2003年04月29日(火) 「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です」(ヨハネ4:34)
「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です」(ヨハネ4:34)
ある婦人、家庭と仕事の両立で、目の回るよう な多忙な毎日を送っていた。 心身ともに疲労も頂点に達し、少し休もうと休暇 を取った。ボーっと過ごす事の心地良さ。 良い天候に、庭に椅子を出し身体を伸ばした。 何という快適さ。ひと時の憩いの時を満喫してい た。すると、隣家の主婦が急用ができ、少し子供 を預かってもらえないかと頼みに来た。 心に拒否反応が出そうだったが、何とか了承でき た。休息が奪われ、がっかりする思いが来た。 しかし、幼児の相手をし、一緒に遊んだ。 母親が迎えに来て、見送った後、自分が温かい気 持ちにされ心和み、心癒されていることに気づい た。実は自分のために神が送って下さった子守り だったのだ。神の訪れはしばしば妨げに見える。 しかし、常に大きな祝福だ。
2003年04月28日(月) 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます」(Uコリント5:7)
確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます」(Uコリント5:7)
目の不自由な女性が交差点を渡ろうと していた。しかし、工事中であり、心配 しながら見ていると、盲導犬が安全に注 意深く彼女を導いていた。 彼女には危険は見えなくても、盲導犬に 信頼しきっているので安心して安全に渡 れた。私たちは目は見えるが、未来の事 を見る視力は無い。 将来の事はわからない。ある女性が離婚 を通った。自分が離婚をするなどと思い もよらなかった。打ちのめされた悲惨な 日々の後、神に頼るなら、平安に安全に 歩める事を経験した。神は問題や苦難が なくなるとは言っておられない。 今も、様々な問題があるが、神に頼る時、 混沌と混乱のまっただ中で、言葉に尽く せない平安に満たされるのだ。 神に頼る時、どんな嵐の中でも守られる
2003年04月27日(日) 「ほんとうに自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした」(Uコリント1:9)
「ほんとうに自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした」(Uコリント1:9)
神は私達に試練を与えられる。パウロも死を覚悟するほどの状況に陥った。試練についての多くの箇所がある。「愛する者を懲らしめる」「火のような試練」「キリストのための苦しみをも賜った」命さえも危うく なったパウロも苦しみを受けた。苦難の最中の一番の誘惑は、苦しみに飲み込まれてしまって、神が見えなくなってしまう事だ。しかし、神は私達を単に苦しめるのが目的ではなく、苦しみを通して、神のみわざをなさる事が目的だ。苦しみのまっただ中で、神に真に頼るのが何かを知る。それまで、いかに頼っていなかったかを悟る。又、深い苦しみの中で、神がいかに真実なお方であり、苦しみの時に支えて下さるかを、周囲に示して行く。
2003年04月26日(土) 「全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」(創世記13:9)
「全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」(創世記13:9)
近所に、もめ事が時々あるものだ。犬の鳴き声がうるさいとか、子供の声、ピアノの音の苦情等。なかなか解決は難しい。アブラハムと甥ロトの牧者達の間にも争いが起こった。互いの持ち物が多過ぎ、一緒に暮らせなかったのだ。その時、アブラハムは年上に関わらず、若い甥ロトにまず主導権を与え、土地を選ぶ権利を与えた。ロトが肥沃な土地を先に選び取っても、意に介さなかった。親族間の平和は保たれた。アブラハムのへりくだりのゆえであった。私達の内に争いがあるなら、アブラハムのように、へりくだって自分の主張を幾らか譲る時、良い道が開かれる。平和の子とされた私達は、平和を作り出すよう主は望まれている。今、あなたに争いがあるか。
2003年04月25日(金) 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Uコリント5:17)
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Uコリント5:17)
救われた私達だが、時々「古いもの」がまとわり ついて来て、前進をはばむ事を経験する。 過去の失敗や過失が悔やまれ、落ち込む。又、過去 の対人関係での傷が突然よみがえり、憎しみや嫉妬 に襲われる。又、実現できなかった計画や夢が思い 出され落胆する。あの時ああしていたら、この時こ うしていたらとの思いが交錯し、今のこの時を暗く する。そんな過去の事のために現在の喜びを奪われ る必要はない。古いものは過ぎ去った。 新しく造られた者である。過去はキリストの血潮に よって拭い去られ、全く新しい、キリストと共なる 人生に入れられた。永遠に至る新しい人生、 何という幸い。
2003年04月24日(木) 「私を弁護してください。主よ。私が誠実に歩み、よろめくことなく、主に信頼したことを」(詩篇26:1)
「私を弁護してください。主よ。私が誠実に歩み、よろめくことなく、主に信頼したことを」(詩篇26:1)
「誠実」に歩むこと、日常生活で誠実である ことは、素晴らしく神に栄光を現す。 誠実とは言う事と、する事が一致している事 だ。人には厳しく自分のは甘いものだ。 人への見方と自分を見る物差しが違うのだ。 人には要求するが自分はしていない。 このような中で、誠実に歩むことは大きな証 しとなる。偽りに満ちた私達の心が誠実であ り続けられるのは、神による。 まず神を第一にし、主を礼拝し、日々を歩む 事だ。主の前にきよくあり続ける時、奇しい 主のみわざを語り告げる事ができる。 主の前に真実に歩むなら人の前に真実である 事ができる。欺き、偽りが心に生活に入る事 を許してはならない。偽りを拒否し、避け、 真実な事葉を語り、真実に行おう。
2003年04月23日(水) 「あなたの手に善を行なう力があるとき、求める者にそれを拒むな。あなたに財産があるとき、あなたの隣人に向かい『去って、また来なさい。あす、あげよう』と言うな」(箴言3:27)
「あなたの手に善を行なう力があるとき、求める者にそれを拒むな。あなたに財産があるとき、あなたの隣人に向かい『去って、また来なさい。あす、あげよう』と言うな」(箴言3:27)
あなたにとって多忙な日だとする。朝から育児家事 仕事と動き回っている。分刻みでスケジュールをこ なしている状態だ。隣家の主婦がお茶に誘って来た。 彼女は未信者で証しができるように祈っていた。 どうも愚痴を聞いて貰いたいようだ。あなたはどう するだろう。主はよくご自分の予定、計画を中断させ られた。途中で会う人々の必要に応じられた。長血 の女を癒され、叫び求める盲人を癒された。目の前 で求める人々の必要を満たされた。自分のスケジュ ールで一杯の時に、誰かが助けを求めて来たら、 どうするだろう。妨害だと取るか、チャンスだと 取るかだ。愛するとは仕える事であり、人に仕える とは神に仕える事だ。時間を献げる事ができるように。
2003年04月22日(火) 「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は死のうちにとどまっています」(Tヨハネ3:14)
「私たちは、自分が死からいのちに移ったことを知っています。それは、兄弟を愛しているからです。愛さない者は死のうちにとどまっています」(Tヨハネ3:14)
救われている証拠、新しい命を得ている証拠、 信仰に成長している証拠、それは兄弟を愛する 事だと御言葉は言う。兄弟姉妹への愛によって 量られると。これは真理だ。 私達の霊的成長や成熟は聖書知識が増す事や多 くの働きをする事にあるのではなく、愛する事 だ。必ず主を知れば知るほど周囲の人を愛する ようになる。そうでなければ聖書知識は霊的高 慢を増長させるだけだ。 あらゆる奥義と知識に通じ、山を動かすほどの 完全な信仰を持っていても、愛が無いなら、何 の値打ちもない。 施しをしても、自分の体を犠牲にしても、そこ に愛がないなら、何の役にも立たない。 いつまでも残るものは信仰と希望と愛。その中 で一番すぐれているものは愛。
2003年04月21日(月) 「私達は神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください・・確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(Uコリント6:1)
「私達は神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください・・確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(Uコリント6:1)
こんな話がある。ある牧師が夢を見た。 悪霊が陰謀を企てて、一人でも多くの人を 地獄に落とそうというものだ。 悪霊が言った「聖書が真理ではない、と教 え込もう」別の悪霊は「神なんか存在しな い。イエスはただの人間で、地獄なんて無 いと信じさせよう」また、別の悪霊が「神 はいてもいい。天国も地獄もあっていい。 でも、救われるのは幾らでも時間がある。 今信じられなくてもよい。先で信じればい いさと思わせよう。決心を伸ばさせよう」 それがいいと、悪霊達は全員一致でその策 略で行く事にした。 決心を先延ばしにする事、これは悪魔の策 略だ。聖霊の導かれた決心を先延ばしにし てはならない。明日があるとは限らないの だから。今、決心すべきだ。 遅いという事のないために。
2003年04月20日(日) 「あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。・・あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」(ヘブル11:11)
「あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。・・あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」(ヘブル11:11)
私達に愛する未信者の家族や友人がいる。どうして も救われて欲しいのに、なかなか信じてはくれない。 時が長引くと、がっかりしてしまうかも知れない。 しかし、ヘブル11章の信仰の聖徒達に励まされる。 アブラハムへの子孫の約束に関わらず、妻サラは もう不妊の身だった。それゆえ、女奴隷ハガルによ って子を得た。しかし、神の御旨は違った。どこまで も約束の成就を信仰によって待たねばならなかった のだ。待つ事は難しい。しかし、サラは不妊の身であ るのに子供が与えられた。神の約束は必ず成就する。 種を蒔き続けよう。神は、神の時に、罪人の心に 働いて奇跡のみわざをして下さる。忍耐持って証し を続けよう。
2003年04月19日(土) 「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください」(詩篇141:3)
「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください」(詩篇141:3)
言葉は一旦、口から発すると、元に戻すことが出来 ない。それゆえ軽率に言葉を出すべきではない。 又、一言が深く人を傷つけ、長年かかって築き上げ た関係を簡単に壊してしまう事がある。言葉の力は 大きい。ヤコブは舌について警告している。私達は 言葉で失敗する者だと。舌を制御する事は非常に 困難であると。馬を制御したり、船の舵を取ったり、 獣を支配する方がたやすいと。舌は火であり、不義 の世界、少しもじっとしていない悪であり、死の毒に 満ちていると。舌で罪を犯す。悪口、噂話、愛の無い 批判、非難は人をひどく傷つける。私達は誰しも 唇の戸が守られるように祈る必要がある。言葉を 発する前に気をつけよ。これは真実か、たとえ真実 にしても、今語る必要があるのか、必要の無い言葉 は多い。相手の徳を高めるか。不必要な、無益な 言葉を口から出すな。
2003年04月18日(金) 『ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます』(マタイ13:23)
『ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます』(マタイ13:23)
種蒔きの例えによると、蒔かれた種から四つの反応 が生じた。ボヤーッと聞いていると、サタンが蒔かれ た種を奪ってしまう。喜んで受け入れても、御言葉ゆ えの迫害で枯れてしまう。 また、種が心に蒔かれるが、思い煩いや富の誘惑で、 種の芽をふさいでしまう。 四つ目の種は素直な心で育まれ、百倍の実を結ぶ。 この例えのように、御言葉を聞いて、すべての人が回 心するわけではない。誰が回心するかはわからない。 しかし、私達の成すべき事は種を蒔き続ける事だ。 種が良い地に落ちたなら豊かな実を結ぶ。御言葉は人 を変える力があり、変えて行く。 救いを祈っている人々に御言葉の種を蒔こう。 神の言葉は生きていて、力がある。 奇跡を成し遂げて行く。
2003年04月17日(木) 『ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った』(ルカ5:8)
『ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った』(ルカ5:8)
イエスから、深みに漕ぎ出して漁をするようにと 助言を受けた漁師達は、一番中働いたが何の効果も なかったその所へ、再び言われた通りに網を下ろし た。すると、ニそうの舟が沈みそうなほどに沢山の 魚がとれた。神のみわざが現わされた。 神は私達の物質的必要を顧みて下さる。深く配慮し て下さっている。必ず必要は満たして下さる。 しかし、神の一番の関心は網に魚を満たす大漁では ない。人間をとる漁師にして下さることなのだ。 しかし、神はそうして下さるのは、ペテロのように、 自分がどんなに罪深く、霊的に貧しい者であるかを 認めて、へりくだった者に対してだ。 神はご自身の愛を満たし、人を漁る者として下さる。 これこそ一番豊かな者だ。人をとる漁師だ。
2003年04月16日(水) 「神のみこころは何か、すなわち何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12:2)
「神のみこころは何か、すなわち何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12:2)
私達の信仰生活で大事なの事は、神に私達を変え ていただく事だ。私を変えて下さいとの態度だ。誰 しも変わりたくない。変わるには大変なエネルギー がいるからだ。それゆえ、相手や環境を変えよう とする。しかし、神のみこころは、私を変えて下さい だ。自分が変わりたくないのに、相手も変わりたい わけがない。反発を招くだけだ。私達は人を変える ことは出来ないが、神の助けがあれば、自分に気 があれば、自分を変える事はできる。神には変えて 下さることが出来る。まず、内側が、心が変えられ るなら、生活が変わる。心の一新だ。まず、神に 自分自身を委ねて、神のみこころを求める時、私 を変えて下さいとの態度なら、必ずみこころがわか る。
2003年04月15日(火) 「塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか」(ルカ14:28)
「塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか」(ルカ14:28)
費用を計算しないで、どんどんカードを使い 破産する若者が増えているそうだ。 買い物をする時には費用を計算する事が大切 だ。これはキリストへの献身においても言え る事だ。主は弟子となるために必要な事を話 された。家族よりも自分の命よりも、主を愛 する事だ。そうでなければ、弟子になること は出来ないと。主に従うには代価が必要だ。 弟子達が、どこまでもついて行きますと言っ た時に、狐には穴があり・・しかし人の子に は枕する所もないとその苦労を語られた。 簡単に従うと言うが、払うべき代価があり注 意深くその費用を計算しなければならない。 しかし、それは永遠につながる大きな報いの ある代価だ。不従順こそ、結局は悲惨な代価 を支払う事になる。
2003年04月14日(月) 「この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです」(マルコ14:8)
「この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです」(マルコ14:8)
マリヤはこれから主が十字架にかかることを 悟り、自分にできる請一杯の事をした。 高価な香油を献げた。この行為は主を非常に慰 めた。ある女性が脳を癌に侵され全身麻痺とな った。非常な苦痛の中で、彼女は決してひねく れたり、すねたりしなかった。 また、自己憐憫に陥ったり殻に閉じこもる事も なかった。彼女は御言葉を生きた。 神の御心に従ってなお苦しみに会っている人々 は、創造者に自分の魂をお任せしなさいとある 通りにした。彼女にできることをした。 彼女は一日中、祈りのリストにそって執り成し をしたのだ。残された生涯を祈りに献げた。 神は執り成し手として大いに用いられた。 沢山の祈りの答えを見た。自分にできない事を 見るなら落ち込む。できる事に目を留めよ。 それを実行せよ。
2003年04月13日(日) 「私たちはどのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます」(ローマ8:26)
「私たちはどのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます」(ローマ8:26)
私達は誰しも、時に、祈れない事を経験する。悲 しみや苦しみ、辛さの中にある時、心がちぢに乱 れ祈れない。ある時は、壁が立ちはだかっている ように、祈りが届いている気がしない。神様から 自分が遠く離れているように感じる。厳しい問題 と悩みのさ中では、心が問題に捕らわれてしま って、がんじがらめになる。試練の時は、孤独で 神から見捨てられたように感じたり・・祈りにおい て様々な障害や葛藤を経験する。祈りが集中で きない時、罪意識で自分を責める。しかし、神は 弱い私達をご存じでいて下さる。悩み苦しみも 理解していて下さる。自分が出来ない時には、 御霊が助けて下さるのだ。祈れない時こそ、御霊 が祈り、執り成してくださるのだ。何という恵み。
2003年04月12日(土) 「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしくわたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望むことを成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる」(イザヤ55:11)
「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしくわたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望むことを成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる」(イザヤ55:11)
一人の婦人が子供の事でパニック状態になった。 息子は薬物に手を出し、犯行を起こし、刑務所 に入った。未婚の娘は妊娠が判明した。胸は張り 裂け、絶望のどん底に落されたようだった。絶望の 淵に沈んで、何のなすすべも無い時に、神が近づ いて下さり、再び家族を建て直すとの約束を与え て下さった。しかし、到底信じられる状況ではなか った。不可能に思えた。しかし、自らの不信仰に 気づかされ、悔い改め、祈り始めた。そして、状況 がどうであれ、神を信じて祈り続けようと決心した。 どれだけ時間がかかっても、信頼して待ち望もう と覚悟を決めた。苦しみの中で、幾歳月の時が 過ぎた。しかし、神は真実なお方。約束を成就され た。今、息子は神に立ち返り、真面目に生活をし ている。娘は幸福な結婚を与えられた。神は約束 を必ず守られる。
2003年04月11日(金) 「イエスは彼に言われた『まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います』」(マタイ26:34)
「イエスは彼に言われた『まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います』」(マタイ26:34)
ペテロは何があろうと、主について行くと言い切った。 全部の者があなたから離れても、私は大丈夫ですと。 ところが、イエスが捕らえられるや、恐れで、大祭司の 中庭で女中に問われ、イエスを知らないと言った。 呪いをかけて誓ってまで否定した。しかし、私達も同様 だ。ペテロのように、はっきりと目に見える形ではない が主を否定する。隣人の必要をわかっていながら目を閉 じる。見て見ぬ振りをする。 聖書の制止を感じていながら、噂話に花を咲かせる。 一番の否定は、自分の力に頼り、主を頼らない事だ。 自分の判断、自分の思い、自分の知恵、経験で歩む事だ。 あらゆる時に御霊は語りかけ導いて下さる。 御声を無視せず、拒否せず、なおざりにせず、従順に従 う時守られる。
2003年04月10日(木) 「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこに行っても、あなたを守りあなたをこの地に連れ戻そう。私は、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」(創世記28:15)
「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこに行っても、あなたを守りあなたをこの地に連れ戻そう。私は、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」(創世記28:15)
ヤコブは父と兄を欺き、長子の権利を奪った。 それゆえに家におれなくなり、叔父のもとへ逃れ ざるを得なくなった。見知らぬ地へ向かい、野宿 していた時、夢に御使いが現われ主がかたわらに 立たれた。私達も状況が厳しい時、八方塞がりの ように感じる時、行き詰まって一歩も勧めないと 思う時、一、わたしはあなたと共にいる。 二、わたしはあなたを守る。三、わたしはあなた を連れ戻す。四、わたしはあなたを捨てない、こ のヤコブへの神の約束は、絶望的な状況の中で大 きな励ましだ。どのような悲惨な状況の中でも神 に助けを求める事が出来る。 そして、私達に決して絶望はなく、神は必ず助け て下さる。ヤコブの上に、この神様の約束が成就 したように。
2003年04月09日(水) 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし・・」(創世記12:1)
「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし・・」(創世記12:1)
アブラハムは75才の時に、主の召命を受けた。 年もとり、落ち着きたい頃だ。行き先もわからず、 ただ神が示される地へ行くという大変な決断で あった。しかし、彼は神を信じ、神の命令に従った。 なぜ彼はそのような大胆なことが出来たのか。 それは神の御声をはっきりと聞いたからだ。 私達は日々、祈りの中で、神の御声を聞いている か。神は語りかけておられる。静思の時に、礼拝 メッセージの中で、御言葉の学びの中で語りか けられる。「きょう、もし御声を聞くならば・・心を かたくなにしてはならない」御声を聞いたなら従順 に従うことだ。神に従ったアブラハムは全世界の 祝福の源とされた。彼の子孫から、約束の救い主 が生まれた。神に従うこと、用いられることは大き な祝福だ。
2003年04月08日(火) 「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍・・」(マタイ13:23)
「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍・・」(マタイ13:23)
家庭菜園をする人は苦労がわかるかもしれない。 大変な作業だ。常に世話が必要だ。すぐに雑草が 生える。いつも草抜きをしていなければならない。 数日、家を空けると大変な状態になる。 例え話しでは、収穫を得なかった例が出て来る。 鳥が来て種を取って行ってしまった。根の浅い苗 は太陽が枯らしてしまった。いばらが伸びて芽が 出た苗の成長をふさいでしまった。 しかし、よく耕された地に植わった種は芽を出し 百倍もの実を結んだ。私達の霊的成長を妨げて来 るものが幾多とある。 また、御言葉を聞くが、自我が妨げて従う事をさ せない。この世の多くの誘惑がある。 快楽への誘い。菜園のように手を抜かずに手まめ に世話をするなら豊かな実を得る。日々の主との 交わりを欠かすな。
2003年04月07日(月) 「立ち返って静かにすればあなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15)
「立ち返って静かにすればあなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る」(イザヤ30:15)
「立ち返って静かにすればあなたがたは 救われ、落ち着いて、信頼すれば、あな たがたは力を得る」(イザヤ30:15) バス通勤する時、雨天や渋滞の時は、かなり の遅れがあり、イライラしながら待つものだ。 遅刻しそうなると、同じ方面行き違うバスに乗 ろうかと思ってしまう。 しかし、降りてかなり歩くので完全に遅刻だ。 信仰生活も同様だ。苦しい時に、目の前に来た 違うバスに乗るように、自分の思いと自分の方 法で問題に対処してしまう。主の導きが待てな い。御前に静まり、祈りの時を持ち、御声を聞 く時をおろそかにしてしまう。自分で動き回っ てよけい悪くしてしまう。神を待つ事、落ち着 いて信頼する事、神の指示を得て動く事、それ が最善の方法で、目的地に着く事だ。 自分で動かずに、神の指示を待つ事。時に、こ れは忍耐を要するが大きな祝福を刈り取る。 主を待ち、信頼せよ。
2003年04月06日(日) 「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り・・」(ヘブル11:7)
「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り・・」(ヘブル11:7)
ノアは神から箱舟を造るよう命令を受けた時、すべて 神が命じられたとおりにし、そのように行なった。ノア は家族の救いのために箱舟を造り、家族八人を救い に導いた。同時に、箱舟を造りつつ人々に義を宣べ 伝えた。周囲の人々を熱心に救いに導こうとした。 その反対に、ロトは、おじアブラハムに譲られ、先に 好きな土地を取るように言われた時、祈り、導きを 求めることもせず、ただ目に見える損得で選んだ。 それが堕落したソドムとゴモラだった。ロトは堕落した 人々の中に住み、日々その正しい心を痛めていた だけだった。義を宣べ伝えるのでもなく、ただ心を 痛めていただけだった。かろうじて滅びの火から 逃れたが、妻を失い、家庭は崩壊した。目を常に 天において、なすべきことをして行けるように。
2003年04月05日(土) 「あなたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすればひとりひとりに対する答え方がわかります」(コロサイ4:6)
「あなたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすればひとりひとりに対する答え方がわかります」(コロサイ4:6)
あなたがたは地の塩ですと、イエスは宣言され た。塩はこの地に対して役割を果たす。塩の役割 は食料を塩漬けにすると腐らないように、防腐剤だ。 この世はどんどん悪に傾き、堕落して行く。クリスチャン は、腐敗が進まないように、御言葉に立ち、悪を阻止し、 良い影響を周囲に与えて行く。又、塩は味付けをする。 少しの塩で料理を引き立たせ、美味しくする。塩は驚く ほど料理の味を変える。私達は、神のかぐわしい香り を周囲に放ち、良い味つけをしているだろうか。私達 はこの世の支配者であるサタンと戦っている。神の 栄光を輝かせないように挑んでくる恐るべき敵との 戦いだ。福音をはっきり示す時、主の教えと異なる ものも鮮明になる。塩から塩けが無くなれば、何の 役にも立たない。
2003年04月04日(金) 「私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます」(詩篇139:9)
「私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます」(詩篇139:9)
「あなたにとっては、やみも暗くなく、夜は昼の ように明るいのです。暗闇も光も同じことです」 飛行機の中では飛行中、霧しか見えない事も多い。 操縦士も何も見えない。暗闇の中を飛んでいるよ うだ。ただ頼るは機器類だ。それらの高性能の機 器が速度や高度、方角を示している。 操縦士はそれをじっと見ている。私達も信仰生活 において、真っ暗な中を歩む事がある。 何も見えず、どこに向かっているかもわからない ように見える。しかし、暗闇の中で機器に信頼す るように、神に信頼し、御言葉を頼って行くなら、 暗闇の中をも歩める。神は決して私達を捨てられ ず、愛し、守り、支え、導かれるからだ。 神がおられるなら、夜も昼のように明るい。 状況でなく、機器に神に目を留めるなら安全。
2003年04月03日(木) 「それはもともとあなたのものであり・・なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」(使徒5:4)
「それはもともとあなたのものであり・・なぜこのようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」(使徒5:4)
バルナバが財産を売り払い、教会へ献げた 事で、人々から多大な賞賛を受けた事をアナ ニヤとサッピラは見ていた。 彼らもその賞賛を熱望した。しかし全財産を 献げる信仰はない。賞賛は受けたい。 それゆえ彼らは全部を献げたと皆に思わせよ うとした。彼らは人々をだましはしなかった のではないか。お金を置いただけで、全部だ とは言っていない。他の人々がどう思おうが、 彼らの責任ではないのでは。しかし、ペテロ は見抜いた。彼らは確かに欺いたのだ。 実際の自分より献身的に霊的に見せかけたの だ。人々に自分を良く見せようとする、自分 以上に見せかけようとするのは、欺きだ。 人を欺いたのではなく、神を欺いた。 神に対する罪だ。日常の中に不正直の種を許 すな。サタンの足場となる。
2003年04月02日(水) 「しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので・・」(Uサムエル12:14)
「しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので・・」(Uサムエル12:14)
「どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの 目の前に悪を行なったのか」ナタンによる罪の告発 はダビデに深い認罪感をもたらした。罪を悔い改め たが、罪の結果は不幸を周囲にもたらす。神は常 にその結果を取り除かれるとは限らない。刈り取り を経験する事によって、更に私達を成長させようと される。ダビデの罪の結果は大きなものだった。 剣が彼の家から離れなかった。アムノンによるタマ ルの強姦、アブシャロムのアムノン殺害、息子アブ シャロムのダビデへの反乱、ダビデの家には災い が続いた。ダビデの妻達は目の前で取り上げられ 別の者に与えられた。白昼公然と寝た。罪の刈り 取りだった。神は聖い方であり、ご自分の子の罪 を厳しく対処される事を敵が知るためだ。神は罪 人は愛されるが、罪とはいっさい関わりの無い聖 いお方なのだ。
2003年04月01日(火) 『「私は主に対して罪を犯した」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない」』(Uサムエル12:13)
『「私は主に対して罪を犯した」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない」』(Uサムエル12:13)
神が遣わされたナタンがダビデの罪をはっきりと 指摘した。その時、ダビデは言い訳せず、弁解せず、 逃げたり避けたりせず、自分の罪を認めた。 「私は主に対して罪を犯した」彼は心砕かれ、悔い ていた。その時、素晴らしいこれ以上の言葉はない 恵みの言葉を聞いた「主もまた、あなたの罪を見過 ごしてくださった」そむきの罪を主に告白すると、 罪のとがめを赦して下さった。ダビデは大きな罪を 犯し、それは彼の人生の大きな汚点となったが、し かし、それによって残りの人生を破壊させなかった。 神の赦しを受け取り、罪の刈り取りをしながら、神 の栄光を現して行った。罪を告白し、罪から離れ、 前に向かって前進する事を神は望んでおられる。 失敗しても立ち上がる事が出来る。再び前進させて 下さる。