻 込みするが、主は説得して行かれる。そしてモーセは従って行く。 あなたは今、「どうしてここに?」との、荒野にいるだろうか。主 はあなたを、訓練し整えておられる。今の場で忠実に従い、主を待 ち望もう。又、今、あなたは何らかの働きに召し出されているだろ うか。主の、あなたへの時であり、ご計画だ。信仰もって受け止め、 従おう。主が共におられる。 -------------- 主は特別な力も能力も求めず、主に信頼し従う者を求めてくださる。 今、置かれている場所も、自分が知らないだけで、必ず主の守りが ある。主がふさわしい時に導きだし用いてくださる。
2026年03月09日(月) 「主はヨシュアに仰せられた。『見よ。わたしはエリコとその王、 および勇士たちを、あなたの手に渡した。』」ヨシュア6:2
「主はヨシュアに仰せられた。『見よ。わたしはエリコとその王、 および勇士たちを、あなたの手に渡した。』」ヨシュア6:2
今、私たちの目の前にも、岸いっぱいに溢れるヨルダン川が横たわ っているだろうか。又、難攻不落のエリコの城壁がそびえて立ちは だかっているだろうか。苦しい状況だろうか。主は、解決へと導い て下さる。まず「身をきよめよ」と言われる。御前に静まり、御霊 に心を探って頂き、もし罪があれば悔い改めよう。 頑なな思い、赦さない心、憎しみ、不従順・・示されるままに、主に 告白しよう。豊かに赦し、きよめて下さる。主は、船も橋も無い、 水が溢れ返ったヨルダン川を主の示し通りに祭司たちが水際に浸っ た時に、せきをなして立ち、完全にせき止められた。エリコの戦い では、不思議な方法を示された。町の回りを1度、6日間回り、7日 目は7度回り、ときの声を上げる。変わった不思議な方法だ。 しかし民がその示しの通りに、従順に従った時、エリコの城壁は崩 れ落ちた。人間的な力では全く無かった。何の関与も無かった。主 の御力であり、奇跡であった。いつも学ぶように、まず主の御声を 聞いて、主に示された通りに従うことだ。「城壁はくずれ落ちた」、 その時、あなたの前にそびえて立ちふさがっている、難題の城壁が 崩れ落ちる。 又、心の中の城壁も取り扱って下さる。今、主の御前に静まり、よ く交わり、御霊に心をよく探って頂こう。悔い改めるよう示されて いる事柄は無いか。「身をきよめなさい。主が不思議を行なわれる」 と。身をきよめて下さる。そして御声に耳を傾け、どのようであれ、 示されるままに従おう。不思議をして下さる。 --------------- 今、目の前にある城壁は何だろう。はきものを脱ぎ、ひれ伏してい るヨシュアに主の作戦が授けられた。御前にへりくだり、与えられ た御言葉を信仰を持って聞こう。従えるように祈ろう。
2026年03月08日(日) 「それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、 あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた」申 命記8:3
「それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、 あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた」申 命記8:3
問題が起きる時「何で?私に?」「神は愛ではないのか」と 疑いが湧くだろうか。普段は出る事の無い、心の内にある ものを教えるためだと言われる。あえて、苦しみ、悩みの中 に置かれる。「主は、あなたを苦しめ、飢えさせて」とあり、主 が苦しめ、飢えさせられる。人は順境にある時、自分は良い 人間と思うかもしれない。 何の圧迫も、あつれきも無い中なら、周囲が全員親切な愛 深い人々ならどうだろう。いつも相手に譲られていたなら、 争いもなく、自分も穏かでおれる。しかし主は私たちを愛され、 真に主の恵みのまっただ中を歩ませるために、自分も知らな い、自分の本当の姿を見せられる。そうでなければ無に帰し てしまう。それゆえ、嫌な、心乱される相手を目の前に置かれる。 真の弱さを知らない限り、主にすがって生きようとは思わな い。そのため自分の醜さ、愚かさ、汚さ、罪深さを見せて下 さる。それは、喜びの良い地に導くためであり、私たちを幸 せにするためだ。試練は、その役目をする。順境の中なら、 主に頼る必要が無く、自分の力で生きて行けてしまう。主か ら離れて生きていて、気づかない。 人は、試練の中で初めて自分の本性を知る。主の大きな恵 みにあずかるために、どうしても必要なステップだ。「人がそ の子を訓練するように、主があなたを訓練」「あなたを苦しめ、 ついに幸せにするため」。必ず、後に、苦しみに会った事は、 幸せでしたと、言える。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 主はあなたを苦しめ、飢えさせと。苦しみは主から来ている。 偶然や不運ではない。耐えられない試練は無く、脱出の道も ある。受け止め、何を教えて下さっているのかを、主に問おう。 その学びは霊的宝だ。
2026年03月07日(土) 「ロトが目を上げてヨルダンのの低地全体を見渡すと・・そ の地は、主の園のように・・どこもよく潤っていた。それで、 ロトは・・低地全体を選び取り」創世記13:10
「ロトが目を上げてヨルダンのの低地全体を見渡すと・・そ の地は、主の園のように・・どこもよく潤っていた。それで、 ロトは・・低地全体を選び取り」創世記13:10
アブラハムとロトは、ずっと共に行動して来たが、持ち物が 増え過ぎ、従者間に争いも起きて、共に住む事が困難にな った。そのため別れる事となる。その時に、アブラハムは、 甥のロトに、先に好きな場所を選ばせた。本来なら、目上の 伯父であり、今までの繁栄は伯父のお陰であり、この上なく 世話になった伯父にへりくだって、選択権を譲るべきだった。 しかし、ロトは全地を見渡して、見たところ最も牧草の茂る、 潤った地を選んだ。ロトは選択に際して主に祈る事も、伯父 を立てる事も無い。自分の事しかなく、見えるところで、損 得で決めた。結果、そこは極めて堕落したソドムとゴモラだ った。アブラハムは、全所有権を、主に明け渡していたので、 先にロトに譲る事ができた。 すべてを主の御前に置いたアブラハムだが、結果的に、主 は「この地全部を与える」と言われた。人生には岐路があり、 重大な判断を迫られる時がある。その時、まず第一に主に 祈るべきだ。自分の思いで決めてはならない。見た目で、損 得で決めたロトの結末は悲惨な破滅だった。「人の目には まっすぐに見える」しかし「その道の終わりは死の道」だ。 肉の目には、自分の名誉、地位、賞賛・・願望が満たされる 道がある。だがその終わりは「死」だ。ロトのように見た目で判 断せず、主の御前にゆだねて、主の御心を選択しよう。結果 的に、それが自分にとって最高の幸せの道だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 肉の目に魅力的に見えることに、罠がある。肉の欲、目の欲、 暮らし向きの自慢、世と肉の欲は滅び去る。御心には永遠の 祝福がある。主と御心を選び取れるよう、祈ろう。
2026年03月06日(金) 「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守って ください」詩篇141:3
「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守って ください」詩篇141:3
私たちは、日常の自分の言葉に目を留めているだろうか。どんな言 葉を発しているだろう。「あなたが正しいとされるのも、罪に定め られるのも、あなたの言葉による」とあり、普段の言葉を省みてみ よう。信仰の言葉を発する事ができ、肉のままに不信仰な言葉を発 する事もできる。これらの大きな違いを、日頃体験している。 私たちの言葉は、私たちの人生を決めて行ってしまう。「私は自分 の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪 をはめておこう」噂話や悪口はどうだろう。あなたの口からはどう だろう。害毒をまき散らすサタンの道具として、自分が用いられて しまう。 「陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物のようだ。腹の奥に 下っていく」無責任な言葉、肉で蒔いた言葉は、必ず痛い刈り取り をする。不用意な言葉が、信頼関係を壊してしまう。噂話や悪口は 論外だが、どんなに親しい仲でも、愛は、礼儀に反することをしな い。親しい中でこそ礼儀を守るべきだ。 特に家族ではどうだろう。他人には礼儀をもって接するが、家族に は、甘えが出てしまう。不機嫌、気遣いの無さ、とげのある言動、 態度・・言葉には。十分気をつけよう。相手を深く傷つけてしまう。 一度口から出た言葉は取り返せない。 主ご自身、好き放題に、話しておられたのではない。御父が語れと 言われる言葉を語っておられた。私たちは誰しも「くちびるの戸を 守って下さい」の祈りが大切で必要だ。今一度、日頃の言葉に心を 向けて、点検してみよう。主の助けを祈ろう。 ------------- すぐに忘れてしまう口から出る言葉は、主の前には覚えられている。 一日の初めに主に祈り、助けを求めよう。思いやりのある良い言葉 で、慰めや愛情の余韻を残すような言葉でありたい。
2026年03月05日(木) 「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き・・ もっと多くの実を結ぶために、刈り込みをなさいます」 ヨハネ15:1
「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き・・ もっと多くの実を結ぶために、刈り込みをなさいます」 ヨハネ15:1
植物の世話をすると、剪定の大切さがよくわかる。時に応じ、刈り 込みをすると、たわわな実を結び、きれいに花が咲く。つまりもっ と多くの実を結ぶ。枝や葉に余分な養分が流れるのを防ぐので、そ の分が実に行き、立派な実を結ぶ。同様に信仰生活においても、主 は刈り込みをされる。 私たちの出っぱっている所を刈り込まれる。それはプライド、虚栄 心、わがままか、貪欲・・かも知れない。はさみで刈り込むので、必 ず痛い。苦痛を伴う。高慢なら、プライドが傷つく事態が臨む。そ れはあなたをへりくだらせ、もっと柔和にするためだ。主が刈り込 んでおられる。目の前にある痛い事態は、もっと豊かな実を結ばせ るためだ。 自らのどこが反応し、どの部分が痛いのか。そこが刈り込みの必要 な場所だ。もし剪定が無ければ、高慢で自己中心で、思い通りにな らなければ周囲に当たり散らす、大きな子どものままだ。又、落ち 込むだけの、同じ歩みを繰り返す。そして、願う進路が閉ざされる 事がある。自分は、その道こそが最善と思うが、道が閉ざされる。 それも刈り込みだ。その時は、別の開かれた道を進めばよい。閉ざ された事が、後に、最善のご計画であった事を知る。その事で、必 ず思いを超えた豊かな実を結ぶ事になる。後に刈り込みが感謝だっ たと、必ず思える。 -------------- 思い通りに事が進み、何にも妨げられなければ、どれ程高ぶってい る事だろう。主は目的にそって刈り込まれる。今の痛みを通して、 豊かに実を結ぶ者に整えられる。主を信じていよう。
2026年03月04日(水) 「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます・・私の 思いを遠くから読み取られます」詩篇139:1
「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます・・私の 思いを遠くから読み取られます」詩篇139:1
大勢の群衆が、主の周囲に群がった。「多くの人々が、主の行なわ れたしるしを見て、御名を信じた」しかし「主は、ご自身を彼らに お任せにならなかった」。つまり、多くの人々が主を信じたが、主 は、彼らを信じておられなかったと。大勢が群れをなして、主を追 うのは、主を求めてでは無い事をご存じだった。 利得を求めて、主を追った。「あなたがわたしを捜しているのは、 パンを食べて満腹したから」と、自分の欲しいものが、得られるが ためだった。信じたと言っても、自分の都合次第で、願望が叶えら れている間は、ついて行くが、叶えられなければ、主から離れ去る。 この世の御利益信仰と同じだ。 利用価値があるから信じているだけで、価値が無くなれば、即、捨 てるか、別のものに移る。主を追いかける、多くの群衆はそうだっ た。裏切ったユダも、主がローマ帝国を倒し、天下を取るとの思い がはずれ、自分の思い描いた主でない事に失望した。そのため主を 捨てた。私たちは、何のために、主につき従っているのだろう。主 は、私の心をすべてご存じで、何もかもを見ておられる。 逆にそれは、誰にもわからない苦しみ、悲しみの時、何という慰め だろう。御前にありのままおれる。主は、信頼に足る信仰を探して おられる。信頼できる信仰に、ご自分を任せようと思っておられる。 主を利用するのでなく、主に自らを明け渡して、つき従おうとする 信仰を探し求めておられる。ご自身を任せられるなどと、何という 驚くべき事だろう。 -------------- 主が与えてくださる折々の慰めや励ましにより、具体的な主の心配 りを経験する。あれもこれもと祈りつつも、私を知り、心配してく ださる主に、自分自身を明け渡し、豊かに用いて頂きたい。
2026年03月03日(火) 「私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組み はあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見ら れ」詩編139:15
「私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組み はあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見ら れ」詩編139:15
私たちは皆、偶然に生まれたのではない。両親からでもなく、主が 「私の内臓を造り、母の胎の内で、私を組み立てられた」。主によ る事だ。奇しい事をなさり、恐ろしいほどだと。私たちを造られた のは、主だ。ここに、あなた個人への主の愛とご計画がある。そし て主のご計画は、あなたの人生全般に及んでいる。 人生に起きる一つ〃の出来事に、主の愛とプランが織りなされてい る。私たちの頭の毛さえも、みな数えられている。又、心の中もご 存じだ。思いを読み取られ、言葉が舌にのぼる前に、ことごとく知 っておられる。その目で、信仰により、人生を見てみよう。 「何でこんな事が?」「何で、私に?」と思える、苦しい事態が起 きる。しかし私の益のため、ご自分の聖さにあずからせるための試 練であり、「訓練された人々に平安な義の実を結ばせる」必ず実を 結ぶと。それゆえ大事な事は、その出来事の中で、何を教えて下 さりたいのか、主からのメッセージを尋ねることだ。 主には一つの無駄も無い。目の前の出来事の中に、主の意図と目的 がある。「知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜し げなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい」願うなら 主は教えて下さる。胎の内から、すでにあなたへの生涯のプランが あり、使命がある。主との交わりの中で、祈りの中で、主に求め、 教えて頂こう。 -------------- 理解できない状況のとき、迷うときは原点に立ち返ろう。ここに は主の意図と目的があり、全て益で愛ゆえだということ。胎児のと きから見守られている。何と心強いことだろう。
2026年03月02日(月) 「サタンが、あなたがたを麦にようにふるいにかけることを願って 聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくなら ないように、あなたのために祈りました」ルカ22:31
「サタンが、あなたがたを麦にようにふるいにかけることを願って 聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくなら ないように、あなたのために祈りました」ルカ22:31
人は皆、失敗する。注意していてもミスしてしまう。それは人間で あり、完全無欠でないからだ。あなたも、信じられない失敗をした だろうか。大切な事は、その失敗から「学ぶ」事だ。何度転んでも 立ち上がって、再び主に従って行ける。人生では、転んで、倒れて しまう事がある。深い挫折を通る。つまずいた事の無い人はいない だろう。 主は時に、人がつまずく事を許され、深い海の底を通される。しか し必ず立ち直らせて下さる。ペテロは、主を裏切るという、取り返 しのつかない大失敗をした。命をかけても、主に従うという決心が、 現実を前にもろくも崩れ去った。主を否定してしまったのだ。しか し主により、主の愛により、見事に回復され、後に力強い主の証人 とされ、殉教した。 ダビデも姦淫と殺人という大失敗をした。しかしそれで人生が終わ ったのではなかった。ダビデも罪赦され、回復を与えられた。私た ちも皆、信仰が試される。時に失敗する。自分に絶望し、無力を思 い知らされる。だからこそ、自力では生きて行けず、主に拠りすが る事を身をもって知る。 それこそが「立ち直った」という事だ。自分の力が砕きに砕かれて、 初めて兄弟たちのために、間に合う器として用いられる。主は失敗 をも、挫折をも益として、建て直し、建て上げて下さる。何よりも 霊的に成長させて下さる。 -------------- くり返し失敗し転ぶが、主が赦しなおも立ち上がらせてくださる。 何というあわれみだろう。罪を犯してしまったとしても、対処法を 間違えず主に悔い改めよう。
2026年03月01日(日) 「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望 を満足させるようなことはありません」ガラテヤ5:17
「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望 を満足させるようなことはありません」ガラテヤ5:17
新生したクリスチャンには、新しい性質と古い性質がある。 未信者の時は、古い性質のみだが、新生した者には、主 を喜び、主に従おうとする新しい性質がある。しかし古い 性質も残っているので、そっちに従えば、何十年の信仰者 でも、肉のクリスチャンのままという事になる。 つまり、外側は幾らでも演じれるのだが、心は怒り、妬み、 憎しみ、敵対心が渦巻いている。又、御霊に従おうとする クリスチャンも、妬みや貪欲、敵対心に動かされる、これ は肉にいる時であり、肉に従うと、そのようになる。背後の 悪魔が誘惑、攻撃する。御霊に従う時は、主の潤いや温 もりを現して行くが、同じ人が肉に従うと、きつい言葉や怒 り、イライラした不機嫌な態度が出る。 これでもクリスチャンかという状態になる。同じ人が御霊に 従う時と、肉に従う時は別人のようだ。自分の内に、不平 不満、愚痴、思い煩い、裁き等が出ている時は、肉に歩ん でいる事になる。つまりその時は自力で、自分の思いに従 って歩んでいる。主を見上げ「自分にはできません。従うこ とができません」とありのままを認め、祈る事が大切だ。 その時、自力でなく、御霊が助けて下さって、御霊の中へと 導いて下さる。御霊の中にいると、喜びと平安が湧き出で、 自然に主に喜んで頂きたいとの気持ちになる。このどちら もが、天に帰るまで、自分の中にある。絶えず主に助けを 求め、御霊に明け渡しながら、従って行く時、「御霊によっ て歩め」に従って行ける。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 肉の欲望を満足させないためには、御霊によって歩む 必要がある。御霊による歩みでないなら、肉によって歩 むことになる。御霊による歩みを祈り求めよう。主は祈 りに答えて取り扱い、導いて下さる。