2005年08月31日(水) 「悪魔は・・この世のすべての国々と栄華とを見せて、言った『もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう』」(マタイ4:8)
「悪魔は・・この世のすべての国々と栄華とを見せて、言った『もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう』」(マタイ4:8)
悪魔はあなたの強い欲望につけ込んで来る。「そん なに欲しいのなら、私があげる。地位?賞賛?幸 福な家庭?あなたの夢を叶える。神の代わりに 私が与える。だから神を捨てよ。喉から手が出る ほど欲しいその幸せを得るのだから、神でなくとも いいだろう」神は必ず時間をかけられる。長い。 忍耐出来ずしびれを切らす。祈りなど聞かれない、 何も良い事がない。即刻欲しい。神はあなたの内 側に関心をお持ちだ。待つ期間を通して、キリスト に似るように練られ、忍耐を培い、動機を探り、 あなたの本性を見せ、砕き、聖め、成長させられる。 主の今後は十字架の道だ。そんな苦難を通らずとも、 あなたの願いを私が叶えると言ったのだ。あなたに とって信仰は欲しいものを得る手段か。単に手段なら、 神でも悪魔でもよい事になる。自分の期待通りでない と必ず神を離れる。信仰、神との交わりは目的だ。ここ に真の変わる事のない喜びがある。与えられようと 取られようと、神を信じ、神が神であられるゆえに、 どこまでも礼拝して行く。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 何で神に従っているのだろう?目的が自分の幸せの ためなら、幸せにさえなるなら、悪魔でも良いことになる。 絶えず悪魔は最も巧妙な誘惑を差し出して来る。自分 の姿を完璧に隠すので気づかない。あなたにも来て いるか。今日、御霊の光の中で探って頂こう。
2005年08月30日(火) 「キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者・・」(エペソ4:11)
「キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者・・」(エペソ4:11)
神が見られるのは、「預言者」でなく 「人」だ。「イザヤの預言」ではなく 「預言者イザヤ」だ。「預言を拒んだ」 でなく「預言者を拒んだ」と言われる。 自分が知らない霊的事柄を語っても、 聞く人に助けを与える事は出来ない。 自分が通ったところ、自分の血となり 肉とされた事を話す時、聞く人に恵み を与える。痛くて辛い試練を逃げない で、避けないでしっかり受け取る時、 その学びは他者を助けるために用いら れる。あなたの語る言葉には実質が伴 っているので、聞く人は真に助けを得 る。もしいつも痛い事を逃げているな ら、試練にある人を助ける時、言葉が 浮くのを感じる。言葉が自分と分離し、 頭上を越えて行く。聞く人もその言葉 を空しく感じる。 ------------------------- 自分が試練に真剣に向き合い、どう神 様とそこを通ったか。そのような時を たくさん持つなら、深みのある、人を 導く証し人となれる。本物の慰めと励 ましが自然に溢れてくる人になりたい。
2005年08月29日(月) 「かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもととなり、からだ全体は・・成長させられるのです」(コロサイ2:19)
「かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもととなり、からだ全体は・・成長させられるのです」(コロサイ2:19)
かしらにしっかり結びつく事が重要だ。 私達が結びつくのは主イエスだ。 皆がしっかり結びつくなら、からだ全 体はうまく機能する。例えば、人に善 事をして感謝が返らなかったらどうだ ろうか。怒りや失望を感じるか。 それなら主のためにしたのではなく、 自分が感謝してもらうためにしたのだ。 何のためにしているかの動機が重要だ。 主のためか、自分のためか。自分のため であれば必ず人からの報いを求める。 そして必ず失望落胆に陥る。かしらにし っかり結びつく事が大切だ。まずかしら に結びつく時、主のために、主のゆえに 善事を成す事が出来る。そして感謝がな くとも平安でいる事が出来る。 まず主との関係がすべてにおいて第一だ。 ------------------ 私達は自由に選択できるゆえに、惑わさ れ主の平安から遠ざかってしまう。行動 のすべての基は主に根ざしているだろう か。しっかり主に焦点を当てて溢れるば かりの感謝をもって今週も歩んでいこう。
2005年08月28日(日) 「律法による数々の罪の欲情が私達のからだの中に働いて、死のために実を結びました」(ローマ7:7)
「律法による数々の罪の欲情が私達のからだの中に働いて、死のために実を結びました」(ローマ7:7)
ある家の庭に柿がなっていた。「柿を取らないで 下さい」と貼り紙をしていたが、子供も大人も見ぬ 間に盗って行った。とうとう、もうその貼り紙は無駄 なのではずした。すると柿が盗まれる事が止んだ のだ。人間は禁じられた事をしたがる罪の性質が ある。禁じられ時、それが挑発になるのだ。根 が罪人であり、真に罪深い。私達の内の肉の性 質は反抗的でどうしようもない。神に反抗する。肉 の性質の本性を理解しておく事は大切だ。しかし 同時に新しい性質も内にある。神を喜び、神に従 おうとする性質だ。聖霊に導かれて従って行く時 この新しい性質が成長して行く。鍵は聖霊の導き に従う事だ。肉の欲望でなく、御霊の導きの方を 選択する事。そうすれば肉の欲望を満たす事は ない。聖霊が内におられるとは何という救いで あり、感謝な事だろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 神に反抗する性質と、神に従おうとする性質の二 つが同時にあるので、内側は極めて複雑だ。しかし 選択により、神への愛を表す事が出来る。瞬間々 二つの道が目の前にある。肉を拒絶し、御霊の導 きを選ぶ事が神を愛する事だ。結実して行く。
2005年08月27日(土) 「・・それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」(ヨハネ21:22)
「・・それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」(ヨハネ21:22)
ある人が同窓会に出席して惨めになったそうだ。 皆が出世話、子供の自慢話で、自分は何も自慢 する事が無く落ち込んだのだ。しかし、彼も間違っ ている。人と比較して自分を量っていて、自分を 見失い、自分の価値を認められないのだ。人が 基準になっている。物差しが間違っているので、 正しい答えは出て来ない。私の価値はどこにある のか。私の価値は神から来る。御父の一番大切な 御子を殺して下さったほどに価値がある。それほ どに大切に思っていて下さっている。誰が価値の 無い者の身代わりに、何よりも大事な子供を犠牲 になどするだろう。常に神に焦点を合わせ、神は 私をどう見ておられるか、御言葉はどう言ってい るかが大切。神は外側でなく、神に信頼する心を 見て喜ばれ祝福して下さる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ いつも思考する時、物差しは何か。「比較」で量っ ているか。常に同じ思考パタンに違いない。優越 感と劣等感を果てしなく行き来するだけ。その根は 同じで、高慢だ。よく心を点検して、その所を御 言葉と取り替え埋めよう。安らぎと喜びが来る。
2005年08月26日(金) 「私にとっては、生きることはキリスト」(ピリピ1:21)
「私にとっては、生きることはキリスト」(ピリピ1:21)
主が来られたのは私達に命を得させ、それを 豊かに持たせるためだ。単に天国への切符だ けでない。豊かな命を与えるために来られた。 あなたの信仰生活はどうだろう。天国行きを 確保してそれで終わりか。未信者の生活と変 わりないか。もっともっと喜びがある、主と 心触れ合う生き生きとした信仰生活が主のみ こころだ。もっと満ち満ちた領域がある。 それを妨げるものは自己満足だ。今の信仰生 活で事足りているか。本当は犠牲を払うのが 嫌でこの世も楽しみたくて、信仰から信仰へ 進もうとしないのだろうか。もっと喜びと平 安に満ち満ちた、主のお心に更に深く触れて 行く生活がある。それをとどめているものを よく探ってみよう。献げていく時、前進する。 ------------------ 天国行きを確保しただけで、この世の生活と なんら変わりないなら、天国はそんなに慕わ しいものだろうか。失敗しながらも主のくび きを負って希望をもって歩むからこそ、天国 が慕わしくなるのではないだろうか。
2005年08月25日(木) 「ふたりは聖霊に遣わされてセルキヤに下った」(使徒13:4)
「ふたりは聖霊に遣わされてセルキヤに下った」(使徒13:4)
私達は信仰生活で色々な事を計画し試みるが、 重要な事柄がある。「聖霊に遣わされて」と あるようにその事柄は、1神によって始めら れたか。自分が始めたのではないか。 2御言葉に基づいているか。自分の思いつき ではないか。3神の力に頼っているか。 自分の力で進めていないか。4神に栄光が帰 されているか。自分の名誉、自分の欲望の満 足のためか。これらによって査定できる。 御言葉に基づいて神が始められ、神の力によ って進められ、栄光が神に帰される時、聖霊 が力強く導かれた計画だ。あなたの新しい仕 事、奉仕、なすべき事が「聖霊に遣わされて」 進んで行くならば必ずそのプロセスにおいて も聖霊の助けがあり結果も神の栄光が現れる。 いつも点検しよう。 ----------------------- いつも神様に先立ってもらってしているだろ うか。御言葉のかわりに自分の感情や状況を 優先して進んでいってしまう事は無いか。 よく吟味してみよう。
2005年08月24日(水) 「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます」(エペソ6:16)
「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます」(エペソ6:16)
内なる古い人に悩まされる。思い煩い、不信仰、高慢、 妬み、憎しみ・・思いが心に湧き上がる。思いにほんろ うされるな。思いをコントロールする必要がある。 すべての思いを受け入れるな。拒否すべき。サタンか らの火矢がある。自分ではない外部からの思いだ。自 分の脳裏のスクリーンに映像が映し出されるように来る。 間違うな。サタンが吹き込んだ思いだ。自分が思ってい るのではない!突然昔の傷がよみがえり、突如昔を思い 出し怒りが湧き上がる。自分の思いには、まるで無か ったのだから、他者から吹き込まれたものだ。信仰生 活、サタンの火矢を見分け拒絶する事が重大事だ。 でなければ常に混乱に陥る。思考パタンによく目を留 めよ。いつも全く同じその思考プロセス、心が暗くなり 落ち込んで行くなら、背後に働くサタンだ。思いの中に、 常に御言葉、祈り、讃美を置くことで守られる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 頭でわかっていても、思いに来るサタンの罠に陥っている。 サタンの最大攻撃は「自分を隠す」事と「失望」させる事。 まずサタンに気づかない事が罠だ。落ち込んで行く思考 プロセスが、いつも同じである事に気づかせられる。 「すべての事を感謝」して行く時、このサタンを砕く。
2005年08月23日(火) 「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました」(Tテモテ1:19)
「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました」(Tテモテ1:19)
船は突然海路を離れる事は無い。潮流により少 しづつ進路がずれている。気づかぬ内に漂って しまっている。信仰生活の同様だ。 突然離れる事は無い。少しづつ少しづつ基準が あいまいになり妥協し始める。少しづつなので 大きな罪意識も無い。僅かに漂いつつ離れて行 く。世の快楽で興味が一杯になり、生活からデ ボーションが失せる。興味が次々とあちこち向 くので重いが世にどっぷり浸かってしまう。 流されていて気づかない。私達の状態はどうだ ろう。聖霊は気づきを与えられる。 流されている事に気付けることが感謝。祈りと 御言葉から離れてはならない。霊的破船から守 られる。この世の誘惑と肉の欲望は凄まじい。 霊的食欲が減退していたら要注意だ。 --------------------- 神様との交わりがなくなっている時、御霊様の 導き、促がしを感じる。そのときの選択が問題 だ。一歩、一歩と離れて行くか、一歩また神様 の御側に近く寄るか。
2005年08月22日(月) 「欺きのはかりは、主に忌みきらわれる。正しいおもりは、主に喜ばれる」(箴言11:1)
「欺きのはかりは、主に忌みきらわれる。正しいおもりは、主に喜ばれる」(箴言11:1)
「おれおれ詐欺」「振り込め詐欺」を身近に まで聞くようになった。不誠実がはびこって いる。クリスチャンなら大きな罪は犯さない が、日常の些細な事への態度はどうだろう。 悪意はないが、つい面倒で楽な方へ流されて しまう。これは誘惑だ。損得ではなく、楽か どうかでもなく、正しい事を行うべきだ。 神の御心は些細な事にも正しく、誠実な対処 をする事だ。そして、時間や労力の少々の犠 牲を払っても正しい事を行う事を喜ばれる。 生活の中で焦点を合わせている事が大切だ。 損得、安楽ではなく、誠実である事に。 焦点を合わせているならそう行動できる。 安楽に流される誘惑は強い。神に焦点合わせ、 御言葉を握って今日も小事に誠実を尽くそう。 ---------------------- みこころを選択するよう心がけよう。自分は 犠牲は払いたくないし、出来るだけ楽をしたい。 そういう者だと知っている事が誠実への道。 今週もみこころの中心を歩もう
2005年08月21日(日) 「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる」(箴言17:1)
「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる」(箴言17:1)
家庭には、何よりも愛が必要だ。暖かい 愛の雰囲気があるべきだ。子供は家庭 で愛され守られ育まれなければならない。 仕事より子供は大切。人格があるからだ。 仕事は他の誰でも代わりがきく。しかし、 親である事は代わりがきかない。仕事で 大成功しても子供の心が歪むなら、取り 返しがつかない。ありのままで良い。失敗 しても大丈夫、転んでも再び起き上がり歩 めば良い。どん底に行っても大丈夫、そこ に主がおられ、親の愛は変わらない。こ れらを肌で学べるのは家庭しかない。いつ でも受け入れられており、愛されている。 子供が常に安心しておれる巣であり、時が 来たなら、きれいに飛び立って行ける。優 先順位は、神、夫婦、子供、仕事だ。 ・・・・・・・・・・・・・・ 持ち物で愛や喜びは来ない。何にも代えられない 平安と喜びがあり、主がおられる家庭は何と幸せ。 まず初穂となって救われた一人が、家庭に神の 祝福をもたらすために遣わされている。祝福の器と して用られる。
2005年08月20日(土) 『あなたがたは、「はい。」は「はい。」、「いいえ。」は「いいえ。」とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです』(マタイ5:37)
『あなたがたは、「はい。」は「はい。」、「いいえ。」は「いいえ。」とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです』(マタイ5:37)
実行できない約束はしてはいけない。約束を軽 々しく扱ってはならない。なぜなら、信仰とは約 束の上に立つものであり、神の約束は真実であ るからだ。その約束を破るなら、神の約束は不 実だという事になる。特に小さな子供には約束 を果たさなければならない。出来ない約束は決 してしない事だ。約束する前によく考えるべきだ。 可能な事は「はい」、不可能な事は「いいえ」、 確かでない事は「確かでないが」であるべきだ。 実行できそうにない事は、約束してはならない。 約束は厳粛だ。神は約束は何があろうと必ず成就 される。約束がいい加減なものなら信じてなど行 けない。それゆえ、私達も心して約束に真実であ れるように。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 自分の言葉には責任がある。「はい」は「はい」、 「いいえ」は「いいえ」単純明快だ。そこに偽り が入る余地がない。御旨には「はい」、御心に反 するなら「いいえ」。「ノー」もはっきり言う事 は大切だ。本音と建て前、ぎまんや妥協から守られる。
2005年08月19日(金) 「また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい」(コロサイ2:6)
「また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい」(コロサイ2:6)
感謝の気持ちははっきり表明すべきだ。 恵みを一つ一つ数えて具体的に神に感 謝するのは良い事だ。神は喜ばれる。 感謝する人に感謝すべき事を更に加え て与えて下さるのだ。感謝を実行する なら、まず自分の心がどんなにか落ち 込みから守られるかに驚く。夫婦間で 感謝が失せると倦怠となる。家庭の成 功は弱さを受け入れ合うと同時に、互 いを正しく認め、評価し感謝を言い表 す事だ。感謝は喜びと潤いを生み出す。 今、感謝を言い表すべき人がいないか。 御霊が示しておられるなら、機会を捕 らえて感謝を言い表そう。すべての事 を感謝していく時、サタンの足場はな い。不都合な事、マイナスの事、あえ て信仰により感謝を献げよう。 みわざを拝する。 -------------- 不平不満より、感謝な事を数えてみよう。 サタンより心が守られる。御言葉に触れ 落ち着いた心で周りを見るなら、溢れる ばかりの恵みに気づくのではないだろう か
2005年08月18日(木) 「・・神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12:2)
「・・神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12:2)
聖書は一貫して、自分を変えよと言っている。私 を変えて下さいが、正しい態度だ。人を変えようと して、どんなに不毛の戦いをした事だろう。神で さえ人を造り変えるのに膨大な時間、深い愛と配 慮を必要とされるのに、口一つでどうしてそんな事 が出来よう。口やかましく言えば言うほど心を閉ざ させるだけだ。自分が変わりたくないのに、人から コントロールされるなら反発と拒否反応しか起こらない。 夫が妻を、妻が夫を変えるのを見た事がない。親 が子に対しても同様だ。ただ自分を変える事が出 来るだけだ。あなたが変わる時、夫は、妻は、子供 は、相手は変わる。人が変わるのは、自分が変わ りたいと思う時だけだ。人を変えようとの思いを捨 て、自分が主により変えられる事に専念せよ。必 ず成長を見、周囲に神を現わす。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 問題が起こると、相手を変え、環境を変えようとする、 肉に来るサタンの誘惑だ。自分が変えられる事、この 一点に焦点が合う時、今まで見えなかったものが見え て来る。一つ一つがつながり、すべてが必要であった 事が見えて来る。
2005年08月17日(水) 「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちに真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです」(ヨハネ8:44)
「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちに真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです」(ヨハネ8:44)
すべての偽りはサタンから出ている。 サタンから出ているゆえに、すべての偽 りに決して荷担してはならない。それは サタンの巧妙な罠だ。私達の言葉に決し て偽りがあってはならない。 よく唇を見張る必要がある。サタンとの 戦いだ。黒ではないが灰色の言葉はない か。嘘ではないが真実では無い言葉はな い。それはその場をうまくやり過ごすた めのごまかしであり偽りだ。関わっては ならない。主にある者の唇からは真実だ けが語られるべきだ。もし偽りを語って しまったならすぐ悔い改めるべきだ。 そのままにしておくなら、サタンに足場 を与え、そこから攻撃を招く。サタンか ら来ているゆえ偽りを拒絶せよ。 御霊が偽りの言葉を静止される時、従う なら守られる。 ------------------------- なぜ「イエス」は「イエス」、「ノー」は 「ノー」と言えないのだろう。真理の大切さ 、偽りの源を明確にしていないから、灰色の 中途半端な思いをサタンに吹き込まれてしまう。
2005年08月16日(火) 『私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました』(詩篇32:5)
『私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました』(詩篇32:5)
ダビデはバテシバと姦淫の罪を犯し、その発覚 を恐れてバテシバの夫ウリヤをも殺害、罪は罪 を呼び二重の罪を犯した。その罪を隠していた 間は、一日中うめいて骨々は疲れ果てていた。 神の御手が重くのしかかり、骨髄はひでりで乾 ききったと。煩悶と苦しみの様が出てくる。 ダビデは罪に苦しんだ。苦しみに耐え切れずと うとう神の御前に罪を告白し悔い改めた。その 時、そむきの罪は赦され、罪はおおわれた。 主を三度まで呪いをかけてまで否んだペテロ。 自分のしてしまった事を後悔し、男泣きに泣い た。神はどのような失敗をも赦し回復させて下 さる。哀れみは尽きない。罪には刈り取りがあ る。結果は刈り取るが赦されるのは何と幸い。 ------------------- 罪を犯しても神様とのまっすぐな関係が壊れる ことがないのは、罪を告白するからだ。 罪を隠して心痛んでいるより主に信頼して告白 しよう。恵みが取り囲むと約束してくださって いる。
2005年08月15日(月) 「どんな貪欲にも注意してよく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです」(ルカ12:15)
「どんな貪欲にも注意してよく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです」(ルカ12:15)
物を収集した経験があるだろうか。子供の頃は 切手やカード類、大人になるとCDやビデオ、 本や衣類、人によって様々だ。ある主婦は飾り 人形が好きで家に可愛い素敵な人形が溢れてい た。しかし輸入物にも目が移り、段々高価なも のが欲しくなり際限なくなって来た。ある日祈 りの中で神が「それは貪欲です」と指摘された。 欲望は際限がない。神に任された金銭をこのよ うに使うのは御心ではない。貪欲の誘惑に襲わ れていた事に気づき、心を断ち切る事が出来た。 これはある中やギャンブルにはまるのと同じだ。 「今持っているもので満足せよ」「満ち足りる 心を伴う敬虔」あなたにも貪欲の誘惑が来てい ないか。誘惑に立ち向かい神に喜ばれる選択を しよう。 --------------------------- 天に携えて行けない物に心を奪われるな・・・ 何かの本で読んだ。大切な時間を削って働いた 報酬を無駄なものに使っているなら、時間も、 労も、お金も無駄にしている。おまけにストレ スまでついて来る。貪欲のための奴隷とならな いよう、守られるますように。
2005年08月14日(日) 「わたしは心優しく、へりくだっているから・・わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば安らぎがきます」(マタイ11:29)
「わたしは心優しく、へりくだっているから・・わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば安らぎがきます」(マタイ11:29)
ある人が家に一人でいた時、余りに美しい夕 陽に驚いた。その頃、難しい仕事と実家へ日 参しては実母の介護に疲れ果てていた。 余りの見事さに神を思った。途端、自分が神 からいかに離れているかに気づいた。日々心 身消耗しきって目の前の事しかなく、神無し の生活をしていた。「わたしのもとに帰りな さい。その重荷をわたしに背負わせてくれな いか、愛しているよ」との語りかけにを感じ た。心身疲れきっていて涙が溢れ出た。 神から離れていた事を悔い改めて、助けを求 めた。すると、心がすっきりして平安がやっ て来た。主が負って下さっているくびきを主 と共に負う事を申し上げ心新たにされた。 一人で負わないですぐに主の元へ行け。主と 共に負うくびきは軽くて平安。 ------------ イエス様のくびきを負い、共に生きていただ く道はストレスやつぶやきから開放された平 安の道だ。心がざわついて、いらいらトゲト ゲする時、少し立ち止まって考えてみよう。 くびきを自分で負っていないか。
2005年08月12日(金) 「いのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです」(マタイ16:25)
「いのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです」(マタイ16:25)
ある男性、時間ぎりぎりに飛び起き、洗面し、カバン を持ちバス停に全速力で走り、飛び乗った。 ハアハアと思い切り息を切らせ「このバスはどこ行き なんだ?」これは現代の人々の姿だ。忙しいだけの毎日、 全速力で走りながら、一体どこへ向かっているのかわか らない。私達は信仰者としてどうだろう。 的外れの方向に向かっていないか。神を後回しにし、 自己中心に自分の欲望を優先させ、目の前の美味しい草 をあさっていないか。迷子になってしまう。神との交わ りから離れて自分の力で歩んでいるか。心から平安が消 えているか。注意信号だ。今すぐ方向変換し、優先順位 を正そう。神に立ち返り、神との交わりを第一にしよう。 心に喜びが戻る。 ----------------------- 少しの時間でも御言葉にふれるひと時をもとう。やる事 は次から次に襲ってくるから、神様との交わりを死守し なければすぐに道に迷ってしまう弱い者だということ、 忘れずにいよう。
2005年08月11日(木) 「・・不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」(コロサイ3:13)
「・・不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」(コロサイ3:13)
職場に横柄な態度の上司がいた。機嫌が悪い と、仕事に口を挟み、様々な難くせをつけて くる。どうでも良い事にまで文句をつける。 ある日、集中砲火を浴びて、もう耐え切れず、 帰宅して主に叫び祈った。「主よ。どうして ですか!」と、怒りを次々とぶちまけた。 心の叫びをすべてぶちまけると段々落ち着き 心静まって来た。この事で神は何を教えたい のか、静かに今度は神の御声に耳を傾け始め た。肉は仕返しし攻撃したいが、キリストの 血潮のゆえに罪赦された自分は、赦しを選択 できる新しい性質が与えられている事に思い が至った。神に喜ばれる選択をしたいと思っ た時、心に霊の喜びと平安が訪れた。 赦すことは選択だ。 ----------------------- 主は「赦しなさい」と言われるだけでなく、 赦す力も与えてくださる。そのためにはまず、 意志で赦しを選択することだ。怒りの感情に とらわれることから守られる。
2005年08月10日(水) 「この世と調子を合わせてははいけません。いや、むしろ神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知る・・」(ローマ12:2)
「この世と調子を合わせてははいけません。いや、むしろ神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知る・・」(ローマ12:2)
こんな笑い話がある。商店街で肉屋と魚屋が 向かいあっていた。肉屋の時計が調子悪く、 魚屋に正確な時間を聞いた。すると「うちの時 計は毎日あんたの時計に合わせてる」との答 えが返って来た。折紙工作で型紙に合わさずに、 切り取った折紙に合わせ、次々と切って行くと 微妙に大きさが違って来る。信仰も同様だ。主 と御言葉に私達の価値観、思い、行動を合わ せなければ、いつのまにか微妙にこの世界の 価値観に染まり影響を受けてしまう。主イエスか ら目を離してはならない。すぐに物差しが狂って くる。少しづつ御言葉から離れて行き、肉の思い 判断へと傾いて行く。流されている時は、その事 にすら気づかない。今、あなたの尺度は御言葉 だろうか。 ・・・・・・・・・・・・・・ 何に基づいて行動しているだろう。御言葉と御霊 の導きか、それとも肉の思い、判断か。培われた 古い価値観は根深い。主から目を離すと、知らず知 らず世の価値観で動いている。主との交わり通して、 日々修正される。
2005年08月09日(火) 「神の恵みによって、私は今の私になりました・・私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました・・私ではなく、神の恵みです」(Tコリント15:10)
「神の恵みによって、私は今の私になりました・・私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました・・私ではなく、神の恵みです」(Tコリント15:10)
自分の弱さを受け入れ、又、自分の出来る事も卑下 する事なく受け取れる人は多くの事を成し遂げる事 が出来る。パウロがその模範だ。主の教会を迫害し た者であるとの苦い過去を認め、罪人のかしらだと へりくだっている。しかし、自分はだめな者と言う のではなく、使徒である事がはっきり言えた。又、 他の使徒達よりも多く働いたと言えた。そして、 これらすべては神によるのであり、神の恵みである と、神に栄光を帰した。自分の弱さをあるがままに 認める時、弱さの内に完全に働く神の力がどのよう なものであるかを知る事が出来る。弱さの内に完全 に働く神が臨在をもっておおって下さるのだ。 自分に正直であれば、自分を受け入れる事ができ、 自由にされる。 ------------------- 何もしないでおいて自分は無能だと言うのは、謙遜 ではない。できるか、できないかは「従いたい」と はっきり神様の前に自分を差し出すか、そうでない かだ。
2005年08月08日(月) 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10)
「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10)
豊かな賜物を与えられている有能な婦人がいた。 彼女のモットーが前進、向上であった。が、働 き過ぎで倒れてしまった。病床生活を余儀なく され、ひどく失望落胆した。そんなとき、大き なイベントがあり、その働きに加われない事に 苛立ち神に反抗している自分に気づいた。働き を一切止められた時、自分の心が見えてきた。 働く事、行動する事が喜びで力で、生きがいで ある事、とどめられている事が耐えられない苦 痛である事にも気づいた。神ではなく、仕事が 偶像になっている事を教えられた。神からスト ップがかからなければ決して気づけなかった。 特に神のための働きを神より大切にし、優先し ている事は気づきにくい。神は止めて、教えら れる。 ------------------------------------- 私達はすぐに道をはずれて突っ走ってしまう。 わたしこそ神であることを知れ・・・何度も 神様からそう言われ正しい道へと引き戻され る。何たる幸い。
2005年08月07日(日) 「すべての事について、感謝しなさい」(Tテサロニケ5:18)
「すべての事について、感謝しなさい」(Tテサロニケ5:18)
皆、経験するところだ。サタンが四六時中、 不満や愚痴、不安、思い煩いを見せて来る。 心に声が聞こえる。それに聞いて乗って行 くと、神が飛んでしまい感謝が消える。逆に 神に感謝して行くと、神の愛やご配慮、みわ ざがどんどん見えて、こんなにあったと驚く ほどの感謝が出て来る。そして不満と不安が 消える。不満と不安に乗ると感謝が消え、感 謝を見て行くと不満と不安が消える。この二 つが一日の間に交錯する。私達がどちらの声 に同意し、選択するかによって結実を見る。 サタンに乗ると周囲にも害毒を流し、御霊 に聞くと周囲に潤い喜び、安らぎをもたらす。 何も見えない中で神に感謝して行く時、それ は信仰だ。目で見た事は誰でも感謝できる。不 都合な事態の中で、見えない中で感謝して行 く時、その信仰は神に喜ばれ、サタンの闇の わざを砕く。そして、神の真実を知る事になる。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 最初は見える事から一つ一つ感謝を始める 事が出来る。これは日々の練習だ。ピアノも 車も練習して少しづつ上達して行くように、感 謝も練習だ。やがてどんな中でも感謝を選択 できるようになって行く。
2005年08月06日(土) 「彼は主と話したので、自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった」(出エジプト34:29)
「彼は主と話したので、自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった」(出エジプト34:29)
ある人が対人関係でもめて心乱れ、悶々と 眠れないまま夜が明けた。日の出を見た時 自然の見事さに神を感じた。周囲に腹が立ち、 なぜ皆、自分勝手なのかと怒っていたが、その 時、神の御声が聞こえた。「自己中心なのは、 あなたではないか」心が素直にされ、冷静に 受け止める事が出来た。主の栄光を反射して 行くべきなのに、自分の思いを通し、自分の強 情と頑なさを反射していたのだ。それで、分裂 させてしまっていた。自分が反射するものが、 わがままで、自己中心であるなら、人々を主か ら遠ざけてしまう。自分が主に似るように変え られて行く時、主を反射させる。主と交わる事 によって変えられる。日々変えられて行く。主 との交わりが根本だ。私達が日々反射させてい るものは何だろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 愚痴や不満、不機嫌を反射させるなら、人々 を主から遠ざけてしまう。愛、喜び、平安を反 射させるなら人々を近づける。誰も持っていな いから、喉から手が出るほど欲しい。まず主に 自分自身を受け止めて頂こう。そこから喜び が来る。
2005年08月05日(金) 「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩篇37:5)
「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩篇37:5)
ある男性は仕事が多忙になり教会へ行 けなくなった。教会へは時間があれば 行くものであり、毎週行く人は特別に 熱心なのだと思っていた。そんなある 時、信仰生活とは意志で選び取って行 くものだと教えられた。アップダウン のある感情に従って行くなら信仰生活 は成り立たないと。牧師はいつもいつ も喜びに満ち満ちているわけでは無い と。しかし、神の喜ばれるみこころを 選び取って行く時、感情はついて来る。 感情を先にするなら振り回されてしま う。感情は制御できないが、意志は制 御できるよう神に造られている。 それゆえ秘訣は意志を向け、意志で従 う事だ。そうするなら感情も味わえる。 みこころを選び取って、意志を向けて 従おう。 ---------------------- 感情を制御せず、感情偏重で生きるな ら、いつまでたっても神様を知ること はない。祈り心で意志を向ける時、感 情は静まり神様のみわざを見る。
2005年08月04日(木) 「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました」(ピリピ4:11)
「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました」(ピリピ4:11)
よく子供がオモチャ店へ行くと、次々と目移り して、一つを手に取ると横の物に目が移り、あ れもこれも欲しい。この光景は信仰生活に似て いる。神が与えて下さっているものに満足出来 ない。いつも別のものが欲しいのだ。それで平 安が無い。今の状況、環境を神からのものと、 受け取る事が大切だ。そこに平安が来る。「満 ち足りる心を伴う敬虔」が大切と言ったパウロ は「どんな境遇でも満ち足りる事を学んだ」。 自分に与えられているものに目を留め、感謝し て「満足」する事は力だ。他と比較して「無い、無 い」でなく、自分に与えられているものに感謝する なら、妬みは出て来ない。満足は、自分の思いで なく、神をみこころに従う事から生まれる。自分の 幸せをどんなに求めても満たしはない。神の国と 神の義を求めて行く時に初めて幸福と満足が ある。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 満ち足りる事も学んで行くことだ。いつもすべて の事について感謝する事、生活の中で神を第一 にして行く事、状況でなく自分でなく神に焦点を当 てて行く事、これらにより満足が来る。これは日々 の訓練で、繰り返しの練習だ。
2005年08月03日(水) 『すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい」』(マタイ14:18)
『すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい」』(マタイ14:18)
ストラディバリウスは有名だ。最高のバイオリンだ。一 つ一つの部品が丁寧に人により彫られ作られている。 しかし、どんなに素晴らしくても、あくまでも物だ。奏者 あって初めて、このバイオリンは生きる。バイオリンだ けあってもどうにもならない。才能ある奏者に奏でられ る時、会場の人々を素晴らしく感動させ、その神髄を 発揮する。バイオリンと奏者が一つになった時、息を 飲む音色が生み出され、演奏は輝く。私達も同様だ。 私達の造り主の手に自らを置くなら、自分が最高に自 分らしく開花し、素晴らしい音色を鳴り響かせる。自分 だけではただのバイオリン、名手の手に握られる事が 秘訣だ。神に自らを明け渡す事が、最高に自分が自 分らしく生かされる道。真価が発揮できないままのバ イオリンか、それとも自らを明け渡し、名手の手に握 っていただくか、私達の選択だ。一生一度の信仰の人生、 よく考えてみよう。 ・・・・・・・・・・・・ 名手の手に握られる事が重要だ。主は献げられたパン と魚を取り、祝福し、大勢の人々を満腹させられる。自 分の喜びだけでなく、一つの人生が周囲の大きな祝福 とされるとは、何と感謝な嬉しい事だろう。
2005年08月02日(火) 「あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である」(詩篇62:8)
「あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である」(詩篇62:8)
サウル王は人々が「サウルは千を打ち、ダビデ は万を打った」と言った時、彼に無いのは王位 だけだと怒りと嫉妬に狂った。槍を投げつけ、 ダビデを殺そうとした。王につけ狙われるダビ デの恐怖、死への恐れ、不安、思い煩いはどん なに切羽詰った瀬戸際であっただろう。 しかし、そんな中でダビデは神からの平安を得 て安らいでいる事を証ししている。ダビデはど うしてそう出来たのか。心の嘆き、叫び、不安、 怒り、思い煩い、恐れのすべてを神に注ぎだし たのだ。感情をも造られたお方だ。それゆえあ なたの感情を受け止めて下さる。問題は依然と してあったとしても神に心を注ぎだすなら、心 が変えられる。主から来る平安で満たして下さ る。心を注ぎ出せ。 ------------- 問題は依然としてある。その中で喜んでおれる から感謝だ。その時、その時、山場にあって神 様に叫び、答えをいただく。神様を近く感じる
2005年08月01日(月) 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」(Tコリント5:17)
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」(Tコリント5:17)
この世界の考え方は人間は本質的に善で、 それゆえ劣悪な環境を改善したり、自分 を改良し、悪い所を除去してやれば、本 来の善の性質が伸びて来るというものだ。 しかし、神は人の心は陰険でそれは直ら ない、すべての人は罪を犯したと言われ る。ちょっと手を加えれば良くなるとい うものではなく私達はとことん悪い。 徹底的に罪人である事、神に敵対し、反 攻している者である事を知る必要がある。 十字架のみわざに頼るほか救われる道は 無い。しかし、神はそのような者を愛し て下さるとは何という驚くべき事だろう。 私達が愛するに値するから愛されたので は断じてない。何の功績も無い者を一方 的に愛された。今生かされているのは神 の愛ゆえだ。 ------------- 年齢に関係なく主にあるなら、どんどん 成長し変化し続けられるとは何という幸 いだろう。神様が内側から変えて行って くださるのだ。今週も主に委ねて歩もう