2026年02月07日(土) 「・・神のみこころにかなう願いをするなら・・聞いてくださる・・ 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願った その事は、すでにかなえられたと知るのです」Tヨハネ5:15
「・・神のみこころにかなう願いをするなら・・聞いてくださる・・ 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願った その事は、すでにかなえられたと知るのです」Tヨハネ5:15
ある人が、屋外の仕事があり、晴れるようにと祈った。する と大雨だった。又、別の時に、病気で伏せっていたが、友人 が「信仰があれば、絶対に病気は治る。疑わないで信じて、 神に祈ろう」と言った。しかし祈ったが、病気は治らなかった。 その人には「信仰」がなかったのか。 絶対に疑わないで信じる、という事に欠けていたのか。「信 仰」を、疑わないで「思い込むこと」と勘違いしてはいけない。 とにかくちょっとでも疑う事なく、疑いを打消して〃、必死に 思い込むことが、信仰なのではない。それなら、いわしの頭 も信心からと同じだ。思い込みは、信仰ではない。又、自分 で都合の良い御言葉を取って来て、約束が成就すると「思 い込むこと」は信仰ではない。 それは決して成就しないので、自分でもわかるが。信仰とは、 主のお心、ご意志がすべてであり、自分の思いを捨てて、主 の御心を求めて行くことだ。自分が良かれ、これが最善と思 うことが、多々ある。しかし自分の思いと、主のみ思いは、か なり違っている事を経験する。「わたしの思いは、あなたがた の思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるか らだ」とあり、かなり異なるということだ。 私たちの遙か先をも見通しての御心のため、私たちの理解を 越えている。自分の思いとは、大幅に違う。「初めに神」「神か ら発し」の通り、「初めに自分」「自分から発し」では無い。御心 は、「神によって成り、神に至る」そして主の栄光が現れる。祈 りは、自分の思いに気づかせ、主の御心へと軌道修正してく れる。主の御心に適うので、その祈りは聞かれる事になる。 ・・・・・・・・・・・・・・ 願いは祈れと言われ、その願いを祈って行くと、自分の思いか ら出たものは気づかせ、軌道修正して下さる。祈りにより、御 心へと導いて下さる。御心に適った祈りへと導かれるなら、その 祈りは叶えられ、すでに得ている事になる。
2026年02月06日(金) 「『ナオミに男の子生まれた。」と言って、その子に名をつけた。 彼女たちは、その名をオペデと呼んだ。オペデはダビデの 父エッサイの父である』」ルツ4:17
「『ナオミに男の子生まれた。」と言って、その子に名をつけた。 彼女たちは、その名をオペデと呼んだ。オペデはダビデの 父エッサイの父である』」ルツ4:17
ベツレヘムの飢饉で、ナオミ夫妻はモアブに移住。そこで夫と息子 を亡くした。故郷が豊作になり、帰郷を決意する。その時に主を信 じる嫁のルツが、自分に同行してくれた。その時から、ナオミはル ツの将来の事をよく考え、祈った事だろう。ルツは生計のために落 穂拾いに出る。 すると所有者のボアズが、親切にしてくれた。それを聞いたナオミ は、ボアズは親戚で、誠実で信頼でき、ルツを託す事のできる人物 と判断した。ナオミはルツに指示を与え、ルツはその通りに行動し、 ボアズに買い戻しを願った。するとボアズは、更に近い親戚が、買 い戻しの権利を放棄するなら、自分が買い戻すと。 ナオミはボアズが、主の御心の相手であり、この事が成就すると信 じた。それで「この事がどうおさまるか、わかるまで待つように」 と。後は主がされるから、ただ待てと。私たちも、学ばされる。ま ずよく祈り、示された事を行なう。示されたなら、尚も祈り続ける のでなく、行動する事が大切だ。そしてその後は主を待てと。 人は、待つ事が難しい。動く方が楽なので、どうしても動こうとす る。目に見えない主をじっと待つ事は困難だが、今、あなたも、主 にゆだねて待つ時だろうか。ナオミと、故郷を出て主を選び従った ルツは、素晴らしい栄誉にあずかった。異邦人ルツが救い主の家系 に入れられ、生まれた息子オペデは、ダビデの祖父となった。 -------------- ある程度の見込みがないと不安で、なかなか安心して結果は待てな い。でも目には見えないが、背後に主がおられる。信仰をもって待 ち望もう。主の御心は必ずなり、喜びの結果を受け取れる。
2026年02月05日(木) 「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった 間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」ルカ24:32
「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった 間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」ルカ24:32
主の死後、二人の弟子が、なすすべなく故郷に引き揚げる途上だ。 イエスご自身が、かたわらを歩かれたが、彼らには、それが主だと わからない。なぜ、わからないのだろう。目がさえぎられていた。 主は、現に、かたわらにおられるのだが、こちらの目のせいで見え ない。 目をさえぎるものが数々ある。失望落胆、悲しみ、絶望、この世の 価値観、思い煩い、不安、多忙、ネガティブ思考、悩み・・これらは 主を見えなくし、主を見失ってしまう。あなたも今、この状態にあ るだろうか。そんな意気消沈し、絶望した弟子たちに、主は、どう されたのか。 主は、御言葉を語られる。彼らは、なぜ主だとわかったのだろう。 主に目が開かれたのだが、どのように開かれたのか。後で気づくの だが、道々話して下さっていた間、御言葉を聞いていた時に、心が 暖かくなって行き、赤々と心が燃えた。主と出会う時、心が燃やさ れて行く。内側から力づけられる。 心に何かを感じた弟子たちは、もっと聞きたい、もっと知りたいと の「求め」が湧き上がった。分かれ道に来た時、主に一緒に泊まる よう、無理やり頼み込んだ。主はそのまま行かれる予定を、「求め」 に応じてとどまられた。一緒に泊まった時に、主を親しく知った。 さえぎられていた目が、主により開かれ、同行者が主だとわかった。 御言葉によって主がわかった。御言葉が重要だ。今も主はかたわら におられる。御言葉によって知れると。御声に耳を傾けよう。御言 葉により、目が開かれて行く。 -------------- 意気消沈しとぼとぼと歩く傍らに主がおられるところに希望がある。 御言葉を開き、祈りつつ御声を聞こう。必ず導かれる。苦しみや思 い煩いで曇りがちな気持ちのままで、御言葉を開こう。
2026年02月04日(水) 「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした ・・『私のそむきの罪を主に告白しよう。』すると、あなたは私の罪 のとがめを赦されました」詩篇32:5
「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした ・・『私のそむきの罪を主に告白しよう。』すると、あなたは私の罪 のとがめを赦されました」詩篇32:5
ダビデ王は、部下たちが命がけで戦っている中、夕方に起き出すと いう怠惰な生活だった。そこに悪魔の誘惑が来て、バテシバと姦淫 を犯してしまった。その時に、主に助けを求め、叫べば良かったが。 すると妊娠し、それを隠すために、策略により夫ウリヤを殺害した。 自分は王あり、すべて意のままであり、誰も物言える者はいない。 罪を隠し通した。しかし人の目には隠せても、主の目には裸であり、 主は見ておられた。隠していた間、激しい苦悶にうめいた。主の御 手だ。「1日中うめき、骨々は疲れ果て、骨髄はひでりでかわきき った」。心はカラカラにかわいて苦しんだ。 しかし主はあわれみ、預言者ナタンを遣わされた。例え話をした。 富者が貧者の大切な唯一の子羊を奪った話に、ダビデは「そんな男 は死刑だ!」と激しい怒りで叫んだ。人の事はわかるのに、まさに 自分だと気づかない。自分に密かな罪があり、その罪が赦されてい ない時、他者に対して非常に厳しくなる。糾弾する。 自分が主の赦しを受け取っていないと、他者を責めてさばく。なぜ か。無意識に、自分の罪が、自分を責め、それが他者に向かう。 ダビデは即、悔い改めた。見える所で水浴するバテシバも悪い、ウ リヤに対しても努力はした、言い訳が出そうだが、いっさいしなか った。 ダビデに、自由と喜びと平安が戻った。主は豊かに赦して下さる。 主の赦しを受け取る時、他者を赦す事ができる。主の血による赦し を受け取ろう。安堵と平安にされる。 -------------- 罪にはいつも言い訳があるが、主の御前にごまかす道はない。また 罪を犯さずに生きることも出来ない。ただ恵みにより主に赦されて、 赦しを受け取る道がある。何というあわれみだろう。
2026年02月03日(火) 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでに なりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝み にまいりました」マタイ2:2
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでに なりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝み にまいりました」マタイ2:2
主が、ベツレヘムで誕生された時、東方の博士たちが、星に導かれ て、エルサレムにやって来た。そして「ユダヤ人の王はどこに」と 聞いた時に、ヘロデ王は恐れ惑った。新しい王が誕生するなら、ヘ ロデ王は、自らの地位が危うくなる、恐れ惑うのはわかる。しかし 「エルサレム中の人も王と同様であった」。なぜ人々も、恐れ惑う のか。 彼らは、一応の生活が安定し、成り立っている。今の安定を乱され たくない。別にヘロデなど、どうという事なく、王として認めてい ない。逆らうと身に危険が及ぶから、表面上従っている。脅威でも 何でも無かった。しかし新しい王の誕生は、実に脅威だった。非常 な恐れと不安を抱いた。神からの王なら、真の王であり、真実に従 わなくてはならない。大変な動揺と不安を覚えた。 私たちは、アダムからの古い罪の性質が宿っている。それは自分が 王であり、主人だ。自分の思い通りに生きる。誰にも干渉されたく ない。自分の上に「主」を置くのは嫌だ。ヘロデになら、形だけで あり、自分が王だ。しかし真の王は違う。そして今の生活を乱され たくない。私たちはどうだろう。 命を捨てられた主を前に、自分は決して変わりたくない、王であり 続けるだろうか。主に、心の王座に来て頂くだろうか。心の奥の本 心はどうだろう。あるがままを主に告げて、主に祈ってみよう。主 は受け止め、愛し、導いて下さる。 -------------- 明け渡すことに強く抵抗するのは、自分自身が王であろうとするか らだ。認めていきたい。ただ支配するだけの方ではなく、身をもっ て私たち救い、いのちを与える事のできる王に明け渡していきたい。
2026年02月02日(月) 「この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何も することはできません」ヨハネ14:30
「この世を支配する者が来るからです。彼はわたしに対して何も することはできません」ヨハネ14:30
悪魔は、私たちを罪に誘い、攻撃する事ができる。しかし主に許さ れた限界内でしか出来ない。ヨブ記にあるように「持ち物はいいが、 身はいけない」と。次に悪魔が襲って来た時には「身はいいが、命 には触れるな」と。主は、悪魔の、私たちへの攻撃に限度を定めて おられる。それ以上は不可能だ。ユダは主イエスを裏切り、銀貨30 枚で売ってしまった。 主は、無実の罪で捕らえられた。悪魔が、ユダの心に思いを入れた とある。「悪魔は・・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れ ていた」。悪魔のしわざだった。イエスは十字架にかかられ、死な れた。主は悪魔を阻止出来たが、悪魔が働く事を許容され、その悪 魔すら、決定的な御旨成就のために用いられた。 主は全知全能で、全主権を握っておられる。悪魔は、主を十字架の 無残な死に追いやったが、結果的に、人類の贖いという金字塔を打 ち建ててしまった。もう引き戻せない。誰も悪魔も、どうする事も 出来ない。ペテロも、悪魔にやられた。主が捕らえられた時、保身 に走り、主を否定し裏切ってしまった。 しかし、主は、予めご存じの上で、ペテロの将来を見据えておられ た。「サタンがあなたをふるいにかけることを願って聞き届けられ た」サタンのふるいだと。ユダは悔い改める事なく、そこで主に頼 る事なく、自害した。しかしペテロは悔い改めた。粉々に砕かれ、 自らの弱さを徹底的に思い知らされた。悪魔は働くが、尚も主が、 その上におられ、その事を、勝利へと導かれる。 ------------- 日々、様々に平安を奪ってくるものの背後には、この世の支配者、 悪魔の働きがあるが、全ては神を通してくることを覚えるとき、 心は守られる。主に頼っていよう。
2026年02月01日(日) 「・・その木は、いかにも好ましかった。それで女はその実 を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べ た」創世記3:6
「・・その木は、いかにも好ましかった。それで女はその実 を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べ た」創世記3:6
エデンの園で、悪魔に誘惑され罪を犯したエバは、アダム も罪に引き込んだ。罪を犯したアダムに、主は悔い改めの 機会を与えようとされ、「あなたは・・食べたのか」と問われ た。「食べた」か「食べていない」の「はい」か「いいえ」の答 えになる。しかし、エバに責任転嫁し、言い訳をした。「この 女がくれたので、私は食べた」と。 つまり「私は悪くない。この女がくれなかったら、食べなかっ た。だから、くれた女が悪い」その上「あなたが置いたあの 女」と主のせいにした。あなたが女を置いた、だからあなた が悪い。自分は被害者となる。しかし、主が食べてはいけ ないと命じられた。それを食べたのだから、どう弁解しようと、 自分の罪だ。「食べました。ごめんなさい」と悔い改める事 ができた。 しかし、認めない。私たちもどうだろう。罪を犯した時に、言 い訳をし出すなら、数限りなく出て来る。驚くばかりだ。人の せいにするという、根深い肉の性質がある事をわきまえて いよう。「女のせい」「主のせい」「相手のせい」「あの人、こ の人のせい」「状況のせい」と。「私は悪くない」「私は疲れ ていたのだ」のだと。しかし、それは紛れもなく「私の罪」だと 認めよう。 誰かがくれたとしても、食べたのは私だ。主の言葉に従い、 食べない選択もできた。拒否する事ができた。「私の罪」と 認める時に「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよ めます」赦しを受け取れる。「しかし、あなたが赦してくださる からこそあなたは人に恐れられます」。主の血潮による 豊かな赦しを受け取れる。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 不都合が起きると、人のせい、状況のせいにしたくなる。自 分の罪だと認める事が難しい。しかし主を仰ぎ、とにかくあり のままを祈ろう。弱さもご存じで、主のあわれみは尽きず、 御心へと導いて下さる。まず祈ろう。