2003年04月29日(火)

「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です」(ヨハネ4:34)


 ある婦人、家庭と仕事の両立で、目の回るよう
な多忙な毎日を送っていた。
心身ともに疲労も頂点に達し、少し休もうと休暇
を取った。ボーっと過ごす事の心地良さ。
良い天候に、庭に椅子を出し身体を伸ばした。
何という快適さ。ひと時の憩いの時を満喫してい
た。すると、隣家の主婦が急用ができ、少し子供
を預かってもらえないかと頼みに来た。
心に拒否反応が出そうだったが、何とか了承でき
た。休息が奪われ、がっかりする思いが来た。
しかし、幼児の相手をし、一緒に遊んだ。
母親が迎えに来て、見送った後、自分が温かい気
持ちにされ心和み、心癒されていることに気づい
た。実は自分のために神が送って下さった子守り
だったのだ。神の訪れはしばしば妨げに見える。
しかし、常に大きな祝福だ。


2003年04月28日(月)

確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます」(Uコリント5:7)


 目の不自由な女性が交差点を渡ろうと
していた。しかし、工事中であり、心配
しながら見ていると、盲導犬が安全に注
意深く彼女を導いていた。
彼女には危険は見えなくても、盲導犬に
信頼しきっているので安心して安全に渡
れた。私たちは目は見えるが、未来の事
を見る視力は無い。
将来の事はわからない。ある女性が離婚
を通った。自分が離婚をするなどと思い
もよらなかった。打ちのめされた悲惨な
日々の後、神に頼るなら、平安に安全に
歩める事を経験した。神は問題や苦難が
なくなるとは言っておられない。
今も、様々な問題があるが、神に頼る時、
混沌と混乱のまっただ中で、言葉に尽く
せない平安に満たされるのだ。
神に頼る時、どんな嵐の中でも守られる


2003年04月27日(日)

「ほんとうに自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした」(Uコリント1:9)

     
神は私達に試練を与えられる。パウロも死を覚悟するほどの状況に陥った。試練についての多くの箇所がある。「愛する者を懲らしめる」「火のような試練」「キリストのための苦しみをも賜った」命さえも危うく
なったパウロも苦しみを受けた。苦難の最中の一番の誘惑は、苦しみに飲み込まれてしまって、神が見えなくなってしまう事だ。しかし、神は私達を単に苦しめるのが目的ではなく、苦しみを通して、神のみわざをなさる事が目的だ。苦しみのまっただ中で、神に真に頼るのが何かを知る。それまで、いかに頼っていなかったかを悟る。又、深い苦しみの中で、神がいかに真実なお方であり、苦しみの時に支えて下さるかを、周囲に示して行く。


2003年04月26日(土)

「全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」(創世記13:9)

近所に、もめ事が時々あるものだ。犬の鳴き声がうるさいとか、子供の声、ピアノの音の苦情等。なかなか解決は難しい。アブラハムと甥ロトの牧者達の間にも争いが起こった。互いの持ち物が多過ぎ、一緒に暮らせなかったのだ。その時、アブラハムは年上に関わらず、若い甥ロトにまず主導権を与え、土地を選ぶ権利を与えた。ロトが肥沃な土地を先に選び取っても、意に介さなかった。親族間の平和は保たれた。アブラハムのへりくだりのゆえであった。私達の内に争いがあるなら、アブラハムのように、へりくだって自分の主張を幾らか譲る時、良い道が開かれる。平和の子とされた私達は、平和を作り出すよう主は望まれている。今、あなたに争いがあるか。


2003年04月25日(金)

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Uコリント5:17)


 救われた私達だが、時々「古いもの」がまとわり
ついて来て、前進をはばむ事を経験する。
過去の失敗や過失が悔やまれ、落ち込む。又、過去
の対人関係での傷が突然よみがえり、憎しみや嫉妬
に襲われる。又、実現できなかった計画や夢が思い
出され落胆する。あの時ああしていたら、この時こ
うしていたらとの思いが交錯し、今のこの時を暗く
する。そんな過去の事のために現在の喜びを奪われ
る必要はない。古いものは過ぎ去った。
新しく造られた者である。過去はキリストの血潮に
よって拭い去られ、全く新しい、キリストと共なる
人生に入れられた。永遠に至る新しい人生、
何という幸い。


2003年04月24日(木)

「私を弁護してください。主よ。私が誠実に歩み、よろめくことなく、主に信頼したことを」(詩篇26:1)


 「誠実」に歩むこと、日常生活で誠実である
ことは、素晴らしく神に栄光を現す。
誠実とは言う事と、する事が一致している事
だ。人には厳しく自分のは甘いものだ。
人への見方と自分を見る物差しが違うのだ。
人には要求するが自分はしていない。
このような中で、誠実に歩むことは大きな証
しとなる。偽りに満ちた私達の心が誠実であ
り続けられるのは、神による。
まず神を第一にし、主を礼拝し、日々を歩む
事だ。主の前にきよくあり続ける時、奇しい
主のみわざを語り告げる事ができる。
主の前に真実に歩むなら人の前に真実である
事ができる。欺き、偽りが心に生活に入る事
を許してはならない。偽りを拒否し、避け、
真実な事葉を語り、真実に行おう。


2003年04月23日(水)

「あなたの手に善を行なう力があるとき、求める者にそれを拒むな。あなたに財産があるとき、あなたの隣人に向かい『去って、また来なさい。あす、あげよう』と言うな」(箴言3:27)

あなたにとって多忙な日だとする。朝から育児家事
仕事と動き回っている。分刻みでスケジュールをこ
なしている状態だ。隣家の主婦がお茶に誘って来た。
彼女は未信者で証しができるように祈っていた。
どうも愚痴を聞いて貰いたいようだ。あなたはどう
するだろう。主はよくご自分の予定、計画を中断させ
られた。途中で会う人々の必要に応じられた。長血
の女を癒され、叫び求める盲人を癒された。目の前
で求める人々の必要を満たされた。自分のスケジュ
ールで一杯の時に、誰かが助けを求めて来たら、
どうするだろう。妨害だと取るか、チャンスだと
取るかだ。愛するとは仕える事であり、人に仕える
とは神に仕える事だ。時間を献げる事ができるように。


2003年04月22日(火)

「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は死のうちにとどまっています」(Tヨハネ3:14)


 救われている証拠、新しい命を得ている証拠、
信仰に成長している証拠、それは兄弟を愛する
事だと御言葉は言う。兄弟姉妹への愛によって
量られると。これは真理だ。
私達の霊的成長や成熟は聖書知識が増す事や多
くの働きをする事にあるのではなく、愛する事
だ。必ず主を知れば知るほど周囲の人を愛する
ようになる。そうでなければ聖書知識は霊的高
慢を増長させるだけだ。
あらゆる奥義と知識に通じ、山を動かすほどの
完全な信仰を持っていても、愛が無いなら、何
の値打ちもない。
施しをしても、自分の体を犠牲にしても、そこ
に愛がないなら、何の役にも立たない。
いつまでも残るものは信仰と希望と愛。その中
で一番すぐれているものは愛。


2003年04月21日(月)

「私達は神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください・・確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(Uコリント6:1)


 こんな話がある。ある牧師が夢を見た。
悪霊が陰謀を企てて、一人でも多くの人を
地獄に落とそうというものだ。
悪霊が言った「聖書が真理ではない、と教
え込もう」別の悪霊は「神なんか存在しな
い。イエスはただの人間で、地獄なんて無
いと信じさせよう」また、別の悪霊が「神
はいてもいい。天国も地獄もあっていい。
でも、救われるのは幾らでも時間がある。
今信じられなくてもよい。先で信じればい
いさと思わせよう。決心を伸ばさせよう」
それがいいと、悪霊達は全員一致でその策
略で行く事にした。
決心を先延ばしにする事、これは悪魔の策
略だ。聖霊の導かれた決心を先延ばしにし
てはならない。明日があるとは限らないの
だから。今、決心すべきだ。
遅いという事のないために。


2003年04月20日(日)

「あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。・・あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」(ヘブル11:11)

私達に愛する未信者の家族や友人がいる。どうして
も救われて欲しいのに、なかなか信じてはくれない。
時が長引くと、がっかりしてしまうかも知れない。
しかし、ヘブル11章の信仰の聖徒達に励まされる。
アブラハムへの子孫の約束に関わらず、妻サラは
もう不妊の身だった。それゆえ、女奴隷ハガルによ
って子を得た。しかし、神の御旨は違った。どこまで
も約束の成就を信仰によって待たねばならなかった
のだ。待つ事は難しい。しかし、サラは不妊の身であ
るのに子供が与えられた。神の約束は必ず成就する。
種を蒔き続けよう。神は、神の時に、罪人の心に
働いて奇跡のみわざをして下さる。忍耐持って証し
を続けよう。


2003年04月19日(土)

「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください」(詩篇141:3)

言葉は一旦、口から発すると、元に戻すことが出来
ない。それゆえ軽率に言葉を出すべきではない。
又、一言が深く人を傷つけ、長年かかって築き上げ
た関係を簡単に壊してしまう事がある。言葉の力は
大きい。ヤコブは舌について警告している。私達は
言葉で失敗する者だと。舌を制御する事は非常に
困難であると。馬を制御したり、船の舵を取ったり、
獣を支配する方がたやすいと。舌は火であり、不義
の世界、少しもじっとしていない悪であり、死の毒に
満ちていると。舌で罪を犯す。悪口、噂話、愛の無い
批判、非難は人をひどく傷つける。私達は誰しも
唇の戸が守られるように祈る必要がある。言葉を
発する前に気をつけよ。これは真実か、たとえ真実
にしても、今語る必要があるのか、必要の無い言葉
は多い。相手の徳を高めるか。不必要な、無益な
言葉を口から出すな。


2003年04月18日(金)

『ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます』(マタイ13:23)


 種蒔きの例えによると、蒔かれた種から四つの反応
が生じた。ボヤーッと聞いていると、サタンが蒔かれ
た種を奪ってしまう。喜んで受け入れても、御言葉ゆ
えの迫害で枯れてしまう。
また、種が心に蒔かれるが、思い煩いや富の誘惑で、
種の芽をふさいでしまう。
四つ目の種は素直な心で育まれ、百倍の実を結ぶ。
この例えのように、御言葉を聞いて、すべての人が回
心するわけではない。誰が回心するかはわからない。
しかし、私達の成すべき事は種を蒔き続ける事だ。
種が良い地に落ちたなら豊かな実を結ぶ。御言葉は人
を変える力があり、変えて行く。
救いを祈っている人々に御言葉の種を蒔こう。
神の言葉は生きていて、力がある。
奇跡を成し遂げて行く。


2003年04月17日(木)

『ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った』(ルカ5:8)


 イエスから、深みに漕ぎ出して漁をするようにと
助言を受けた漁師達は、一番中働いたが何の効果も
なかったその所へ、再び言われた通りに網を下ろし
た。すると、ニそうの舟が沈みそうなほどに沢山の
魚がとれた。神のみわざが現わされた。
神は私達の物質的必要を顧みて下さる。深く配慮し
て下さっている。必ず必要は満たして下さる。
しかし、神の一番の関心は網に魚を満たす大漁では
ない。人間をとる漁師にして下さることなのだ。
しかし、神はそうして下さるのは、ペテロのように、
自分がどんなに罪深く、霊的に貧しい者であるかを
認めて、へりくだった者に対してだ。
神はご自身の愛を満たし、人を漁る者として下さる。
これこそ一番豊かな者だ。人をとる漁師だ。


2003年04月16日(水)

「神のみこころは何か、すなわち何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12:2)

私達の信仰生活で大事なの事は、神に私達を変え
ていただく事だ。私を変えて下さいとの態度だ。誰
しも変わりたくない。変わるには大変なエネルギー
がいるからだ。それゆえ、相手や環境を変えよう
とする。しかし、神のみこころは、私を変えて下さい
だ。自分が変わりたくないのに、相手も変わりたい
わけがない。反発を招くだけだ。私達は人を変える
ことは出来ないが、神の助けがあれば、自分に気
があれば、自分を変える事はできる。神には変えて
下さることが出来る。まず、内側が、心が変えられ
るなら、生活が変わる。心の一新だ。まず、神に
自分自身を委ねて、神のみこころを求める時、私
を変えて下さいとの態度なら、必ずみこころがわか
る。


2003年04月15日(火)

「塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか」(ルカ14:28)


費用を計算しないで、どんどんカードを使い
破産する若者が増えているそうだ。
買い物をする時には費用を計算する事が大切
だ。これはキリストへの献身においても言え
る事だ。主は弟子となるために必要な事を話
された。家族よりも自分の命よりも、主を愛
する事だ。そうでなければ、弟子になること
は出来ないと。主に従うには代価が必要だ。
弟子達が、どこまでもついて行きますと言っ
た時に、狐には穴があり・・しかし人の子に
は枕する所もないとその苦労を語られた。
簡単に従うと言うが、払うべき代価があり注
意深くその費用を計算しなければならない。
しかし、それは永遠につながる大きな報いの
ある代価だ。不従順こそ、結局は悲惨な代価
を支払う事になる。


2003年04月14日(月)

「この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです」(マルコ14:8)

 マリヤはこれから主が十字架にかかることを
悟り、自分にできる請一杯の事をした。
高価な香油を献げた。この行為は主を非常に慰
めた。ある女性が脳を癌に侵され全身麻痺とな
った。非常な苦痛の中で、彼女は決してひねく
れたり、すねたりしなかった。
また、自己憐憫に陥ったり殻に閉じこもる事も
なかった。彼女は御言葉を生きた。
神の御心に従ってなお苦しみに会っている人々
は、創造者に自分の魂をお任せしなさいとある
通りにした。彼女にできることをした。
彼女は一日中、祈りのリストにそって執り成し
をしたのだ。残された生涯を祈りに献げた。
神は執り成し手として大いに用いられた。
沢山の祈りの答えを見た。自分にできない事を
見るなら落ち込む。できる事に目を留めよ。
それを実行せよ。


2003年04月13日(日)

「私たちはどのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます」(ローマ8:26)

私達は誰しも、時に、祈れない事を経験する。悲
しみや苦しみ、辛さの中にある時、心がちぢに乱
れ祈れない。ある時は、壁が立ちはだかっている
ように、祈りが届いている気がしない。神様から
自分が遠く離れているように感じる。厳しい問題
と悩みのさ中では、心が問題に捕らわれてしま
って、がんじがらめになる。試練の時は、孤独で
神から見捨てられたように感じたり・・祈りにおい
て様々な障害や葛藤を経験する。祈りが集中で
きない時、罪意識で自分を責める。しかし、神は
弱い私達をご存じでいて下さる。悩み苦しみも
理解していて下さる。自分が出来ない時には、
御霊が助けて下さるのだ。祈れない時こそ、御霊
が祈り、執り成してくださるのだ。何という恵み。


2003年04月12日(土)

「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしくわたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望むことを成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる」(イザヤ55:11)

一人の婦人が子供の事でパニック状態になった。
息子は薬物に手を出し、犯行を起こし、刑務所
に入った。未婚の娘は妊娠が判明した。胸は張り
裂け、絶望のどん底に落されたようだった。絶望の
淵に沈んで、何のなすすべも無い時に、神が近づ
いて下さり、再び家族を建て直すとの約束を与え
て下さった。しかし、到底信じられる状況ではなか
った。不可能に思えた。しかし、自らの不信仰に
気づかされ、悔い改め、祈り始めた。そして、状況
がどうであれ、神を信じて祈り続けようと決心した。
どれだけ時間がかかっても、信頼して待ち望もう
と覚悟を決めた。苦しみの中で、幾歳月の時が
過ぎた。しかし、神は真実なお方。約束を成就され
た。今、息子は神に立ち返り、真面目に生活をし
ている。娘は幸福な結婚を与えられた。神は約束
を必ず守られる。


2003年04月11日(金)

「イエスは彼に言われた『まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います』」(マタイ26:34)

 ペテロは何があろうと、主について行くと言い切った。
全部の者があなたから離れても、私は大丈夫ですと。
ところが、イエスが捕らえられるや、恐れで、大祭司の
中庭で女中に問われ、イエスを知らないと言った。
呪いをかけて誓ってまで否定した。しかし、私達も同様
だ。ペテロのように、はっきりと目に見える形ではない
が主を否定する。隣人の必要をわかっていながら目を閉
じる。見て見ぬ振りをする。
聖書の制止を感じていながら、噂話に花を咲かせる。
一番の否定は、自分の力に頼り、主を頼らない事だ。
自分の判断、自分の思い、自分の知恵、経験で歩む事だ。
あらゆる時に御霊は語りかけ導いて下さる。
御声を無視せず、拒否せず、なおざりにせず、従順に従
う時守られる。


2003年04月10日(木)

「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこに行っても、あなたを守りあなたをこの地に連れ戻そう。私は、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」(創世記28:15)


 ヤコブは父と兄を欺き、長子の権利を奪った。
それゆえに家におれなくなり、叔父のもとへ逃れ
ざるを得なくなった。見知らぬ地へ向かい、野宿
していた時、夢に御使いが現われ主がかたわらに
立たれた。私達も状況が厳しい時、八方塞がりの
ように感じる時、行き詰まって一歩も勧めないと
思う時、一、わたしはあなたと共にいる。
二、わたしはあなたを守る。三、わたしはあなた
を連れ戻す。四、わたしはあなたを捨てない、こ
のヤコブへの神の約束は、絶望的な状況の中で大
きな励ましだ。どのような悲惨な状況の中でも神
に助けを求める事が出来る。
そして、私達に決して絶望はなく、神は必ず助け
て下さる。ヤコブの上に、この神様の約束が成就
したように。


2003年04月09日(水)

「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし・・」(創世記12:1)

アブラハムは75才の時に、主の召命を受けた。
年もとり、落ち着きたい頃だ。行き先もわからず、
ただ神が示される地へ行くという大変な決断で
あった。しかし、彼は神を信じ、神の命令に従った。
なぜ彼はそのような大胆なことが出来たのか。
それは神の御声をはっきりと聞いたからだ。
私達は日々、祈りの中で、神の御声を聞いている
か。神は語りかけておられる。静思の時に、礼拝
メッセージの中で、御言葉の学びの中で語りか
けられる。「きょう、もし御声を聞くならば・・心を
かたくなにしてはならない」御声を聞いたなら従順
に従うことだ。神に従ったアブラハムは全世界の
祝福の源とされた。彼の子孫から、約束の救い主
が生まれた。神に従うこと、用いられることは大き
な祝福だ。


2003年04月08日(火)

「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍・・」(マタイ13:23)


 家庭菜園をする人は苦労がわかるかもしれない。
大変な作業だ。常に世話が必要だ。すぐに雑草が
生える。いつも草抜きをしていなければならない。
数日、家を空けると大変な状態になる。
例え話しでは、収穫を得なかった例が出て来る。
鳥が来て種を取って行ってしまった。根の浅い苗
は太陽が枯らしてしまった。いばらが伸びて芽が
出た苗の成長をふさいでしまった。
しかし、よく耕された地に植わった種は芽を出し
百倍もの実を結んだ。私達の霊的成長を妨げて来
るものが幾多とある。
また、御言葉を聞くが、自我が妨げて従う事をさ
せない。この世の多くの誘惑がある。
快楽への誘い。菜園のように手を抜かずに手まめ
に世話をするなら豊かな実を得る。日々の主との
交わりを欠かすな。


2003年04月07日(月)

「立ち返って静かにすればあなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15)

「立ち返って静かにすればあなたがたは
救われ、落ち着いて、信頼すれば、あな
たがたは力を得る」(イザヤ30:15)


 バス通勤する時、雨天や渋滞の時は、かなり
の遅れがあり、イライラしながら待つものだ。
遅刻しそうなると、同じ方面行き違うバスに乗
ろうかと思ってしまう。
しかし、降りてかなり歩くので完全に遅刻だ。
信仰生活も同様だ。苦しい時に、目の前に来た
違うバスに乗るように、自分の思いと自分の方
法で問題に対処してしまう。主の導きが待てな
い。御前に静まり、祈りの時を持ち、御声を聞
く時をおろそかにしてしまう。自分で動き回っ
てよけい悪くしてしまう。神を待つ事、落ち着
いて信頼する事、神の指示を得て動く事、それ
が最善の方法で、目的地に着く事だ。
自分で動かずに、神の指示を待つ事。時に、こ
れは忍耐を要するが大きな祝福を刈り取る。
主を待ち、信頼せよ。


2003年04月06日(日)

「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り・・」(ヘブル11:7)

ノアは神から箱舟を造るよう命令を受けた時、すべて
神が命じられたとおりにし、そのように行なった。ノア
は家族の救いのために箱舟を造り、家族八人を救い
に導いた。同時に、箱舟を造りつつ人々に義を宣べ
伝えた。周囲の人々を熱心に救いに導こうとした。
その反対に、ロトは、おじアブラハムに譲られ、先に
好きな土地を取るように言われた時、祈り、導きを
求めることもせず、ただ目に見える損得で選んだ。
それが堕落したソドムとゴモラだった。ロトは堕落した
人々の中に住み、日々その正しい心を痛めていた
だけだった。義を宣べ伝えるのでもなく、ただ心を
痛めていただけだった。かろうじて滅びの火から
逃れたが、妻を失い、家庭は崩壊した。目を常に
天において、なすべきことをして行けるように。


2003年04月05日(土)

「あなたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすればひとりひとりに対する答え方がわかります」(コロサイ4:6)

あなたがたは地の塩ですと、イエスは宣言され
た。塩はこの地に対して役割を果たす。塩の役割
は食料を塩漬けにすると腐らないように、防腐剤だ。
この世はどんどん悪に傾き、堕落して行く。クリスチャン
は、腐敗が進まないように、御言葉に立ち、悪を阻止し、
良い影響を周囲に与えて行く。又、塩は味付けをする。
少しの塩で料理を引き立たせ、美味しくする。塩は驚く
ほど料理の味を変える。私達は、神のかぐわしい香り
を周囲に放ち、良い味つけをしているだろうか。私達
はこの世の支配者であるサタンと戦っている。神の
栄光を輝かせないように挑んでくる恐るべき敵との
戦いだ。福音をはっきり示す時、主の教えと異なる
ものも鮮明になる。塩から塩けが無くなれば、何の
役にも立たない。


2003年04月04日(金)

「私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます」(詩篇139:9)

 
「あなたにとっては、やみも暗くなく、夜は昼の
ように明るいのです。暗闇も光も同じことです」
飛行機の中では飛行中、霧しか見えない事も多い。
操縦士も何も見えない。暗闇の中を飛んでいるよ
うだ。ただ頼るは機器類だ。それらの高性能の機
器が速度や高度、方角を示している。
操縦士はそれをじっと見ている。私達も信仰生活
において、真っ暗な中を歩む事がある。
何も見えず、どこに向かっているかもわからない
ように見える。しかし、暗闇の中で機器に信頼す
るように、神に信頼し、御言葉を頼って行くなら、
暗闇の中をも歩める。神は決して私達を捨てられ
ず、愛し、守り、支え、導かれるからだ。
神がおられるなら、夜も昼のように明るい。
状況でなく、機器に神に目を留めるなら安全。


2003年04月03日(木)

「それはもともとあなたのものであり・・なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」(使徒5:4)

 バルナバが財産を売り払い、教会へ献げた
事で、人々から多大な賞賛を受けた事をアナ
ニヤとサッピラは見ていた。
彼らもその賞賛を熱望した。しかし全財産を
献げる信仰はない。賞賛は受けたい。
それゆえ彼らは全部を献げたと皆に思わせよ
うとした。彼らは人々をだましはしなかった
のではないか。お金を置いただけで、全部だ
とは言っていない。他の人々がどう思おうが、
彼らの責任ではないのでは。しかし、ペテロ
は見抜いた。彼らは確かに欺いたのだ。
実際の自分より献身的に霊的に見せかけたの
だ。人々に自分を良く見せようとする、自分
以上に見せかけようとするのは、欺きだ。
人を欺いたのではなく、神を欺いた。
神に対する罪だ。日常の中に不正直の種を許
すな。サタンの足場となる。


2003年04月02日(水)

「しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので・・」(Uサムエル12:14)

「どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの
目の前に悪を行なったのか」ナタンによる罪の告発
はダビデに深い認罪感をもたらした。罪を悔い改め
たが、罪の結果は不幸を周囲にもたらす。神は常
にその結果を取り除かれるとは限らない。刈り取り
を経験する事によって、更に私達を成長させようと
される。ダビデの罪の結果は大きなものだった。
剣が彼の家から離れなかった。アムノンによるタマ
ルの強姦、アブシャロムのアムノン殺害、息子アブ
シャロムのダビデへの反乱、ダビデの家には災い
が続いた。ダビデの妻達は目の前で取り上げられ
別の者に与えられた。白昼公然と寝た。罪の刈り
取りだった。神は聖い方であり、ご自分の子の罪
を厳しく対処される事を敵が知るためだ。神は罪
人は愛されるが、罪とはいっさい関わりの無い聖
いお方なのだ。


2003年04月01日(火)

『「私は主に対して罪を犯した」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない」』(Uサムエル12:13)


 神が遣わされたナタンがダビデの罪をはっきりと
指摘した。その時、ダビデは言い訳せず、弁解せず、
逃げたり避けたりせず、自分の罪を認めた。
「私は主に対して罪を犯した」彼は心砕かれ、悔い
ていた。その時、素晴らしいこれ以上の言葉はない
恵みの言葉を聞いた「主もまた、あなたの罪を見過
ごしてくださった」そむきの罪を主に告白すると、
罪のとがめを赦して下さった。ダビデは大きな罪を
犯し、それは彼の人生の大きな汚点となったが、し
かし、それによって残りの人生を破壊させなかった。
神の赦しを受け取り、罪の刈り取りをしながら、神
の栄光を現して行った。罪を告白し、罪から離れ、
前に向かって前進する事を神は望んでおられる。
失敗しても立ち上がる事が出来る。再び前進させて
下さる。