2002年02月28日(木)

「キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです」(コロサイ3:11)


 教会へ行った時、小さな娘が「あ!イエス様だ!
イエス様がいる!」と叫んだ。
イエス・キリストを描いた額がかけてあったのだ
小さな子供がなんとうれしそうな顔をした事か。
子供は素直に喜ぶが、大人もそうだ。失望落胆、
絶望にいた弟子達が復活の主が自分達の前に現れ
た時、その喜びはいかばかりの事だったであろう
では、私達はいつキリストを見る驚きと喜びを体
験するのだろうか。毎日の生活の中だ。
キリストの愛と配慮はいかばかりだろう。
目が曇っていて見えないのだ。一日の初めに祈れ
この一日を通してキリストの愛と配慮がはっきり
と見えるようにと。恵みを数えて驚くだろう。
仕事の中に主を見るだろう。対人関係の中に主を
見るだろうし、平凡な毎日の雑用の中に主を見る
見なれた場所にキリストを捜し求めるのだ。
「あ!イエス様だ!イエス様がおられる!」と驚
きの声をあげるだろう。
目を開いてしっかりキリストを探せ。


2002年02月27日(水)

『サムエルは「お話下さい。しもべは聞いております」と申し上げた』(Tサムエル3:10)

神は語られる。私達に語りかけを
通して導かれる。神が語られるの
が「聞こえる」。しかし、肉の耳に
ではない。人の声が聞こえるよう
に、神の声は聞こえない。耳にで
はなく心にはっきりと聞こえる。
私達に指示を与え、促し、導か
れる。どのように語られるのか。
色々な方法だ。礼拝説教を通
して、心に明確に答えられる。
聖書を読んでいる時に、今の
問題や心の苦しみ悲しみに光
を当てるように、心に反応
起こす。兄弟姉妹の交わりの
中でも、ある人の証しを通して
も語りかけられる。聖霊はいつ
も私達がみこころを歩むように
助けられる。祈りの時、思いを
通しても語られる。自分の思い
と神の思いをどう見分けるか。
もし、これをしたら私も他の人
も、もっとキリストに近づけるか、
神の愛と栄光を現わすか、も
う一つ、この事は聖書全体の
原則に適っているか、はずれ
ていないか。それを自分に問
いかけて査定せよ。御霊は正
しく導いて下さる。


2002年02月26日(火)

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」(箴言3:5)


 ある豪雪の地域。雪の日に車で
移動していた。カーラジオの天気
予報によると移動先に猛吹雪が起
こっている、これからこの一帯も
吹雪になるからドライブは中止し
て、屋内にとどまるよう注意して
いた。しかし、今の場所はそんな
気配は全くない。予報が外れてい
るんだろうと、意に介さず進んで
いった。すると数十分すると、猛
吹雪が襲ってきた。全く視界が見
えない。視界ゼロだ。運転不能。
その場に車を止めねばならなかっ
た。結局ホテルに宿泊のはめにな
った。他人を信頼する事は簡単で
はない。大変難しい。
ことに相手の言う事が自分の聞き
たい事に反する時だ。
あなたにも経験があるだろう。
自分の思いと違う時、受け入れら
れない。神のみ声もそうだ。
自分の欲しない事を言われる時、
受け入れられない。しかし、危険
な状態を神は御存知で警告して下
さる。耳を傾け従え。


2002年02月25日(月)

「旅人をもてなす事を忘れてはいけません、こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました」(ヘブル13:2)


 ある夫婦が外国旅行をしていた時、
車が故障してしまった。
お手上げ状態で困り果て窮地に陥った
小さな整備工場が見つかった。
休日で休みだった。しかし、どうしよ
うも方策なく戸を叩いた。休日を楽し
んでいた主人は、それにも関わらず快
く応じてくれた。ましてや夫人たちは
ちょうどお茶の時間だから一緒にどう
ぞと招いてくれた。車はすぐに修理さ
れた。しかし、修理代はいいからと取
ってくれなかった。どんなに心満たさ
れ暖められた事だろう。この夫婦にキ
リストを見た。窮地に陥った時の親切
は真にありがたい。
神の愛、親切、好意を表す事が出来る
形は色々違うだろうが、あなたも夫婦
のようにキリストを表す事が出来る。
困っている人々のために神に用いてい
ただける事が出来る。
そのために、まず自らの心を開かなけ
ればならない。


2002年02月24日(日)

「しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子供のために作りなさい」(T列王17:13)


ある女性が飛行機に乗った時、
身体の具合も少し悪い上、揺
れで気分が悪くなった。ところ
が、前方で子供のむずがる声
が聞こえた。2才位の子が大
声で泣き出した。若い母親
は赤ん坊を抱えて戸惑って
いた。思わず、赤ん坊を抱
いていましょう申し出た。若
い母親は感謝してあずけて
くれた。赤ん坊をあやし続
けた。抱いて揺らして語り
かけた。上の子が落ち着
いた時、赤ん坊を母親に
返した。すると、自分の気
分がすっかり良くなってい
る事に気づいた。利己心
なしに助けることによって
自分が与えられたのだ。
やもめはエリヤの言葉
通り、最後の一握りの
粉でまずエリヤにパンを
作った。すると、周囲が
飢饉のまっただ中で、やもめ
の家のかめの粉は食べて
も食べても尽きず、壷の
油は無くならなかったのだ。
時間、労力、才能、富を
与えて行く時、更に豊かに
自分に与えられる


2002年02月23日(土)

「たまたま、祭司がひとりその道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った」(ルカ10:31)


 車で道路を走っていた時、舗道に横た
わっている男性が見えた。
酔っ払いか?気分が悪くて倒れたのか?
まさか車にひかれたのか?そのうち起き
上がってどこかへ行くだろうか。
車を止めるべきだろうか。一瞬、様々な
考えが頭を巡った。
突然、良きサマリヤ人の聖書箇所が脳裏
に浮かんだ。面倒な事に関わりたくない
気持ち、また、困った成り行きになるの
を恐れる心、時間を取られる事の拒否反
応・・いろいろな心が巡った。
しかし、良きサマリヤ人の教えから逃げ
る事は出来なかった。
御霊は「道の反対側を通りすぎる」事をお
許しにならなかった。車を止め横たわっ
た人に対応した。私達にも、横たわった
人が目の前にいるだろう。時間を取られ
るのが嫌で余計な面倒に巻き込まれたく
なくて、関わりを持ちたくなくて、しば
しば道の反対側を通りすぎてしまう。
しかし、御霊はなんと言われてるか。
御霊の導きに従おう。


2002年02月22日(金)

「あなた方は地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい」(コロサイ3:2)


 「天路歴程」の中で、ジョン・バニヤンは
「下ばかり見る人」の事を描いている。
泥と汚物の中にひざをついて、熊手を動かし
自分の人生を豊かにするであろう最高のもの
を見つけ出そうとしている。
しかし、その間中、輝く冠が、彼の頭上の手
を伸ばせば届くところに厳然とあるのだ。
バニヤンはこうまとめている。
彼の頭の上には、手に天の冠を持った者が立
っていて、彼のごみかき熊手の変わりにその
冠を差し出していた。ところが、男は見上げ
もしないし、意に介しもしない。
ただ床の藁や屑や塵をかき集めていた。
あなた方の心を天に向けなければ、天の報い
褒美、冠に何の興味もそそられないという事
だ。この世に生きているが、この世に執着し
てはならない。天の報いをひたすら求めて生
きる寄留者で旅人だ。
あなたの優先順位は間違っていないか。
調整し正せ。天から差し出されている冠に目
を留めよ。


2002年02月21日(木)

「その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実を実らせる」(エレミヤ17:8)


 ある父子が庭の小さな切株を抜いて
しまおうと、掘って牽引ロープで引っ
張った。小さな何でも無い切株なのに、
びくともしない。さらに深く掘って、
根も切り再度挑戦した。
ところがまだまだびくともしない。
牽引ロープを三本にしたが切れてしま
った。深く張った根は、しっかりと地
面深くその切り口をつなぎ止めていた
これは霊的な事にそのまま適用できる。
成長する木は枝を上に向かって高く伸
ばすだけでなく、根を深く深く張る。
深い根がなければ高い枝を支える事が
出来ない。大木にはならない。
頭でっかちになり、風が吹くとひっく
り返ってしまう。私達はみ言葉に根を
しっかりからませ、私達を主のみ心に
深く従わせるのでなければ、上に成長
する事は出来ない。成長したいなら根
が必要。祈り、み言葉、訓練、試練、
それらが深い根を生じさせるのだ。


2002年02月20日(水)

「人は火をふところにかき込んで、その着物が焼けないだろうか」(箴言6:27)


 ある悲劇が報じられていた。
少年がペットの蛇に絞め殺されて
しまったというものだ。
三メートルもある蛇を飼っていた
らしい。どうしてそんな事が起こ
ったのか誰にも定かでない。
おとなしかった蛇が、何かのはず
みに獰猛になったのであろう。
しかし、なぜそんな危険なものを
家に持ちこんだのか。
これは「火遊びは危険」との警告を
与えてくれる。罪と戯れる事も同
様だ。小さな罪なら誰をも傷つけ
ずただ楽しめるように思える。
しかし、それは欺瞞だ。最初は害
のないように見えるが、もてあそ
ぶなら蛇と同様に死を生む。
悲劇が起こる。火遊びしたり蛇を
けしかけたりしてはならない。
罪が喜びをもたらすなどと思うな
罪は一瞬の快楽をもたらすが確実
に死に至る。罪と戯れてはならな
い。罪を捨て、きっぱりと罪から
離れよ。
必ず致命傷となる。一番危険な罪
は飛びついて来るのではなく、知
らぬ間に忍び込んで来る。


2002年02月19日(火)

「神はあらかじめ定めた人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです」(ローマ8:29)



非常な苦しみと悲しみにあった人が叫んだ
「私なんか造られなければよかったのに」
彼女の友人は答えた「あなたはまだ造られて
いない。今、造られつつあるのよ」
私達は問題や困難、悩みによって強くされる
不屈の精神という外套を作って頂ける。
その外套は私達の魂を暖めるだけではなく、
他の人を励ます事ができる。もし、その試練
が、たとえ私達の罪ゆえに神から正されて起
こった試練であったとしても、その懲らしめ
は後になると訓練された人々に平安な義の実
を結ばせると約束されている。
人生の全てがうまく行かないように思えるか。
しかし、神はすべてを働かせて益としてくだ
さる。そして、あなたを御子と同じ姿に変え
て下さる。御子の形に形造られるためには、
砕かれなければならない。
痛みと涙、望み無き年月、それによって成長するのだ


2002年02月18日(月)

「あなたがたの先祖は、わたしにどんな不正を見つけて、わたしから遠く離れたのか」(エレミヤ2:5)


 新婚夫婦を見る時、愛のはじまりは
微笑ましいと思う。そのような愛は結
婚だけでなく、新車を買った時も同じ
だ。ワックスをかけ磨き愛車を大切に
する。信者であれ、人間関係であれ、
最初は熱い愛を献げるものだ。
しかし、時と共に興奮は冷める。
私達は人でも物でも過剰な期待をする
と必ず失望するはめになる。
理想とは程遠い事に気づくだろう。
しかし、神との関係は違う。
もし、あなたと神との関係が冷えてし
まうなら、それは神に欠点があるから
ではなく、必ず問題は、あなたにある
あなたが神とのコミュニケーションを
断ち、無関係になってしまっているた
めだ。神のあなたへの愛は絶える事が
ないからだ。神との関係が冷えている
なら、祈りによって神に近づけ。
キリストのあなたへの愛をしかり考え
よ。神に立ち返れ。


2002年02月17日(日)

「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります」(Uコリント9:6)

ある人が言った。「神は人に金銭
の管理を任せられない事がある。
なぜなら、神がその人を通して、
人に分け与えたいお金を、その
人が取り込んでしまうからだ」
パウロは言っている。「人の益
を計り、良い行ないに富み、
惜しまずに施し喜んで分け与え
るように」と。私も資産を持って
いたなら、気前良く分け与える
のだがというのは簡単だ。
しかし、人は持つほどに貪欲に
なるものだ。更に貯えようとす
るものだ。あなたは貯めこんで
いる富は無いか。時間、才能、
賜物、金銭、財産・・あなたが
喜んで、人に分け与えることの
出来ない、神からのあずかり
物はないか。神からあなたに
任された物も恵みも、気前よく
分け与えて欲しいと望んでお
られる。どれだけ出すかでなく、
どれだけ出し渋っているかも、
主は見ておられる。


2002年02月16日(土)

「ヨハネは何一つしるしを行わなかったけれども、彼がこの方について話したことばはみな真実であった」(ヨハネ10:41)

バプテスマのヨハネの死後、ヨハ
ネを通してイエスに出会った人々
は、彼の言葉を思い出し、彼がこ
の方について話したことはみな
真実であったと言った。大部分
の人は目立たない人生を送る。
奇跡を起こす事もないし、注目
されることもない。ごく普通のどこ
にでもいる人々だ。しかし、私達
に出来ることがある。行く所々で
イエスについて自分が知っている
事を話すことだ。結果は神に任せ
よ。あなたは人生の最も重要な
目的を果たす事になる。死後で
さえ、あなたの言葉は残り、誰か
を神に導く。種のように土中深く
潜んでいた命の御言葉が芽ぶく
かも知れない。誠実に生き、出
会う人々にイエスを紹介せよ。
神はあなたの証しを用いられる。
死後、墓石に記される。「この人
は何一つしるしを行わなかった
けれども、イエスについて話し
たことは、みな真実であった」


2002年02月15日(金)

「人はその口にするあらゆるむだな言葉について、さばきの日には言い開きをしなければなりません」(マタイ12:36)


 ある選挙候補者が対立候補者の過去
を知った。重度の鬱病で電気治療を受
けていた事を。それをマスコミに流し
た。相手は悩み、抗議して来た。
しかし、電気線につながれたような者
の言う事に答えるつもりは無いと突っ
ぱねた。数年後、彼は脳腫瘍が発覚、
寝たきりになり、医療機器につながれ
苦しんだ。死の前に、以前の相手候補
者に手紙を書き、赦しをこうた。
自分の言葉がいかに残酷で、傷つける
ものであったかに気づいたからだ。
あなたは辛辣な言葉を浴びせる事は無
いか。特に、自分の子供や、夫、妻、
家族に対してだ。クリスチャンは言葉
の影響力を考える責任がある。
その一つ一つを神が見ておられる。
怒り、憎しみ、嫉妬、敵対心に満ちた
言葉は大きな害をもたらす。
一つ一つに責任を負わなくてはならな
い。神に祈れ。相手を傷つける言葉を
口から出す前に、飲み込め。感情的な
言葉を決して投げつけるな。


2002年02月14日(木)

「あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい」(Tコリント9:24)


 あるスキー選手が米国代表に選ばれる
ことが夢だった。ところが、ベトナム戦争
で徴兵され、地雷で足を失ってしまった。
以来、神と人を憎み、酒と麻薬に溺れた。
自殺も考えた。そんな時、クリスチャンに
出会い、人生が変えられると聞いた。
始めは全然信じなかったが、やがて主を自
分の心にお迎えした。すると足は直らなか
ったが、自分の心が変えられ新たにされた
十代の少年達にも主を伝えたいと関わりを
持っていた。「一緒に競争しようよ」とせ
がまれ「無理だよ。足が無いもの」という
と少年たちは言った「車椅子があるじゃな
いか」これが車椅子レースに挑戦した始ま
りだった。人々によく「あなたを変えたの
は車椅子マラソンですか」と質問される。
彼は確信に満ちて答える「いいえ、イエス
キリストです」あなたは負け組みだと感じ
ているか。主はあなたが失ったものを益に
変えて下さるだけでなく、あなた自身をも
変えて下さる。


2002年02月13日(水)

「私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です」(Tコリント3:6)

教会学校の教師が子供達に綺麗
な花鉢を見せて、これを育てた
のは誰でしょうと質問した。即
座に「神様!」と答えた。別の
子が「肥料も効くよ!」と言っ
た。これは深い真理だ。神が成
長させて下さる時、人間はどう
関わっているかを示している。
神はこの世界を創造された。
しかし、人をエデンの園に置き
手入れや世話をするように任せ
られた。信仰の成長も同様だ。
「増やす」働きの責任者は神
だ、しかし、人間の忠実な努力
を通して働かれる。神お一人が
すべてを成長させる事のできる
方だ。同時に、神は人を通して
働かれる。私達の働きも「よく
効く」のだ。神は常にご自身の
働きを忠実に果たされる。
私達はどうだろう。神のみここ
ろを忠実に果たして行くことだ。
結果は神が責任を持って下さる。
収穫を祈れ。そして、そのため
に労し続けよ。


2002年02月12日(火)

「この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし、神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です」(詩篇73:26)

ある人が次から次と、病気の人生
と言ってもおかしくないほど病気
をわずらって来た。又、激痛にも
耐えて来た。ある人が尋ねた「あ
んたの神をどう思うかね?」する
と、この敬虔な人は答えた。「日
に日に、このお方への思いは深ま
るばかりだ」苦しみ悲しみは更に
神に心を堅く結ばせてくれるきっ
かけになる。次々と苦難に会い、
健康も富も地位も愛する人も何も
かも失った時、人生に唯一残るも
のが神だ。その時、人は神が何か
を与えてくれるからではなく、神
が神であるゆえに愛するようにな
る。詩篇記者の心のようだ「天で
は、あなたのほかに誰を待つこと
ができましょう。地上ではあなた
のほかに私は誰をも望みません」
神以外に何も残っていない時に、
初めて神だけで十分だとわかる。
天国を忘れるな。天国を思うと、
今の痛みを正しく捉えられるよ
うになる。


2002年02月11日(月)

「私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう」(ルカ5:3)

ペテロ達は、夜通し漁をしたが、
一匹も魚が取れなかった。夜の間
中、働いて疲れ果てて岸に戻った。
くたくたになった疲れた身体と、
労苦が報われない疲れた心で、網
を洗っていた。そこに、イエスが
来られ、もう一度、漁に出るよう
にと言われた。昨夜の状況を話し、
しかし、ペテロはイエスの言葉に
従った。すると、引き上げられな
いほどの大漁だった。私達はそれ
ぞれの場所にいる。そこでの仕事、
対人関係、又、霊的領域での奉仕、
信仰生活に、行き詰まっているか
も知れない。何も前進が無く諦め
かけているかも知れない。しかし、
主はあなたに語っておられる。あ
なたのわざを続けよ。そして、更
に沖へこぎ出せと。あなたの生活
のどの面で、もっと沖へこぎ出す
ように言っておられるだろうか。


2002年02月10日(日)

「それは、あなたがたが怠けずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです」(ヘブル6:12)

ある人が子供の頃、ピアノ教室
に通っていたが、途中で止めて
しまっていた。そこで、大人のた
めのピアノ教室へ授業料を払っ
て通い出した。楽譜を見て一曲
弾く事を目標にした。ところが始
めると、一見簡単なレッスンにも
長時間の練習が必要だとわかっ
た。即席ピアノ習得など不可能
だった。しかし、練習を積み上げ
る内に、指先から流れ出て来た。
信仰生活も同様だ。辛抱強い
実践の繰り返しが必要だ。ヘブ
ルの記者は生涯を通して、勤勉
な霊的生活を送るよう励ました。
自分の努力では出来ない。アブ
ラハムのように生ける神の御力
と誠実さを信じて、耐えぬくなら
神の約束は希望を与えてくれる。
結果はすぐには出ない。忍耐が
必要で、長く待つことだ。神の
すべての約束が成就する日ま
で信じて励もう。途中でよろけ
ても、御言葉で新たに力が与
えられる


2002年02月09日(土)

「神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています」(ローマ8:28)

こんな話がある。船が難
破して一人だけ生き残り
無人島にたどり着いた。
彼は神に助けが来るよう
に祈った。しかし、誰も来な
かった。やがて雨をしのぐ
ために木で小屋を作った。
ある日、小屋に帰ると、
火に包まれて小屋が燃えて
いた。彼は怒った。「神様、
なぜこんなひどい事をする
のですか」。その翌日、救
助に来た人々に起こされ
た。「どうしてここがわかっ
たのですか」「煙が見えた
からです」。ある牧師が言
った。「神が困難を止めて
下さらないと、神の愛は
憎しみのように感じる。
しかし、結末は必ず神の
愛の本質を確認させて
くれる」私達は通る試練
を、しばしば誤解する。
神がすべての事を働か
せて益として下さる事に
気づかない限り。神の
真実を信じれるように、
私達の信仰は試される
事がある。


2002年02月08日(金)

「いなごが、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう」(ヨエル2:25)

いなごが、食い尽くした年々・・
罪が食い尽くした歳月・・ある人々
は明白な罪によって、人生における
神の祝福を、自ら投げ捨ててしまう。
あなたの人生にも、失敗があったか
も知れない。どん底まで落ち、自分
の力で、どうにもならない事がわか
り、神に助けを求めて、立ち返る。
悔い砕かれた心を、神はさげすま
れず、赦し、回復を与えて下さる。
どんな時にも、悔い改めて、砕か
れた心で神に立ち返る者に、神は
約束して下さっている。「罪が食い
尽くした年々を、わたしは償おう」。
その失敗を、過失を神は償って
下さる。悔い砕かれて、神に立ち
返れ。神のあわれみは尽きない。
そして、あなたには、追い払うべき
「いなご」は無いか。


2002年02月07日(木)

「私の身に起こったことがかえって福音を前進させえることになった」(ピリピ1:12)

パウロは逆鏡がチャンスになる
と見ていた。パウロとシラスは
ピリピの牢獄で無実の罪で捕ら
えられた上、むち打たれ、足か
せをはめられた。そんな中で、
彼らは祈りと賛美をささげた。
その信仰と従順が、看守一家を
救いに導いた。米国の野球のス
タープレイヤーに、癌が発覚し
た。腕の癌を治療し、プレーを
続けていたが、腕が折れてしま
った。医師は命を救うために、
腕を切除した。献身したクリス
チャンであった彼は、自己憐憫
にならなかった。「自己憐憫は
感じません。神様、なぜですか、
でなく、あなたの私へのご計画
は何ですかと問いました。そし
て、これは多くの人々に福音を
伝えるための機会だと理解して
います」彼の語る信仰は、まさ
に生きた証しなので、人々は
真剣に耳を傾けた。あなたは
自己憐憫か、それとも神の機会
か。


2002年02月06日(水)

「知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな子はその母をさげすむ」(箴言15:20)

夢のホームとは、どんな家庭だ
ろうか。広い庭付き、プール付
きの家か。三階建ての豪邸か。
美しい山々に囲まれ、眺望抜
群の家か。ほとんどの母親は
それ以上のものが必要だと知
っている。家庭に最も大切な
ものは、霊的な特質と父親、
母親、子供達の間にある愛
だ。ソロモンは莫大な財産を
持っていた。しかし、財産ゆえ
に問題があるより、主を恐れ
て貧しく生きる方が良いと言
った。ステーキがあるより、
野菜を食べて愛がある方が
良い。夢の家は、子供達が
従順に両親に従う場所だ。
子供の親への従順は、親
の神への従順にかかってい
る。家族への愛と主への畏
れ、従順がどんな家をも夢
の家庭とする事が出来る。
そこで、家庭の一人一人
が本当の喜びを見い出す
事が出来る。ハウスは人の
手によって築かれる。しか
し、ホームは人の心によっ
て築かれる。ハウスはあっ
ても、ホームは少ない。あな
たの家をホームにせよ。


2002年02月05日(火)

「主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた」(詩篇40:3)


 詩篇記者は、神が私の口に新しい歌
神への賛美を授けられたと語った。
しかし、彼は単にこの歌を受けたので
はない。その前節に「私を滅びの穴か
ら、泥沼から、引き上げてくださった
そして、わたしの足を巌の上に置き、
私の歩みを確かにされた」と言ってい
る。この記者の穴が何だったのかはわ
からない。災難だったのか、不敬虔な
選択をした結果なのかわからない。が
それは恐ろしいもので言葉に出来ない
ほどの孤独で死のようで、自分の足を
置く所がどこにも見つからない場所だ
った。自分でその「泥沼」から這い上が
る事が出来なかった。
神の助けが必要であった。
神はいつも共におられる。あなたは今
泥沼にいるか。滅びの穴にいるか。
キリストは穴の中に飛び込んで来て、
あなたを助け出して下さる。
救助の夜明けは、試練の最も暗黒の時
に訪れる。あなたの足を巌の上に置い
て下さる。


2002年02月04日(月)

「どうか十日間、しもべたちをたしかめてください。わたしたちに野菜を与え食べさせ、水を与え飲ませてください」(ダニエル1:12)


 ダニエルは、神がユダヤ人に禁じて
いる食べ物や飲み物で実を汚すまいと
心に定め、かん官の長に別の献立を頼
んだ。別の食べ物をとる許可を求めた
「どうか・・ためしてください」と穏
やかにお願いしたのだ。
私達はこの若者に学ぶ事ができる。
神を信じようとしないこの世で、信仰
生活を送って行くには様々のこの世と
の違いを経験する。
私達はただ単に自分を通すのではなく
また、要求するのでもなく、許可を求
めるのだ。私達の態度は、穏やかさと
柔和と敬意に満ちたものであるべきだ
キリストへの献身は確固たるものであ
るが、私達の希望について説明を求め
る人には誰でも答える事が出来るよう
備えているべきだ。証しをする時は大
胆に、且つ優しく敬意を持っているべ
きだ。この世に対する時、ダニエルに
見倣おう。一人でも硬く立ち、しっか
りと真理を知らせよう。


2002年02月03日(日)

「神は、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです」(Tコリント1:27)

私達はこんな風に思っていな
いだろうか。「私はつまらない
者です。才能も無いし、失敗
ばかりしているし、本当に平
凡な人間です。神はこんな私
を用いたいと本当に思ってお
られるのですか」。しかし、
神のわざは偉大な人々でな
く、平凡な人々によって成し
遂げられる。モーセは口下
手だと尻り込みし躊躇した。
しかし、神はイスラエルも導
く指導者として用いられた。
ヨハネやペテロは漁師だっ
た。卑しい大工と田舎者の
小娘が神の御子を育てた
のだ。これは現在もそうだ。
神の非凡なわざを行うのは
平凡な人々だ。ある老婦人
は8人の孫のために毎日
祈り続け全員を救いに導
いた。ある事務員は職場の
全員に証しした。ある婦人
は隣人が病気の時、食事
を届けて福音を伝える事
ができた。「なぜ、こんな
私を?」は「強い者をはず
かしめるため」が答えだ。
世界中のほとんどの人が
平凡な人々だ。神は平凡
な普通の人々を用いられ
る。神は平凡なあなたを
用いられる。


2002年02月02日(土)

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇103:2)

あるバイブルクラスで、教師が
大きな白い紙の真ん中に黒点を
記した。「何が見えますか?」
と聞くと「黒い点が見える」と
全員が答えた。「その他には?」
との質問に、誰も何も答えなか
った。「皆さん。この紙を忘れ
ています」と教師が言った。
資格教材を用いて、教師は一番
大事な事を教えようとした。
人生の些細な失望や落胆に目を
奪われ、主からの溢れる恵みを
忘れてしまっている。小さな
黒点に気を取られ、紙の存在に
目が行かない。逆境に圧倒さ
れてしまい、素晴らしい祝福
沢山の恵みを忘れている。試練
の時も沢山の祝福に目を留め、
祝福を数えるべきだ。それこそ
が試練に打ち勝つ力だ。主を
賛美し続けるなら、些細な黒
点に心乱されない。悩みでなく
主の恵みを、今数えよ。


2002年02月01日(金)

「なぜ、あなたは、あなたの手からその民を救い出すこともできないような神々を求めたのか」(U歴代25:15)


 もし、あなたが最近大きな霊的戦い
があり、そして勝利をしたなら、あな
たの手荷物検査をした方が良い。
戦いから不必要な物を持ち帰っている
かも知れない。ユダの王アマツヤは、
戦争に行く前は神の人の助言に耳を傾
け、従い、神は大きな助けを彼に与え
られた。ところが、敵に大勝した彼は
敵の神々を持ち帰り、これを自分の神
々として立てその前に伏し拝み、香を
たいた。特に、霊的勝利の後に、サタ
ンの誘惑と罠が来る。
よく気をつけなければならない。
霊的傲慢に陥り自分の力で勝ったと錯
覚し、誇るゆえかも知れない。
霊的勝利の後は心せよ。
アマツヤは勝利の後、失墜してしまっ
た。勝利して下さった全能の神の下に
へりくだり、再献身する時だ。
自身過剰に陥る最も危険な時だからだ