2021年04月11日(日)

「私は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされて、眠ることもできない有 様でした。私はこの二十年間、あなたの家で過ごしました」創世記 31:40



エサウとヤコブは双子の兄弟だったが、弟ヤコブが母リベカと共謀
して、父イサクと兄エサウを欺き、長子の特権と祝福を奪い取った。
エサウは激怒し、ヤコブを殺そうとした。それでヤコブは家を出ざ
るを得ない事態に。荒野を行き、孤独と寂しさの中で野宿した時に、
夢を見た。はしごが現われ、頂きが天に届いていた。主がかたわら
に立ち言われた。

「わたしはこの地をあなたとあなたの子孫に与える。わたしはあた
なと共にあり、あなたを守り、この地に連れ戻す。成し遂げるまで
あなたを捨てない」と。ヤコブは伯父ラバンのもとへ行くが、ラバ
ンはヤコブより更にずる賢く、巧く利用され、苦役の歳月を過ごす
事になる。愛するラケルとの結婚のために働くが、ラバンに騙され
る。同じ事を自分も刈り取る事になる。

苦しい砕きを通る。20年後、神の時が満ちた。「あなたの先祖の国
に帰れ」と。すべてに時があり、神が動かれるなら、ラバンも誰も
止められない。妻と多くの財産と共に帰郷する事となる。これらヤ
コブの歩みは、主の主権にあった。「この地に連れ戻す」「この地
をあなたとあなたの子孫に与える」主の約束だ。

「わたしはあなたと共にあり」「成し遂げるまで決してあなたを捨
てない」、主の約束は成就した。主があなたを握られたなら、決し
て放されない。狡猾なヤコブは砕かれ、主の器へと整えられて行っ
た。様々な訓練は主の器へとの整えられるためだ。

・・・・・・・・・・
主は、自己中心で、ずるいヤコブを、苦しい環境を通して、訓練し、
砕き、練って行かれた。造り変えて行かれた。懲らしめは主の愛だ。
目の前の出来事の一つ一つを、主に焦点を当てて行く時に、主の砕
きが見えて、それは豊かな祝福へと霊的成長へと繋がっている。


2021年04月10日(土)

「ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナ ンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた」創 世記9:21



ノアの箱舟の出来事の後、箱舟から出て来たノアの息子たちはセム、
ハム、ヤペテであった。ノアはぶどう畑を作り始めた。そしてぶど
う酒を飲んで、天幕の中で裸になっていた。酔っ払ってしまい、気
のゆるみがあったのかも知れない。息子のハムはそれを見て、外の
セムとヤペテに告げた。ハムは父のぶざまな姿に軽蔑や批判の思い
を持ち、笑い者にするかのように二人の兄弟に告げた。

しかしセムとヤぺテは、着物を持って来て、自分達二人の肩にかけ、
後ろ向きに歩いて行って、父の裸をその着物でおおい、顔をそむけ
て、父の裸を見なかった。肉の性質は、人の失敗や弱さを暴き、あ
げつらい、辱めようとするが、愛はそのようにしないで、人の弱さ
や失敗をおおう。ノアは自らの裸をおおった二人の息子を祝福した。

「神がヤぺテを広げ、セムの天幕に住まわせるように」と。「何よ
りもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうか
らです」とあり、主は十字架で、私たちの罪をおおって下さった。
主の前に、律法学者とパリサイ人が、姦淫の女性を連れて来た時、
彼らは、モーセは姦淫の者を石打ちに命じているが、あなたはどう
するのかと詰め寄った。

群衆は好奇心で見ている。主は「罪の無い者が石を投げよ」と。
人々は全員去った。その女性に「わたしもあなたを罪に定めない。
今から決して罪を犯してはならない」と。主は罪をおおわれた。私
たちも、主により罪をおおわれた者だ。

・・・・・・・・・・・・・
姦淫の女性の罪は完全に赦され、逃げた人々の罪はそのままだ。主
のもとで、「あなたを罪に定めない」と、どんな罪も赦され、おお
って頂けるとは何と感謝な事だろう。何もかも赦された者として、
今、誰かの失敗をおおうように言われているだろうか。


2021年04月09日(金)

「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです」ルカ12:15



愚かな金持ちが出て来るが、どこが愚かだったのだろう。彼は「安
心」の拠り所を富に置いていた。お金さえあれば、幸せだと考えて
いた。財産を更に蓄えたなら、楽しめると思っていた。富が、自分
を幸せにしてくれると信じていたからだ。富、地位、名誉、異性・・
何かに執着して、それが自分にとって絶対的なものとなるなら、そ
れが偶像だ。

そして「私の」倉、「私の」穀物や財産、「自分の」たましいと、
彼にとり、すべてのものが「私の」ものだった。神のため、人のた
めに使おうとの思いは皆無だった。私たちは、何一つ持たずにこの
世に来て、何一つ持って出る事も出来ない。今ある命も富も能力も
時間も、すべては神の賜物だ。一人〃に預けられ、任せられている。

それをしまい込んでいるだろうか。自分中心に、自分の思いで、使
っているだろうか。主のため、人のために用いる時に、大きな喜び
を得、生き生きと生きる事ができ、天でも豊かに報いられる。御心
に従って、どんどん用いて行こう。そして、彼は財産を倉にしまい
込めば、自分の「たましい」も保証されると考えた。

「愚か者。おまえのたましいは、今夜、おまえから取り去られる」。
たましいは、神の領域だ。誰も神に代わる事はできない。自分も必
ずいつか死ぬ事を考えていなかった事だ。私たちも、自分の死の事
はわからない。「自分のために蓄えても、神の前に富まない者」で
はなく、主に喜ばれるよう生きる事が、神の前に富む事だ。
-------------
心がこの世のもので一杯になっている時、神との関係が飛んでしま
う。私の、私のと自分と自分の集めた物に頼っていないか。神の前
に裸で立つ日が来ることをいつも覚えていたい。


2021年04月08日(木)

「子どもらよ。今、私に聞き従い、私の言うことに心を留めよう」箴言7:24



主に従うためには、主に目を向け、従おうとの意志をもって選択が
必要だ。信仰はオートマチックではない。自動的に従えるのではな
い。没個性や没人格になるのではない。ロボットや操り人形ではな
い。意識して、肉とサタンを退け、御霊の導きの方を選択し、御霊
に拠り頼んで行く必要がある。

主が、私たちの意志を無視して、何かされる事もない。意志には触
れられない。従うか、従わないのか、自らの選択にかかっている。
だから主を選ばず、罪を犯した時の責任は自分にある。神や人に転
嫁する事は出来ない。日々の生活を、自分自身を顧みることが大切
だ。

全く顧みることのないまま、日々の忙しさに流されて、主との交わ
りから遠ざかっているだろうか。御霊の示しを、なおざりにしてし
まっているだろうか。方向変換し、主の導きの方へ足を向ける事が
大切だ。祈りっ放しでよいのでなく、祈った結果、実際に行動する
事が大事だ。今、主の御心に、自分の足を向けるよう言われている
だろうか。

具体的に従うように導かれているなら、実行しよう。詩篇には「急
いで、ためらわずに」従ったとあり、ぐずぐずしていると、そこに
サタンが来て、従えなくされてしまう。今日、意志を向けて、示さ
れた事に聞き従おう。祝福が備えられている。
------------
朝に御言葉を聞いても立ち上がるといつもの生活がある。どこに焦
点を当てて生活しているだろう。主の御言葉を留めて従っていこう。
御言葉をたくわえ、守って生きよと主は言われる。


2021年04月07日(水)

「あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい」創世記6:14



ノアは、主から「箱舟を作れ」と言われ、長さ、幅、高さを指定さ
れた。ノアは命じられたとおりに従った。見渡す限りの晴天、雨な
ど降りそうにない。洪水など誰が信じられよう。しかしノアは見え
る所や自分の感覚、思いでなく、主の言葉を真実とし、ただ主の言
葉に従った。箱舟が完成した時も、自分で入るのでなく、主からの
「あなたとあなたの全家族とは箱舟に入りなさい」との言葉により、
入った。

雨は40日40夜降り続き、天の下のものはすべておおわれた。その後
も5ヶ月間、増水し続けた。そしてその後、水が引き始め、大雨が
とどめられた。アララテ山上に箱舟はとどまり、洪水から2ヶ月半
後、山々の頂きが現れた。ハトを放っては様子を見、結局、山上で
7ケ月待った後、地は乾き切った。その時、主は家族と一緒に「箱
舟から出よ」と命じられた。

ノアは箱舟を作るのも、完成した箱舟に入るのも、出るのも、すべ
て主の言葉を受け、従った。「ノアは、すべて主が命じられたとお
りにした」。水かさが増し続けた5ヶ月の間、又、雨が止んだ後、
7ヶ月の間、ずっと箱舟の中だった。その間、どんな思いでいたの
だろう。だが主は「ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべて
の獣や、すべての家畜とを心に留めておられた」。

「心に留めておられた」とあり、私たちにも同様にして下さってい
る。先が全く見えない、トンネルの中に思える試練の中で、主はあ
なたをしっかり心に留めて下さっている。何と安心で嬉しい事だろ
う。絶えず主が目に留めて下さっている。愛し、慈しみ、抱いて下
さっている。そこを信じ、試練の中で、主の言葉に従って行こう。
-----------
箱舟に守られていると思うか、閉じ込められていると思うのか、洪
水の中で絶対の信仰が試される。私達も主のご愛を一瞬でも疑えば
試練にのまれてしまう。主が心に留めてくださっている。御言葉に
立とう。



2021年04月06日(火)

「彼らはシュルの荒野へ出て行き、三日間、荒野を歩いた。彼らには水が見つからなかった」出エジプト15:22



モーセに率いられた民は出エジプトの際、男子だけで60万人、女子
供を入れると200万ほどだろうか。大変な人数だ。葦の海から旅立
ち、3日間荒野を歩いた。彼らは水が見つからず、水を探した。マ
ラでようやく水を見つけたが、それは非常に苦くて飲めなかった。
そのいら立ちと不満はモーセに向かった。

モーセの素晴らしいところは、そのまま民に対応せず、それをまず
一旦主に持って行った事だった。自分の思いと力で、どうこうしな
かった。モーセが主に祈ると、一本の木が示された。それを水に投
げ入れると、苦い水が甘くなった。その水は民をうるおした。「そ
の所で彼を試みられた」これはまた、民だけでなく、モーセへの試
みでもあった。

突然の試練で、主に聞き従うかどうかを試された。民はエジプトを
出て、そのまま真っ直ぐ進めば、カナンまで2週間程のところ、不
信仰により荒野へと南下する事になった。そして40年間荒野をさま
よった。これは、主が、民を様々な試練を通し、訓練し、整えるた
めであった。信仰を培い、成長させ、主に従って生きる事を身につ
けさせる、その歴史であった。

私たちも同様に、試練の荒野を通る。様々な苦しい問題や悩みを通
り、試され、砕かれ、練られ、鍛えられる。そして信仰者として整
えられて行く。主に信頼し、御言葉により生きる事を身につけられ
て行く。その荒野の間、主はずっと天からマナを降らせられた。主
に従うなら、すべての必要は必ず備えられ、満たされる事を見せら
れる。
------------
神は一人一人に特別な取り扱いをもって導かれる。誰とも違う試練
の荒野は孤独だが、絶えず神はご自身の存在を示してくださる。試
練の中で神だけが養い、癒し、整えてくださるお方だとの深い確信
が与えられる。


2021年04月05日(月)

「そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか」ルカ17:17



10人のらい病人が、主のもとに来た。遠く離れた所に立って、大声
であわれみを求めた。当時、らい病は汚れた病気で隔離されていた。
人々との接触は許されず、「私は汚れた者です」と自分で言わなく
てはならなかった。病気の苦しみの上に、社会生活はできず、精神
的な孤独、悲しみ苦しみがあった。宗教的にも汚れた者であった。
必死の思いで主にすがって来たであろう。

「どうぞ、あわれんで下さい」と叫んだ。主は、彼らをあわれみ、
癒された。すると10人の内、1人だけが主のもとへ戻り、9人は戻っ
て来なかった。病気が完全に癒され、社会復帰ができて、自由だ。
普通に生活ができる。生けるしかばねのようであった彼らからすれ
ば、何と夢のような事だろう。9人は、ラッキー、幸運、良かった
と、世の中へ帰ってしまった。

彼らにとっては、飛び切りの幸運で偶然の事態であった。そこに神
は無かった。1人だけが戻り、大声で主をほめたたえ、主の足もと
にひれ伏して感謝した。主への感謝で一杯で、賛美と喜びだった。
そこに主を認め、主を崇めたのだ。彼だけが、全く新しい信仰の人
生に入った。

「あなたの信仰が、あなたを直したのです」彼は主の愛を体験し、
救いを受け、主の愛の中を生きて行く人生が始まった。何が大切な
のだろう。病気が治る事だろうか。本当の幸せは「世の終わりまで
いつもあなたと共にいる」、この事だ。その幸いな人生へと招いて
下さっている。苦しみの時も喜びの時も、主と生きて行ける事が、
真の幸せだ。
------------
与えられたものを喜ぶのではなく、与え主である主を喜びとしよう。
問題が解決したら一直線に世に帰って行くなら、また次の問題に翻
弄される。いつも共にいる主を喜びとする生涯を歩もう。


2021年04月04日(日)

「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおり に成就する」イザヤ14:24



私たちは主を知る以前は、自分の思い通りに生きて来た。思い通り
になると喜び、時には思い通りにならず、挫折を味わった。自分の
思いは非常に強いので、クリスチャンになっても、根深く培われて
いる。そのため、自分の思いで生きて行ってしまう。ある人が、自
分の思いだと気づかないまま、主に、自分の願いを祈り、そしてそ
のようにならないと、聞かれないと思い、ガッカリ落胆した。

何とかそのようにと尚も祈った。しかしその祈りは、全く聞かれな
かったのだ。「どうして?」の悶々を通りながら、その事を「なぜ
ですか」と問うて行った。その祈りの中で初めて、自分の願い、望
みが、自我からの自分中心である事を気づかされ、教えられた。主
が願われる、主の御心ではなく、どこまでも自己中心の願いでしか
なかった。

「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成
る」、人の心に多くの計画があると言っているが、自分の思いと自
分のプランがあるばかりだった。「わたしのはかりごとは成就し、
わたしの望む事をすべて成し遂げる」の通り、主の計り事、主の望
む事がある事を覚え、主のみ思いが成るようにと祈りを変えた。

その時に、自分の思いでいっぱいの自分が変えられて行った。主が
望む事が、成し遂げられて行くのであれば、自分の思いや自分の望
み通りでなくても、それがベストなのであり、受け入れて行けるよ
う祈った。その時、初めて平安を経験した。自分の思いから離れら
れるのは、何と平安なのだろう。

・・・・・・・・・・・
主の御心が成るのであって、自分の思いが成るのではない。祈りと
は、主の御心を尋ね求めるプロセスと言われるが、祈りの中で肉の
思いが気づかされ示され、主のみ思いへと導かれ変えられて行く。
祈りが大切で、必要だ。まず自分の計画を祈りに持って行こう。


2021年04月03日(土)

「それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。 そして言った。『いや。どうしても、私たちの上には王がいなくて はなりません』」Tサムエル8:19


イスラエルは神によって統治されていた。しかし民は、人間の王を
強く求めた。サムエルは老いて、息子達は主から離れている。敵の
攻撃が来た時も、王が戦ってくれる、そのため周辺の国々のように、
自分たちも王が欲しいと。サムエルは気に入らなかったが、まず主
のもとに行き祈った。私たちも、自分の思いと違う事柄に直面する
時は、まず祈る事が大切だ。

主は、民が、人間の王を欲した時に、「彼らを治めているこのわた
しを退けた」と言われた。そして、王の権利を知らせよと。サムエ
ルは、民にどんな犠牲があるかをことごとく知らせた。息子は戦い
に取られ、娘たちは働かされ、畑は取り上げられ、自分の家来たち
に与える・・そして自分たちの選んだ王のゆえに主に求めても、その
日、主は答えて下さらないと。

大変な事態になるが、しかしそれでも、民はどうしても王が欲しい
と強く言い張った。人が、主の警告を聞かずに、どうしても欲しい
と主張するなら、主は与えられる。主は、彼らに一人の王を立てよ
と答えられた。しかし願いが叶えられた結果、やせ衰えると。「そ
こで、主は彼らにその願うところを与え、また彼らに病を送ってや
せ衰えさせた」

自分の欲望を押し通すのでなく、私たちを極みまで愛し、最善をし
て下さる主に従い、主の警告に聞く事が、自分にとって平安の道だ。
それは主の愛から出た警告だ。

・・・・・・・・・・・
主に聞き従う事の大切さを教えられる。肉は、自分の欲があり、自
分の都合の良い、好きな方向に進みたい。思い通りにしたい。しか
しそこに祝福は無い。願いが叶った結果、一時の快楽はあるが、心
は虚しくなる。真の豊かさ、喜びのある主の御声に従おう。


2021年04月02日(金)

「だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合い なさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも そうしなさい」コロサイ3:13


信仰生活で、赦せない相手が出て来る。だが赦さない心は、自分が
辛い。憎しみは重い鉛となり、心をふさぐ。日常に忙殺されている
間は、忘れているが、ふっと心を暗くする。楽しい時も、頭をよぎ
った途端、心暗くなる。さばく心を持ち続けると、祈りの障害とな
り、又「御霊によって歩め」の命令に従えなくなり、肉の歩みとな
ってしまう。

苦しいし、委ねるべき事がわかるのだが、どうしても憎しみを握っ
て放さない。そんな時は、まず、あるがままを主に告げよう。主の
助けを仰ごう。赦せるように、手を取って導き助けて下さる。多く
の人々が、そのプロセスを様々経験して来た。ある人は、自分を批
判、中傷した相手をどうしても赦せず、根深い恨みがどうにもなら
ず、祈り続けていた。

すると「父よ。彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているか自分で
わからないのです」との言葉が、心に深く響いて来て、当然相手の
事だと思った。相手は、何をしているのかわからないのだから赦す
ようにと。しかし御霊により心を照らされ、そうでなく自分の事だ
と示された。相手が悪いせいと、憎しみ恨み怒りを正当化している
が、しかしそれは紛れもなく自分の罪だと。

言われる通り、確かに自分の罪だと認めさせられた。そして続いて
自分の罪の赦しが祈られている事に、大きな驚きと共に、初めて目
が開かれた。自分が赦されているという、大きな恵みにおおわれ、
自然に相手を赦すことができた。主の大きな恵みであった。主は必
ず助けて下さる。まず祈りに持って行こう。

・・・・・・・・・・
自分の力で、肉の力で、人を赦す事は不可能だ。出来ない。赦せな
い思い、恨みは根深いものだ。赦しなさいと言われても出来ない。
だからこそ祈りが与えられている。主と交わり、祈って行こう。御
霊がなすべき事を示して下さる。それに従う時にみわざにあずかる。


2021年04月01日(木)

「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのとこ ろに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ・・」イザヤ 55:11



初めての地で、道に迷った事があるだろうか。見知らぬ所で、方向
がわからない。その時は地図か、交番か、地の人に聞けばよい。停
電の経験があるだろうか。ロウソクや懐中電灯とつけて、ホッと安
堵する。飛行機や船の航行はどうだろう。嵐の中も羅針盤や計器に
よって正しい方向に進める。これらが霊的生活においては、神の言
葉だ。

どの方面に進むべきか、どちらを選択すべきか、判断が難しい時、
御言葉は方向を示し、確かな指針を与えてくれる。又、悩みの時に、
どうすべきかを、経済的苦境、対人関係の悩み、仕事上の問題、健
康の不安・・そんな時に、御言葉は、なすべき事を教え、内側を照ら
し、励まし慰めを与え、平安へと導いてくれる。

ある人が失業し、次の職を求めるが次々と落ち、貯えも底をつき、
不安と恐れ、思い煩いで一杯だった。どうしてよいかわからない。
途方に暮れて、この事で「御言葉を下さい」と切に祈り求めた。す
ると「すべての事について感謝しなさい」「捜しなさい。そうすれ
ば見つかります」の言葉が心に入って来た。

主からの答えだとわかり、とにかく感謝しようと、「失業を感謝し
ます。まだ職が無い事を感謝します」と祈った。その時に不思議が
起きて、不安が消えて心にすうーと平安が来た。御言葉に従うと、
状況は変わらないが、心が変えられた。そして祈り求め平安の内に、
力を与えられて職探しが出来、とうとう良い職が与えられた。

・・・・・・・・・・・
百人隊長が、主に「御言葉をいただかせて下さい」と願ったが、暗
闇の灯であり、迷子の時の地図である、御言葉を祈り求めよう。御
言葉に導かれて、前に歩を進める事ができる。御霊に導かれ、御言
葉に従う時、必ず主のみわざにあずかる。主と一つに歩める。

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