2005年06月30日(木)

「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです」(ローマ8:33)


育児と家事でクタクタになった主婦。
疲れ果てて、遊びに来た親戚の子供に
きつく当たってしまった。傷ついて帰
って行った。深くとがめて後悔した。
電話して赦してくれるよう謝った。快
く赦してくれたが、自分を責めた。愛
はどこかへ吹き飛んで、いつも余裕が
無くイライラしている自分。自己嫌悪
に陥った。罪深い自分が惨めで悲しく
て、神の御前に心打ち明け祈っていた。
すると「わたしは、だれも閉じること
のない門を、あなたの前に開いておい
た・・あなたには少しばかりの力があ
って、わたしのことばを守り、わたし
の名を否まなかったからである」と語
りかけて下さった。失敗すると神の愛
を失うのではない。失敗しても神の愛
は変わらない。
---------------------
失敗しなが、失敗しながら、でも上に
上に昇って行ける。神さまがしっかり
認めて下さっているからだ。否定して
くるサタンの声に耳を貸さず、今日も
がんばろう。




2005年06月29日(水)

「あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい」(ルカ6:28)

職場で偽りの中傷の噂を広められた。深く傷つ
き、怒り沸騰した。理不尽な目に合わされ、神に
怒りを訴えていた。その時、主はどうされるのか
と考えた。祈っていると、相手のために祈るよう
示された。しかし、祈る事などとても出来なかった。
出来ない事を正直に告白し、助けを求めていると、
不思議に自分の心が変えられて行った。相手を
異なった視点から見るようにされて行き、同情を
感じるようになった。そして祈る事が出来るよう
にされた。神のもとに持って行くなら、神が介
入し助けて下さる。人を赦さず憎んで恨んで、
苦しむのは自分自身なのだ。相手ではなく、自
分が苦しむ。自分で自分を苦しめる事だ。神に
従おう。神は憎しみから自由にして下さり、神の
栄光を現される。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
赦せない思いほど苦しいものはない。自分で自分
を傷めつける事になる。自分で赦す事は出来ないが、
主により出来る。不思議だが赦す力を与えて下さる。
出来ない事を認めて主に助けを求めよう。奇跡を見る。


2005年06月28日(火)

「私の造り主である神は・・夜には、ほめ歌を与えてくださる方」(ヨブ5:10)



物事が、生活が何もかも順調に言っている時
に、主を賛美するのは簡単だ。誰にでも出来
る。しかし、昼間でなく、夜はどうだろう。
試練のまっただ中にある時、病気になったり、
倒産したり、愛する人との死別・・人生の夜
に、真っ暗な事態に遭遇した時はどうだろう。
そんな時、私達の信仰が試される。昼間には
見えない、自分の本当の姿が出て来る。心か
ら献げている人は厳しい試練も正しい態度で
受け止める。神に焦点が合い、神と調和して
いるならそう出来る。苦しみや悲しみの時、
心を屈折させ、いじけてすねて、自己憐憫の
殻に閉じこもる事も出来る。夜に賛美する人
を通して人々は神の栄光を見る。耐えられな
い試練は決して無く、乗り越えられる。
------------------
思いがけない試練のとき、とっさに自分で右
往左往してしまう。信仰の目で見ていこう。
目の前のすべてがイエス様だ。必ず感謝でト
ンネルをぬけられる。


2005年06月27日(月)

「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではない・・が、後になると、平安な義ものではない・・が、後になると、平安な義の実を結ばせます」(ヘブル12:11)



ある男性が小さい頃に培われた信仰から離れ、
出世がすべて、いかに人の上に立つか、仕事
の野心で心が占領されていた。ところが、そ
んな時に癌が発覚。真正面から死に向き合う
時が与えられ、今までいかに自分が間違った
生き方をして来たかに気づかされた。悔い改
めて神に立ち返り、優先順位を正し、家族を
顧みる事を始めた。癌切除に成功し、残され
た人生を神と共に歩む事を決心した。神は愛
する子供を懲らしめられる。矯正のためだ。
放っておかれない事が愛だ。痛みや挫折を通
して、真の喜びと平安へと導き出される。
自らの欲望を遂げる歩みを放っておかれたら
どうなる事だろう。愛する者を懲らしめられ
る。幸いな軌道修正へと導いて下さる。
---------------
私たちは成長しなければならない。そのまま、
とどまっていたいけれど、神さまは放っておか
れないのは、その先にすばらしいご計画がある
からだ。懲らしめによって学べることは感謝だ。


2005年06月26日(日)

『主は、「私の恵みはあなたに十分である。というのは、わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです』(Uコリント12:9)

青年のバイブルクラスを導いていた男性が、厳し
い試練を通った。余りの厳しさに弱り果て、いかに
自分が弱く、罪深く、ふさわしくない者であるかを思
い知らされた。心砕かれ、へりくだらせられて、自分
には人を教える資格は無いと、辞退しようと思い始
めていた。そんな時、一人の青年が「あなたの導きに
感謝します。最近特に恵まれ、あなたの語ってくれる
御言葉は心に響いて来て、深く教えられています」と
伝えた。その時、神の恵みは十分で、弱さの中に現
れるという事を知らされた。弱い者を、自分には何も
無い、何の力も無いと思っている者を用いられるの
だ。あなたは今、弱いと感じているか。大きな恵みだ。
そこにこそ神の力が完全に働く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
この世が認めるのは能力だ。いかに出来るかだ。
しかし神の国は正反対だ。自分の力は、神を知る事
を妨げ、神から離れさせるだけだ。弱さが恵みなどと
何と感謝な事だろう。


2005年06月25日(土)

「霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊を試しなさい。なぜなら、、偽預言者がたくさん世に出てきたからです」(Tヨハネ4:1)

良い品をバーゲンにと称してはいるが、実はバー
ゲン用の安い商品を量産して売っていたりする。
客を呼び寄せるための策略だ。悪魔の策略も同様
だ。それらしくして、一見ではわからない。わか
るようなら策略は必要ない。光の御使いはクリス
チャンに変装する。聖書を使い、キリスト教用語
を駆使する。反キリストは一見キリストだ。キリ
スト教用語に、同じものだと、安心して受け入れ
てしまう。偽札が出回っている。本物そっくりだ。
本物があるから偽物がある。偽物があるのは、本
物がある証拠。銀行では偽札を発見するために、
偽札ではなく、本物に触れさせる。それが偽物を
見破る秘訣だ。本物をしっかりと知る事だ。まこ
との神を知る事により、偽りを見分けられる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
サタンは巧妙だ。無神論、酒乱などすぐわかる。
エホバの証人もわかる。そんな形では来ない。本
物らしいクリスチャンとして来る。又、御言葉
を巧く曲げる。似て非なるもの。祈りが識別させる。


2005年06月24日(金)

「割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬこと・・重要なのは神の命令を守ること・・おのおの自分が召された時の状態で神の前にとどまっていなさい」(Tコリント7:19)


ある人は救われた時に神から自分の生涯に
与えられた使命を求めて探した。海外宣教
や国内宣教師、牧師、伝道者に召されてい
るのではと、祈り求め日を過ごした。しか
し、そのような特別な強い導きは感じられ
ず、救われたと時に就いていた仕事に励ん
だ。その仕事を忠実に果たしつつ、教会に
使え、神の働きをする事、それが自分の与
えられた使命である事が確信できた。皆が
宣教師になるのではない。それぞれに遣わ
された場所と働きがある。主婦は家庭に、
サラリーマンは職場にと。あなたの場所は
大切だ。「そこで」神はあなたを用いて栄
光を現される。「そこで」神の助け、神の
愛を知る。そこにとどまり従おう。
---------
私達の未来をすべてご存知で、豊かにあし
らってくださる神様が、一番よいところに
今、置いて下さっている。信じることが出
来るから、焦りはない。


2005年06月23日(木)

「私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は・・私の叫びをお聞きになり、私は滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった」(詩篇40:1)



ある婦人が離婚寸前で泥沼状態、心はぼろぼろの
中で状況もどうにもならず、なすすべもなく、
もう息をしているのがやっと、息も絶え絶えの状
態だった。行く手もふさがれ、真っ暗闇の中で、
出来る事は、ただ神を呼ばわる事だけだった。
心の底から神に助けを求めた。その瞬間、素晴ら
しい虹を見た。今まで見た事のないそれは見事な
虹だった。その場に共におられる神の臨在を感じ
た。神をはっきりと感じ。この混乱の事態を神は
必ず導き建て上げて下さると信じた。その後の深
い水の中を神は共に通って下さり、神は奇跡をさ
れ、建て上げて下さったのだ。あの日見た神の愛
のしるしを思い、頼む者にいかに真実に答えて下
さるかを知った。
-------------------
切なる思いで神を呼ぶ者を、必ず神は助けてくだ
さる。苦しむとき、そこにある助け。神を呼び求
める時、すでに解決は与えられている。


2005年06月22日(水)

「偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい」(マタイ7:5)

私達は誰しも、自分の欠点は気づかないが、
人の事はよく見える。人の小さな欠点をも
指摘する事が出来る。しかし、自分の大き
な欠点はわからない。私達は皆、人に厳しく
自分には極めて甘い。あらゆるトラブルはす
べて相手が悪い事になる。自分の目には大
きな梁があるから、見えないわけで、その梁
を取り除けよと言われている。もし梁があれ
ばでなく梁があると。姦淫の女に石を投げよ
うとした人々に、主はまず罪の無い者が投げ
よと言われた。人の欠点を指摘する前に、
自分の罪を悔い改める必要がある。高ぶりや
妬み、虚栄、偽り、自己中心は無いか。まず
自分自身を砕き、へりくだる人を、神は人の
ちりを取り除く為に用いられる。自分自身を
御霊によく探って頂き、梁を除いて貰おう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分の目に大きな材木があるのに、相手の極
小のちりを取ろうなどと滑稽だ。出来ない。梁
のあるさばきの目では、歪んでしか見えない。目は
ちょっとの異物でもすぐ閉じる。敏感だ。梁を除い
た愛の目で相手の欠けを見る時初めて、正し
く見えて御霊が用いて下さる。
 


2005年06月21日(火)

 「この女は、自分にできることをしたのです」(マルコ14:8)

マリヤが結婚のために蓄えていた大切な香油を
すべて主イエスに献げた。間近に迫った十字架
の死を理解して、自分に出来る最高の事をした
のだ。私達も出来ない事は多い。しかし、出来
る事を献げるなら主は受け入れて喜んで下さる。
ある人は福音を十分語る事が出来ないので、と
にかく友人を教会へ連れて来た。ある人は遠方
の知り合いにトラクトを送り、証の手紙を書い
た。御言葉をうまく語れなくとも、我が身にな
されたみわざは語れる。ある人は自分は言葉の
人で無く語れないが、聞く事なら出来ると、周
囲に耳を傾け始めた。すると悩みの相談が次々
と来て救われる人が起こされた。出来ない事を
思い煩うのではなく出来る事をするのだ。必ず
ある。
-----------
「そんなこと出来ないよ」というサタンの声に
惑わされず、主のために出来る事を探してみよう。
必ずすでに用意されているから、信じて献げよう。


2005年06月20日(月)

「それはもともとあなたのものであり、売ってからもあなたの自由に・・あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」(使徒5:4)



バルナバが畑を売って代金を持って来た。人々はそれを
大いに賞賛した。アナニヤとサッピラその賞賛が欲しか
った。彼らの信仰は素晴らしいと人々から認められる事
を求めた。しかし、その「信仰」は無かった。全部を献
げたなら生活は?不意の災難や病気の時は?
神で無く金銭に頼っていたため出来なかった。それなら
一部ですと言えば良かった。すべて献げる義務も強制も
無い。何処までも自由だ。バルナバは全生活の必要を神
が責任を持って満たして下さるとの信仰があったから全
部献げた。信仰がある振りをしてはならない。それは偽
りだ。信仰がないから、無いと正直であるべきだ。
そのままの自分を表すべきだ。神は祝福し、信仰を与え
て下さる。
-----------------
わからないのにわかった振り、無いのにある振りを装っ
て行くなら、私達はどんどん光から闇へと入っていく。
無いことを認めるのは光の中だ。今必要なものを神様が
すぐに与え下さる。


2005年06月19日(日)

「神の国と義とをまず第一に求めなさい」(マタイ6:33)

あなたの日々の物事処理の優先順位は何に
よって決まるだろう。急ぎの順番だろうか。病
のラザロの箇所で主の不思議な言葉がある「
ラザロを愛しておられた。そのようなわけで・・
なお二日とどまられた」愛しているのでラザロ
が死にかけている事を聞いても動かれない。
矛盾しているように感じる。しかし、主を動かし
ていたものは、目の前の急ぐ状況ではなく、
御父の「みこころ」であった。どんなに急ぐよう
に見えても、御父の導きとみこころを求められ
た。ラザロを人間的な情によってすぐに助けに
行くのでなく、死ぬまで待たれた。死人をよみ
がえらせるという、大きな御父のご計画とみこ
ころがあり、それを成し遂げられた。人間的な
情や思いでなく、神の「みこころ」が大切だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
神のお心を、常に求める事は大切だ。何でも
かんでも行うのでなく、神のみこころを行う事
が大切。主は、目の前の次から次の必要をこ
なされたのでなく、父のみこころを行われた。


2005年06月18日(土)

「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、なんと幸いなことでしょう」(ルカ1:45)

主は御口をもって語られ、御手をもって成し
遂げられる。「ことば」は事実という意味があ
り、神はみこころなら必ず実現成就される。
また、逆にみこころでなければ、道が閉ざさ
れる。環境を閉ざされる事は、主がみここ
ろを示される方法だ。受験や就職試験等の
不合格は落胆するのではなく、みこころは別
のところにあるという事だ。信仰は聞く事から
始まり、聞く事は御言葉による。信仰は御言
葉から来る。御言葉理解があいまいなら、信
仰があいまいになる。御言葉の理解は大切
だ。聖書の御言葉をしっかりと知る時、信仰
が生まれて来る。正しく知るなら信ぜざるを
得ない。御言葉から離れず、御言葉を握り、
反すうし、御言葉にしっかり立とう。状況に
振り回されず、御言葉を「一心に見つめて
離れない」(ヤコブ1:25)なら、信仰が
湧き実現を見る。
・・・・・・・・・・・・・・・・
しばしば約束の御言葉と、目の前の状況は正反対だ。
どちらを選択するかで歩みが決まる。サタンは状況を
見せて思い煩わせ落ち込ませ不信仰にする。御言葉
の方を選び、一心に見つめよう。「信じきる」信仰が与
えられる。


2005年06月17日(金)

「からだのあかりは目です。それで、もし、あなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が暗ければ、あなたの全身が暗いでしょう」(マタイ6:23)




目から身体にあかりが入る。目が窓口であり、
目は何に焦点が合っているかが大きな問題だ。
目がどこを見ているか。あなたは何を見てい
るか。人からの賞賛に焦点があれば、それを
求めて生きる。神は二の次になり、心の底で
は自分が崇められる事を願い、そのように行
動して行く。目が富に向いているなら、富を
増し加える事だけに関心が向き損得によって
動くようになる。地位や名誉か、あなたの目
は何を見ているだろう。肉の欲望を満たす事
か。目が曇っているなら、すべてが曇って歪
んで見える。目から光が入らないなら、全身
が暗い。眼を神に向けよう。神の御旨、神の
喜ばれる事、そこに焦点が合っているなら、
心が平安と喜び守られる。
------------------
自分が何を見ているか、本当の自分を良く見
つめてみよう。闇の中に引きずり込むものは、
自分の内にも、外にも蔓延している。しっかり
神に目を向け、光の中にとどまっていよう。


2005年06月16日(木)

 「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちのとがめに砕かれた」(イザヤ53:5)

 

ある人の母親が高齢になり火事のために
ヘルパーさんを雇った。ところが、昔気
質の母親はヘルパアーさんが来るという
事で、来る前に綺麗に掃除するのだ。
もっと負担が増えてしまい何のためのヘ
ルパーかわからなかった。私達も信仰生
活で同様の事をしていないか。
神の御前に行くのに、綺麗になって行か
なければと思ってしまう。罪を犯した時
こんな自分は神の御前に行けないと思う。
自分をきよめて行こうとし、更に離れて
しまう。自分で綺麗になって出ようとす
る事はキリストは要らないと言っている
事だ。主はそのためにこそ苦しみ十字架
で死んで下さったのだ。罪を赦すために
いて下さる。汚れたままで御前に行こう。
----------------
神の御前に、自力で綺麗になって出て行
くことなど、できるわけがない。十字架
によってありのままに、愛されて、受け
入れられている恵みをいつも感謝してい
よう。


2005年06月15日(水)

「彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです」(ローマ16:18)

ネズミ取りの罠や、子供の遊びで落とし穴を作る
時は、工夫を凝らして、いかにわからないよう、悟
られないように作るかが勝負だ。すぐに見抜ける
ようなら罠にならない。悪魔も同じだ。偽り者だ。
ストレートには来ない。狡猾巧妙であり、半分の真
理に半分の嘘を混ぜる。これは半分真理であるだけ
に安心し近づいてしまう。エバの誘惑も真理と嘘の
混合だ。敵は無神論者でなくクリスチャンとして近
寄り、神を語る。光の御使いへの偽装だ。心を許し
てしまい、罠に落ちる。常に祈りが大切だ。祈っている
なら御霊が必ず気づかせて下さる。世の価値観も
だが、御言葉を曲げて用いて来る。裁きの怖い神
で愛を見えなくする。<頑張り>=自力で御言葉を
行わせ神から離す。高慢になり、他を見下したり
裁く。神に従っていると思わせ、正反対の方向へ
追いやる。狡猾なのでだまされないよう、よく祈って
いよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・
結ぶ実で判断できる。悪魔からのものは実が必ずおかしい。
悪魔は聖書も神も使って来る。その思いから怒りや妬み敵対
心が生じるなら、その行動で秩序が乱れるなら、その価値観
はサタンからのものだ。祈りにより御霊が気づかせて下さる。


2005年06月14日(火)

「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行いなさい」(ピリピ2:14)




私達の思い、言葉を顧みる時、どんなに
愚痴が多い事だろう。会社員は仕事に疲
れ、主婦は育児や家事に疲れ、学生は勉
強に疲れている。不満で一杯だ。
イスラエルも出エジプトを果たし、どん
なに感謝してもし尽くせないのに、荒野
に入った途端不満だ。私達は違うと思う
が同じだ。少し思い通りにならない事が
あれば愚痴不満たらたらだ。それは周囲
にどんなに害毒を流す事か。心を暗く重
苦しく、うっとうしくさせる。あなたが
クリスチャンなら、あなたと一緒ににい
る人達は幸せだろうか。不平でなく、人
を励ましたり慰めたり恵みの言葉を語れ
たらどんなに祝福だろう。否定的なもの
は主に持って行くなら、平安と交換して
下さる。
-------------
つぶやきたくなる時、ぐちる相手は神様だ。
心にたまる度に聞いていただこう。気づか
なかった恵みに気づかせて下さったり、
慰めてくださる。


2005年06月13日(月)

「だれにも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るには遅いようにしなさい」(ヤコブ1:19)



軽率な言葉で失敗した事があるだろうか。長年かか
って築き上げた信頼関係が軽率な一言で無残に崩れ
た例も聞く。言葉は人を深く傷つけてしまうのだ。
身体の傷はいえるが、言葉による傷は深く残る。
軽率な言葉は口から出してはいけない。特に怒って
いる時は、気をつけるべきだ。感情的になって思っ
てもいない事まで言ってしまう。売り言葉に買い言
葉だ。自分の発した言葉で深く後悔する事になる。
いったん口から出た言葉だけはどうにもならない。
謝罪による回収しか方法がない。それゆえ、肉の言
葉は発するべきではない。そのためには、口の問題
でなく、心の問題なので、心を御霊に支配して頂く
ことだ。神の喜ばれる言葉、人を生かす言葉を語る
者として下さる。
--------------------
心に怒りが来るとき、「神様!」と叫ぶ。感情が
そのまま口からでてしまいがちなところが自分の
弱いところだから。神様、どうか今週も守ってくだ
さい。


2005年06月12日(日)

「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」(ヤコブ4:3)

神のみこころにはずれた事を祈るのは、祈って
もだめだ。答えられない。また、良い事を祈った
としても、その動機が問題だ。自分の欲望を遂げ
ようとしているなら答えられない。ある若い男女
が結婚したいと祈っていた。親の強い反対があり、
どうしても道が開かれなかった。神を待ち望み、
時を待った。すると、時を置いてみると二人の心
が微妙に離れ、双方共にみこころでない確信が来
た。感情だった。結果的に、それぞれ別の伴侶が
導かれた。よく祈るなら大きな間違いから守られ
る。主観が強いと思い込みにはまってしまう。祈
るなら、みこころにかなった正しい道へ導かれる。
自分の思いで決めずに常に祈ろう。自己中心な
思いで、動機が間違っているかもしれない。祈る
中で主が正して行って下さる。
・・・・・・・・・・・・・・・・
祈りが答えられない時、心探られる事が必要だ。
告白していない罪が無いか、赦せない思いが無い
か、肉の欲望ではないか、自己中心な動機では?
頑なな自分を明け渡して行く時、祈りが答えられ
て行く。




2005年06月11日(土)

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か・・心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12:2)

前の車について赤信号の中にいたという経験が
ある。前の車だけ見ていて、信号を見落とす。自
分で判断せず、前の車の判断に従ってしまった
結果だ。信仰生活も同様だ。この世の価値観、又、
自分の肉の思いに従って歩むなら、間違った方向
へ向かう。私達が絶えずしっかり見続けるべきは
主イエスだ。主イエスを見ているなら主の喜ばれ
る事、神の御心は何かを判断する事が出来る。主
から目を離すなら、私達が見ているものの影響をも
ろに受ける。この世の価値観は凄まじい影響力が
ある。知らないに間に染まる。あなたは今その影響
を受けていないか。その価値観から行動が生まれ
る。まず思いがあり、それが行動となり、行動が培
われ習慣となり、人格が形造られる。思いが根に
あり、一番の基は何に目を注いでいるかだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
主以外に地と肉と悪霊からの思いが来る。(ヤコブ3
:15)世の価値観、自分の肉の欲望、サタンが吹き
込む思いだ。よく思いを見張り、これらを受け入れず
拒否する事だ。祈りと御言葉により聖霊が助けて下さる。
今日も自分の思いをしっかり見張ろう。


2005年06月10日(金)

「おおいかぶされているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません」(ルカ12:2)



神はすべての行動を見ておられる。神の前に
隠せるものは何もない。又、外側の行為だけ
でなく、心の中も見ておられる。その動機も
ご存知だ。何もかもお見通しだ。罪はしばら
くは隠しおおせても、必ず明るみに出される。
神は侮られる方ではない。しかし、私達が悔
い改めるなら、主イエスの血潮により赦して
下さる。赦されるだけでなく、忘れて下さる
というのだ。もはや思い出さないと。
なんという恵みだろう。悔い改める者がこの
恵みにあずかるのだ。私達は犯してしまった
罪はどうすることもできない。正直に告白し、
全き赦しを受け取ろう。神はあなたを赦そう
と待ち構えておられる。
----------------
神様の前に正直であることが必要だ。
罪に敏感になり、そのつど赦しを受け取る事を
通して、本当の自分をいつもしっかり見つめ
ていける。


2005年06月09日(木)

「神は、私達をイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです」(エペソ1:5)



あなたも経験があるだろうか。最初福音がよく
理解できていなくて、神に受け入れてもらいた
くて、善行に励む。神の愛顧が欲しくて神に従
う。それは必ず疲れて来る。恵みでなく律法だ。
同時にしていない人を裁きまくる。
自分が辛くて苦しいので、そうしていない人に
腹が立つのだ。しかし、どれだけ頑張っても私
達の内に神に受け入れられるようなものは何も
ないのだ。私達の内にも行いにも一切無い。
神の一方的な恵みによる事だ。
主イエスの十字架の死によって、御子を通して
受け入れられているのだ。何と感謝な事だろう。
私達がどうであれ、御子によって私達は今ある
がままで受け入れられている!感謝と喜びに溢
れないだろか。
----------------
良い事をしている時だけ神様に顔向けできると
思うのは、へりくだっているようで実は、もの
すごく傲慢な思いだ。イエス様の十字架がある
から・・ただそれしかない。





2005年06月08日(水)

『「そんなことをした男は死刑だ・・」ナタンはダビデに言った「あなたがその男です」』(Uサムエル12:5)

ダビデは預言者ナタンの例えの話を聞き、人の大切な
たった一匹の子羊を奪ったその者に裁きを下した。彼は
その時に自分自身を罪に定めたのだ。人の欠点はよくわか
るし、している事ははっきり見える。しかし、自分の事は
なかなかわからない。他人に対してはシビアに裁くが、自分
には極めて甘い。更には言い訳、弁解をし、相手や環境の
せいにし、自分を正当化する。そうしている限り、真っ暗闇
の中だ。御言葉は鏡だ。自分の顔の汚れは鏡を見ない限
りわからない。他の何をしてもわからない。鏡を見て初めて
汚れを知る。御言葉は自らの間違いをはっきりと照らし出
してくれる鏡だ。自らの心の中が映し出される。良い事をし
たとして、その動機はどうか、態度はどうか。動機が重要だ。
外に見えない心の内が明らかにされる。人の罪は目の前に
あるが、自らの罪は内部深くにある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人の内側のものと心とは深い。自分の肉は自らを神とし、自分
が指令、自分中心にしか考えられない。主を十字架につけて
平然と見ている。人の心は何よりも陰険で直らない。聖霊の光
のみが、奥深くの陰険な罪を照らし出す。光に射されて認める時、
即、血潮の赦しがある。光の中にいたい。



2005年06月07日(火)

「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」(ヨハネ3:30)



クリスチャンはすべて二重人格で二つの性
質がある。新生した時に与えられる新しい
性質と持って生まれた罪の性質、古い性質
だ。古い性質は天に帰るまでなくならない。
新しい性質が大きくなって行き、古い性質
が小さくなって行くのが霊的成長だ。あな
たのこの二つの性質はどんな状態だろう。
自我がいつも打ち勝って強いか。古い性質
が新しい性質を圧迫しているか。人はあな
たにキリストを見るか、あなた自身を見る
か。自己主張の強い、自己中心な自分が常
に前面に出ているなら悲しい。自我にでは
なく、御霊に従って行くなら、御霊の支配
が内で領域を広げ、キリストを現して行く。
御霊は常に導かれる。その導きに敏感に従
おう。生活に喜びが大きくなる。
-------------------
私が衰えない限り、イエス様が全面的に働
かれることはない。肉の思いを意志で捨て、
御霊の導きに従い、主の香りを放つ者にな
れますように。


2005年06月06日(月)

「父がその子をあわれむように、主はご自分を恐れる者をあわれまれる」(詩篇103:13)



ある母親の元に、小さな娘が大泣きで抱きついて
来た。転んで、ひざをすりむいて血がにじんでい
た。母親は、すぐに抱きしめ、大丈夫だと言い、
抱きしめ、手当てをしてやった。天の御父も同様
だ。子供はトラブルが発生するやすぐに母親の元
へ飛んで来るように私達もどんなに些細な問題も
すべて、御父の元へ持って行くべきだ。神はご自
分を信頼し頼って来る子供達を喜んで迎え、対応
して下さる。「わたしを呼べ」と言われる神に、
常に、すぐに呼ばわろう。自分で対処する前に来
る子供達を喜んで下さる。あなたに今、問題があ
るか。それは小さな問題か。問題の大小に関わら
ず、すべてを神の前に持ち出せ。
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どんなことでも、まず主に話そう。そうしないと
すぐにサタンがやって来る。自分の中にも、他人
の中にも解決の道はない。神様に告げよう。


2005年06月05日(日)

「あなたがたが永遠のいのちを持っていることを・・わからせるためです」(Tヨハネ5:13)

信仰生活を感覚的に頼って歩んでいる人は多い。感
情に頼ると、救われている感じがしないと悩む。ある
婦人はどうしても救いの確信が持てないでいた。牧師
から御言葉を示されると納得するが、家に帰るとまた
わからなくなる。また、牧師から聞くと、そうだと思える。
その繰り返しだった。自分で神の御前に祈った。祈る
中で、自分の揺れ動く感情ではなく、神の御言葉に立
つこと、御言葉を根拠にする事を教えられて行った。
信仰の根拠は御言葉だ。自分がどう感じるかではなく、
御言葉がどう言っているかだ。御言葉が言っている事
をあるがまま、そのまま受け入れる時、感情がついて
来る、喜びが心に湧いて来る。今、感情に頼っていな
いか。愛されている感じがしないと。そうするなら迷路
に迷い込む。御言葉はどう言っているか。
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感情はコントロールできない。しかし、意志はコントロー
ルできるように造られている。御言葉を信じる事に意志
を向けて行く時、感情はついて来る。「わたしの目には
あなたは高価で尊い」そのまま受け取るなら喜びが湧く。



2005年06月04日(土)

「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません」(エペソ4:29)

愚痴、不平不満、否定的な言葉は周囲に嫌なものを
まき散らす。周囲が害を受ける。心が苦しくなり、恵み
が消し去られてしまう。経験あるだろう。胸がふさがれ
たように苦しくなる。自分はいらいらを発散させ、すっと
するが、それは肉だ。そうするなら、自らの古い性質を
増長させて行く。また、周囲は嫌なものを押し付けられ
被害を被る。人を嫌な気持ちにする言葉はいっさい口
から出してはならない。祈りによって自らの唇を守り見
張る必要がある。言葉を使って自我を発散させていな
いか。それは祈りによって神に持って行くべきだ。神が
すべて受け止めて下さる。心に満ちている事を口が
語る。単に口でなく、心の問題だ。自己中心か神中心か。
自分の態度と生き方だ。一瞬一瞬の選択。自我を選ぶ
か御霊を選ぶかだ。御霊に明け渡し、導きに従う時、人
に喜びと祝福を与え、恵みを与える者に変えられて行く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
言葉は、単なる言語でなく霊的なものをまき散らす。
祝福か害毒をまいてしまう。今日も接する一人一人に
神様の潤いと温もりと安らぎをもたらす者とされるよう。
祈りにより心を神様に支配して頂いて、1日を始めら
れるように。


2005年06月03日(金)

「いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る」(箴言15:31)




ある役職にある男性がスキャンダルで辞職に
なった。我に返り、目が覚めた時に、傲慢で
あった自分を認めた。妻の言う事も周囲の言
う事にも耳を貸さず、自分を阻止するものな
ど何もないとの尊大な奢り高ぶった態度であ
った。高慢により自滅してしまった。
高ぶりは滅びに先立つ。あなたを愛してくれ
ている者が忠告をしていないか。あなたの間
違いを正そうと。あなたの態度はどうか。
高慢は耳を固く閉じる。自我は痛いことは決
して聞きたくない。しかし、御霊は、へりく
だって聞け、耳を傾けよと言われる。叱責を
聞くなら生きる。拒むなら、あなたを更に傲
慢にする。主は周囲の助言を用いて、あなた
を矯正される。へりくだって聞くなら成長し
て行く。
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いつも謙遜に人の言葉に耳を傾けよう。
自分で気づかない罪を神様は示してくださっ
ている。いつも自分の弱さ、罪に敏感であれ
ますように。




2005年06月02日(木)

「私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで財を費やし、また私自身をさえ使い尽くしましょう」(Uコリント12:15)


ある牧師夫妻が宣教を始めた時、神のため
に賢明に働いた。労せど労せど思うように
事は運ばず、落ち込んで行き、気力が失せ
、燃え尽き症候群に陥った。どん底にまで
行った時、そこに主がおられた。わたしに
任せなさいとの御声に、自分の力、努力で
進むのでなく、何もかもを明け渡して、主
の力に頼る事を教えられた。燃え尽きてし
まった火が再燃した。あなたは行き詰まっ
ているか。自分の力で、自分の頑張りでや
って来ただろうか。自分の力で歩む時、神
は働く事がお出来にならない。じっとそば
で見ておられる。私達が神のために働くの
ではない。神が私達を通して働かれるのだ。
この差は天地ほど大きい。あなたのする事
は自分自身を明け渡す事だ。
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神様、神様と祈りながら自力で頑張ってしまう。
今しようとしている事を神様に明け渡す事が、
最も最短で、最善に自分を生かす道だ。


2005年06月01日(水)

「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」(ガラテア5:16)



生まれつきの肉の性質は、新生してもその
まま存在する。神の子とされた新しい性質
が与えられ、二つの相反する性質が戦いな
がらそこにクリスチャンの成長がある。
この戦いは日々経験するところだ。この肉
はどこまでも神に反抗し、陰険で狡猾だ。
つまり神に従いたい自分と神に反逆する自
分、二つの自分が内にいるわけで極めて複
雑だ。御霊が新しい性質に働き、サタンは
肉に働き、双方が引っ張る。肉の欲望に従
うならクリスチャンでも未信者のような生
活をする。御霊に従う時、成長して行く。
選択にかかっている。目の前に示されてい
る一歩に従おう。御霊に従うなら一歩、次
の一歩と導かれる。従い続ける事だ。
心に御霊の領域が広がり平安と喜びが増す。
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クリスチャンなのに、相変わらずの思い煩
いや、自分優先の毎日なら、もう一度よく
日々の生活を考えてみよう。なにに従って
いるんだろうか。