2026年05月06日(水) 「そのとき、イスラエルの王はヨシャパテに言った。『私は変装 して戦いに行こう。でも、あなたは、自分の王服を着ていてくだ さい。』こうして、イスラエルの王は変装して戦いに行った」 T列王22:30
「そのとき、イスラエルの王はヨシャパテに言った。『私は変装 して戦いに行こう。でも、あなたは、自分の王服を着ていてくだ さい。』こうして、イスラエルの王は変装して戦いに行った」 T列王22:30
イスラエルのアハブ王は、ユダ王ヨシャパテに、ラモテ・ギルアデ をアラムから取り戻そうと、誘った。ヨシャパテはアハブの申し出 に乗り、主の言葉を聞くよう要請した。アハブは預言者400人を集 め、伺いを立てると、彼らは上って行くようにと口を揃えて答えた。 預言者ミカヤだけは正反対の預言をした。そしてアハブ王が悪霊に 惑わされている事、殺される事を告げた。 アハブとヨシャパテはアラムと戦う事になり、アハブ王は巧妙に自 分は助かろうと、ヨシャパテに王の服を着せ、自分は変装した。敵 を欺き、自分だけ逃れようとした。だがアラム王の命令は、アハブ 王だけを狙えだった。敵が、ヨシャパテをイスラエル王だと間違い、 戦おうとした時、ヨシャパテは祈った。 すると敵は、彼がユダ王ではないと知り、引き返した。主の関与だ った。そして一人の兵士が、「何げなく」放った矢が、何とアハブ 王に的中し、彼は傷を負い死んだ。別に彼はアハブを狙ったわけで はない。主がそうされた。ミカヤの預言が成就した。主の完璧な主 権と支配を見る。 人がどう画策しようと、主の主権のもと、主の御心が成就する。そ れゆえ、日々の生活も、人生も、自分自身も、主に委ねよう。その 時、あなたへの最善のご計画を一つ違わず、成し遂げて下さる。そ して、平安に守られる。 ---------- 人の思いを超えて主のご計画だけが成る。強い思いがあるなら心を 注ぎだして主に祈りたい。主が交わりの中で導いてくださる。御心 に従いたいとの姿勢でいよう。
2026年05月05日(火) 「彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害 するのか。』という声を聞いた」使途9:4
「彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害 するのか。』という声を聞いた」使途9:4
パウロの以前の名、サウロはキリスト者に激しく敵対し、殺害の意 に燃えていた。それが神の御心、正しい事だと信じていた。エルサ レムから、執ように追跡し、ダマスコへ向かう。近くまで来た時に、 突然、天からの光が来て、地に倒れた。そして主の御声を聞いた。 「なぜ、わたしを迫害するのか」。倒れた地面から起き上がった時、 目が見えなかった。サウロにとって、何がどうなったのか、根底か らくつがえされる、衝撃的な出来事だったろう。その後3日間、盲 目の状態で、飲食もしなかった。真っ暗闇の中で、サウロは過去を 思い、今、目の前に起きた事を考え、これから先を考え、祈りに祈 った事だろう。サウロは「地に倒れた」時に、主の御声を聞いた。 主が倒されて、聞かせられた。私たちはどうだろう。全力疾走の時 は、周囲の事は見えないし、自分の事も見えない。行き詰まった時 に、失敗した時に立ち止まる。疾走する私たちにも、主は、立ち止 まらせようと、挫折や失敗、行き詰まりを与えられる。そこには主 のご計画があり、大きな祝福へと導かれる。 もし今、行き詰まって暗黒状態なら、サウロのごとく、主は祈らせ、 主との交わりに入れられたい。自らを振り返り、現在の状況を見据 え、今後について、祈ろう。「そこで、彼は祈っています」サウロ は真剣な祈りのもと、主が、アナニヤが遣わされ、再び見えるよう にされた。「目からうろこのような物が落ち」、私たちも暗黒を通 過後、主が目を開き、はっきりと見えるようにして下さる。 ----------- 行き詰り、先の見えないような状況の中に主のご計画がある事は、 感謝だ。すぐに主の御恵が見えなくなる者だが、これを主を知る 機会としたい。教えようとされている事を聞こう。
2026年05月04日(月) 「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめ のある人たちを赦しました」マタイ6:12
「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめ のある人たちを赦しました」マタイ6:12
人を赦すことは、非常に難しい。ある人が、良かれと思い、多くの 時間、労力を使ってした事を、他者から批判された。それも、陰で 言われた事が、巡って耳に入った。ひどく傷ついて、腹が立って仕 方が無かった。殴りかかりたいほどだった。そんな中、その相手は、 部署替えになり、顔を合わすことも無くなった。 しかし祈りの時に、平安もって祈れなくなった。「私たちの負いめ をお赦しください。私たちも、私たちの負いめのある人たちを赦し ました」との御言葉を前に、先に進めないのだ。相手を恨み、赦せ ない強い思いがある事を示され、胸が苦しくなった。だが怒りでい っぱいで、赦せない。それなら、自分の負いめも赦されない事にな ってしまう。 悶々状態となった。赦せばよいのだが、怒りと憎しみ、赦せない思 いが、どうにもなない。辛くてたまらない中、主に、あるがままの 気持ちを、ことごとく打ち明けた、怒り、憎しみ、赦せない思い、 何もかもを吐き出した。「赦せません。いや、本音は赦したくあり ません。でも、助けて欲しいです」、御前に祈り続けていた。その 時、目の前に主の十字架が迫って来た。 罪の無いキリストが、十字架にかかっておられる。十字架を見続け ていると、なぜか不思議に「赦してもいい」と思えて来た。意志を 向けて「赦します」と祈った時に、心のつかえが取れて、平安が来 た。自分にはできない、自分ではない、御霊の働きだった。祈りに 持って行こう。御霊の力によって、赦すことができるようにされる。 -------------- 憎い思いが湧きおこる度に、相手の罪を再度数えてしまう。主に助 けを求めよう。主が豊かに赦してくださったように、赦せるように 主が解放してくださる。
2026年05月03日(日) 「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、 愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あな たにとってはなおさらのこと・・」ピレモン16
「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、 愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あな たにとってはなおさらのこと・・」ピレモン16
「ピレモンへの手紙」は、ローマで獄中にいたパウロが、ピ レモンに宛てた書簡だ。主人ピレモンの奴隷であった、オ ネシモが主人のもとで盗みを働いて逃亡した。ローマまで 逃げたが、捕らえられ投獄の身となった。だが、そのローマ でパウロに出会い、主を信じ救われた。 クリスチャンになったオネシモは、獄中でパウロに仕えて いた。パウロはオネシモを「獄中で生んだ我が子」と言っ ている。そして、以前は役に立たない者であったが、今は 「役に立つ者」と。彼は、真に悔い改めたようだ。しかし、 主人ピレモンの奴隷なので、パウロはオネシモを主人ピレ モンのもとへ帰したいと思っていた。 そこでパウロはへりくだって、ピレモンに、オネシモを赦し て受け入れてくれるよう執り成している。弁償はすべて自 分がするからと。奴隷であるオネシモは、取り返しのつか ない罪を犯してしまった。本来なら、逃亡奴隷は死刑だ。 しかし神視点で見ると、全く異なる見方になる。そこに神の 摂理があり「しばらくの間あなたから離されたのは、あな たが彼を永久に取り戻すため」となる。 何というあわれみで、希望があることだろう。愛なる主の もとで、人生が全く変わったものとされる。人の失望の時 は、神のご計画の時と言われているが、すべてが主の 御手の中で益と、主の栄光へと導かれて行く。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ ヨセフも、兄達の悪巧みでエジプトに売られたことを、神 が遣わしたと、神視点に立った。一族の命を救うためと。 神視点に立つ時に、全く違って見えてくる。神視点に 立って見せて下さるように祈ろう。
2026年05月02日(土) 「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます」詩 篇139:1
「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます」詩 篇139:1
ある説教者が、大きな伝道大会の説教を頼まれた。 重大な働きだ。準備のために心整え、祈り始めた。説 教準備をするのだが、上から与えられない。尚も祈り 続けるが、与えられない。期日が迫る中、焦りを覚える。 一日断食祈祷をし、心を主に向けた。その中で、心の 奥が照らされた。 数名による非難と批判を受けて、ひどく傷つき、赦せな い思い、恨み、憎しみがあった。自分では認めたくなく、 心の奥に封印していた。主の御前に、心底悔い改め、 一人〃の祝福を心から祈った。その時、心がすっきりし て、晴れやかになった。そして上からのメッセージが与 えられた。大きな喜びと共に、豊かに祝福されてその大 会は終えた。 ある人は、仲の良い親友がいたが、卒業後、別々になり、 それぞれ結婚もして、遠方で会う機会も無かった。それが 教会の合同キャンプで、長年振りに出会い、喜んだ。そこ で、相手が、大変賞賛を受ける事態があった時、心さわつ き、動揺したのだ。心が暗くなり、帰宅後、御前に行き祈っ た。あるがままの思い、気持ちをことごとく告げて、主と交 わった。 すると御霊に照らされ、相手への妬みを示された。親友で あり、絶対に認めたくない事だった。しかし紛れもなく、以 前から見え隠れしていた感情だった。それを認めて悔い 改めた。心がすっきりと、平安にされて、主に感謝した。自 分で、内にあるものはわからない。御霊に示され、初めて 認識できる。主は私たちを取り扱い、平安へ〃と導いて下さる。 ・・・・・・・・・・・・・ 御霊の光で、初めて心の底が見せられる。自分ではわか らない。心が何かザラつく時、平安が無い時、御霊の 語りかけだろうか。「聖霊は、すべてのことを教え」て下さり 平安に導かれる。
2026年05月01日(金) 「するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。 『・・そんなことが、あなたに起こるはずがありません。』」マタイ 16:22
「するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。 『・・そんなことが、あなたに起こるはずがありません。』」マタイ 16:22
主が、弟子たちに「多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみが える」と十字架の贖いをはっきりと話された時、ペテロは「そんな 事が起こるはずがありません」と主をいさめた。その時に主は「下 がれ。サタン」とペテロに向かって言われた。その前に、ペテロは 「あなたは生ける神の御子キリストです」とすばらしい信仰告白し たばかりだ。 主も、この事を明らかにしたのは、人間ではなく、天の父だと言わ れた。その後にペテロは、今度はサタンの声に聞いている。ペテロ が、サタンからの思いを受け入れたのは、「神のことを思わないで、 人のことを思っていた」からだった。王となり、ローマ帝国の支配 から解放してくれる主が、死ぬ、殺されるなどと有り得ない、有っ てはならない事だ。そのため否定した。 私たちもどうだろう。思いを吹き込むサタンにだまされる時は、肉 の思いにいる時だ。その時は、決まって主が意識から飛んでいる。 目に見える所だけを見ている。肉の損得や情や欲望に支配され、神 無しで判断してしまう。サタンにやられてしまう。パウロは「今後、 人間的な標準で人を知ろうとはしない。 かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもう そのような知り方はしない」と言った。人間的な標準とは、御言葉 でなく、肉の価値観だ。サタンは巧く世の価値観に誘い、方向を誤 らせ道を間違わせてしまう。自分は正しいと思うのでやっかいだ。 主に拠り頼み、祈っていよう。御言葉に立とう。 ------------- 見方によって全く違ったものになる。世の価値観のまま、安易な受 け答えをしがちだが、どちらに立っているだろう。御言葉に立ち、 主の御心に添った生き方を祈りたい。