2005年08月31日(水)

「悪魔は・・この世のすべての国々と栄華とを見せて、言った『もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう』」(マタイ4:8)

悪魔はあなたの強い欲望につけ込んで来る。「そん
なに欲しいのなら、私があげる。地位?賞賛?幸
福な家庭?あなたの夢を叶える。神の代わりに
私が与える。だから神を捨てよ。喉から手が出る
ほど欲しいその幸せを得るのだから、神でなくとも
いいだろう」神は必ず時間をかけられる。長い。
忍耐出来ずしびれを切らす。祈りなど聞かれない、
何も良い事がない。即刻欲しい。神はあなたの内
側に関心をお持ちだ。待つ期間を通して、キリスト
に似るように練られ、忍耐を培い、動機を探り、
あなたの本性を見せ、砕き、聖め、成長させられる。
主の今後は十字架の道だ。そんな苦難を通らずとも、
あなたの願いを私が叶えると言ったのだ。あなたに
とって信仰は欲しいものを得る手段か。単に手段なら、
神でも悪魔でもよい事になる。自分の期待通りでない
と必ず神を離れる。信仰、神との交わりは目的だ。ここ
に真の変わる事のない喜びがある。与えられようと
取られようと、神を信じ、神が神であられるゆえに、
どこまでも礼拝して行く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
何で神に従っているのだろう?目的が自分の幸せの
ためなら、幸せにさえなるなら、悪魔でも良いことになる。
絶えず悪魔は最も巧妙な誘惑を差し出して来る。自分
の姿を完璧に隠すので気づかない。あなたにも来て
いるか。今日、御霊の光の中で探って頂こう。


2005年08月30日(火)

「キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者・・」(エペソ4:11)



神が見られるのは、「預言者」でなく
「人」だ。「イザヤの預言」ではなく
「預言者イザヤ」だ。「預言を拒んだ」
でなく「預言者を拒んだ」と言われる。
自分が知らない霊的事柄を語っても、
聞く人に助けを与える事は出来ない。
自分が通ったところ、自分の血となり
肉とされた事を話す時、聞く人に恵み
を与える。痛くて辛い試練を逃げない
で、避けないでしっかり受け取る時、
その学びは他者を助けるために用いら
れる。あなたの語る言葉には実質が伴
っているので、聞く人は真に助けを得
る。もしいつも痛い事を逃げているな
ら、試練にある人を助ける時、言葉が
浮くのを感じる。言葉が自分と分離し、
頭上を越えて行く。聞く人もその言葉
を空しく感じる。
-------------------------
自分が試練に真剣に向き合い、どう神
様とそこを通ったか。そのような時を
たくさん持つなら、深みのある、人を
導く証し人となれる。本物の慰めと励
ましが自然に溢れてくる人になりたい。



2005年08月29日(月)

「かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもととなり、からだ全体は・・成長させられるのです」(コロサイ2:19)




かしらにしっかり結びつく事が重要だ。
私達が結びつくのは主イエスだ。
皆がしっかり結びつくなら、からだ全
体はうまく機能する。例えば、人に善
事をして感謝が返らなかったらどうだ
ろうか。怒りや失望を感じるか。
それなら主のためにしたのではなく、
自分が感謝してもらうためにしたのだ。
何のためにしているかの動機が重要だ。
主のためか、自分のためか。自分のため
であれば必ず人からの報いを求める。
そして必ず失望落胆に陥る。かしらにし
っかり結びつく事が大切だ。まずかしら
に結びつく時、主のために、主のゆえに
善事を成す事が出来る。そして感謝がな
くとも平安でいる事が出来る。
まず主との関係がすべてにおいて第一だ。
------------------
私達は自由に選択できるゆえに、惑わさ
れ主の平安から遠ざかってしまう。行動
のすべての基は主に根ざしているだろう
か。しっかり主に焦点を当てて溢れるば
かりの感謝をもって今週も歩んでいこう。


2005年08月28日(日)

「律法による数々の罪の欲情が私達のからだの中に働いて、死のために実を結びました」(ローマ7:7)

ある家の庭に柿がなっていた。「柿を取らないで
下さい」と貼り紙をしていたが、子供も大人も見ぬ
間に盗って行った。とうとう、もうその貼り紙は無駄
なのではずした。すると柿が盗まれる事が止んだ
のだ。人間は禁じられた事をしたがる罪の性質が
ある。禁じられ時、それが挑発になるのだ。根
が罪人であり、真に罪深い。私達の内の肉の性
質は反抗的でどうしようもない。神に反抗する。肉
の性質の本性を理解しておく事は大切だ。しかし
同時に新しい性質も内にある。神を喜び、神に従
おうとする性質だ。聖霊に導かれて従って行く時
この新しい性質が成長して行く。鍵は聖霊の導き
に従う事だ。肉の欲望でなく、御霊の導きの方を
選択する事。そうすれば肉の欲望を満たす事は
ない。聖霊が内におられるとは何という救いで
あり、感謝な事だろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神に反抗する性質と、神に従おうとする性質の二
つが同時にあるので、内側は極めて複雑だ。しかし
選択により、神への愛を表す事が出来る。瞬間々
二つの道が目の前にある。肉を拒絶し、御霊の導
きを選ぶ事が神を愛する事だ。結実して行く。
 


2005年08月27日(土)

「・・それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」(ヨハネ21:22)

ある人が同窓会に出席して惨めになったそうだ。
皆が出世話、子供の自慢話で、自分は何も自慢
する事が無く落ち込んだのだ。しかし、彼も間違っ
ている。人と比較して自分を量っていて、自分を
見失い、自分の価値を認められないのだ。人が
基準になっている。物差しが間違っているので、
正しい答えは出て来ない。私の価値はどこにある
のか。私の価値は神から来る。御父の一番大切な
御子を殺して下さったほどに価値がある。それほ
どに大切に思っていて下さっている。誰が価値の
無い者の身代わりに、何よりも大事な子供を犠牲
になどするだろう。常に神に焦点を合わせ、神は
私をどう見ておられるか、御言葉はどう言ってい
るかが大切。神は外側でなく、神に信頼する心を
見て喜ばれ祝福して下さる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつも思考する時、物差しは何か。「比較」で量っ
ているか。常に同じ思考パタンに違いない。優越
感と劣等感を果てしなく行き来するだけ。その根は
同じで、高慢だ。よく心を点検して、その所を御
言葉と取り替え埋めよう。安らぎと喜びが来る。
 


2005年08月26日(金)

「私にとっては、生きることはキリスト」(ピリピ1:21)




主が来られたのは私達に命を得させ、それを
豊かに持たせるためだ。単に天国への切符だ
けでない。豊かな命を与えるために来られた。
あなたの信仰生活はどうだろう。天国行きを
確保してそれで終わりか。未信者の生活と変
わりないか。もっともっと喜びがある、主と
心触れ合う生き生きとした信仰生活が主のみ
こころだ。もっと満ち満ちた領域がある。
それを妨げるものは自己満足だ。今の信仰生
活で事足りているか。本当は犠牲を払うのが
嫌でこの世も楽しみたくて、信仰から信仰へ
進もうとしないのだろうか。もっと喜びと平
安に満ち満ちた、主のお心に更に深く触れて
行く生活がある。それをとどめているものを
よく探ってみよう。献げていく時、前進する。
------------------
天国行きを確保しただけで、この世の生活と
なんら変わりないなら、天国はそんなに慕わ
しいものだろうか。失敗しながらも主のくび
きを負って希望をもって歩むからこそ、天国
が慕わしくなるのではないだろうか。




2005年08月25日(木)

「ふたりは聖霊に遣わされてセルキヤに下った」(使徒13:4)



私達は信仰生活で色々な事を計画し試みるが、
重要な事柄がある。「聖霊に遣わされて」と
あるようにその事柄は、1神によって始めら
れたか。自分が始めたのではないか。
2御言葉に基づいているか。自分の思いつき
ではないか。3神の力に頼っているか。
自分の力で進めていないか。4神に栄光が帰
されているか。自分の名誉、自分の欲望の満
足のためか。これらによって査定できる。
御言葉に基づいて神が始められ、神の力によ
って進められ、栄光が神に帰される時、聖霊
が力強く導かれた計画だ。あなたの新しい仕
事、奉仕、なすべき事が「聖霊に遣わされて」
進んで行くならば必ずそのプロセスにおいて
も聖霊の助けがあり結果も神の栄光が現れる。
いつも点検しよう。
-----------------------
いつも神様に先立ってもらってしているだろ
うか。御言葉のかわりに自分の感情や状況を
優先して進んでいってしまう事は無いか。
よく吟味してみよう。


2005年08月24日(水)

「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます」(エペソ6:16)

内なる古い人に悩まされる。思い煩い、不信仰、高慢、
妬み、憎しみ・・思いが心に湧き上がる。思いにほんろ
うされるな。思いをコントロールする必要がある。
すべての思いを受け入れるな。拒否すべき。サタンか
らの火矢がある。自分ではない外部からの思いだ。自
分の脳裏のスクリーンに映像が映し出されるように来る。
間違うな。サタンが吹き込んだ思いだ。自分が思ってい
るのではない!突然昔の傷がよみがえり、突如昔を思い
出し怒りが湧き上がる。自分の思いには、まるで無か
ったのだから、他者から吹き込まれたものだ。信仰生
活、サタンの火矢を見分け拒絶する事が重大事だ。
でなければ常に混乱に陥る。思考パタンによく目を留
めよ。いつも全く同じその思考プロセス、心が暗くなり
落ち込んで行くなら、背後に働くサタンだ。思いの中に、
常に御言葉、祈り、讃美を置くことで守られる。
・・・・・・・・・・・・・・・・
頭でわかっていても、思いに来るサタンの罠に陥っている。
サタンの最大攻撃は「自分を隠す」事と「失望」させる事。
まずサタンに気づかない事が罠だ。落ち込んで行く思考
プロセスが、いつも同じである事に気づかせられる。
「すべての事を感謝」して行く時、このサタンを砕く。

 


2005年08月23日(火)

「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました」(Tテモテ1:19)

船は突然海路を離れる事は無い。潮流により少
しづつ進路がずれている。気づかぬ内に漂って
しまっている。信仰生活の同様だ。
突然離れる事は無い。少しづつ少しづつ基準が
あいまいになり妥協し始める。少しづつなので
大きな罪意識も無い。僅かに漂いつつ離れて行
く。世の快楽で興味が一杯になり、生活からデ
ボーションが失せる。興味が次々とあちこち向
くので重いが世にどっぷり浸かってしまう。
流されていて気づかない。私達の状態はどうだ
ろう。聖霊は気づきを与えられる。
流されている事に気付けることが感謝。祈りと
御言葉から離れてはならない。霊的破船から守
られる。この世の誘惑と肉の欲望は凄まじい。
霊的食欲が減退していたら要注意だ。
---------------------
神様との交わりがなくなっている時、御霊様の
導き、促がしを感じる。そのときの選択が問題
だ。一歩、一歩と離れて行くか、一歩また神様
の御側に近く寄るか。


2005年08月22日(月)

「欺きのはかりは、主に忌みきらわれる。正しいおもりは、主に喜ばれる」(箴言11:1)




「おれおれ詐欺」「振り込め詐欺」を身近に
まで聞くようになった。不誠実がはびこって
いる。クリスチャンなら大きな罪は犯さない
が、日常の些細な事への態度はどうだろう。
悪意はないが、つい面倒で楽な方へ流されて
しまう。これは誘惑だ。損得ではなく、楽か
どうかでもなく、正しい事を行うべきだ。
神の御心は些細な事にも正しく、誠実な対処
をする事だ。そして、時間や労力の少々の犠
牲を払っても正しい事を行う事を喜ばれる。
生活の中で焦点を合わせている事が大切だ。
損得、安楽ではなく、誠実である事に。
焦点を合わせているならそう行動できる。
安楽に流される誘惑は強い。神に焦点合わせ、
御言葉を握って今日も小事に誠実を尽くそう。
----------------------
みこころを選択するよう心がけよう。自分は
犠牲は払いたくないし、出来るだけ楽をしたい。
そういう者だと知っている事が誠実への道。
今週もみこころの中心を歩もう




2005年08月21日(日)

「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる」(箴言17:1)

家庭には、何よりも愛が必要だ。暖かい
愛の雰囲気があるべきだ。子供は家庭
で愛され守られ育まれなければならない。
仕事より子供は大切。人格があるからだ。
仕事は他の誰でも代わりがきく。しかし、
親である事は代わりがきかない。仕事で
大成功しても子供の心が歪むなら、取り
返しがつかない。ありのままで良い。失敗
しても大丈夫、転んでも再び起き上がり歩
めば良い。どん底に行っても大丈夫、そこ
に主がおられ、親の愛は変わらない。こ
れらを肌で学べるのは家庭しかない。いつ
でも受け入れられており、愛されている。
子供が常に安心しておれる巣であり、時が
来たなら、きれいに飛び立って行ける。優
先順位は、神、夫婦、子供、仕事だ。
・・・・・・・・・・・・・・
持ち物で愛や喜びは来ない。何にも代えられない
平安と喜びがあり、主がおられる家庭は何と幸せ。
まず初穂となって救われた一人が、家庭に神の
祝福をもたらすために遣わされている。祝福の器と
して用られる。



2005年08月20日(土)

『あなたがたは、「はい。」は「はい。」、「いいえ。」は「いいえ。」とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです』(マタイ5:37)

実行できない約束はしてはいけない。約束を軽
々しく扱ってはならない。なぜなら、信仰とは約
束の上に立つものであり、神の約束は真実であ
るからだ。その約束を破るなら、神の約束は不
実だという事になる。特に小さな子供には約束
を果たさなければならない。出来ない約束は決
してしない事だ。約束する前によく考えるべきだ。
可能な事は「はい」、不可能な事は「いいえ」、
確かでない事は「確かでないが」であるべきだ。
実行できそうにない事は、約束してはならない。
約束は厳粛だ。神は約束は何があろうと必ず成就
される。約束がいい加減なものなら信じてなど行
けない。それゆえ、私達も心して約束に真実であ
れるように。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分の言葉には責任がある。「はい」は「はい」、
「いいえ」は「いいえ」単純明快だ。そこに偽り
が入る余地がない。御旨には「はい」、御心に反
するなら「いいえ」。「ノー」もはっきり言う事
は大切だ。本音と建て前、ぎまんや妥協から守られる。


2005年08月19日(金)

「また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい」(コロサイ2:6)




感謝の気持ちははっきり表明すべきだ。
恵みを一つ一つ数えて具体的に神に感
謝するのは良い事だ。神は喜ばれる。
感謝する人に感謝すべき事を更に加え
て与えて下さるのだ。感謝を実行する
なら、まず自分の心がどんなにか落ち
込みから守られるかに驚く。夫婦間で
感謝が失せると倦怠となる。家庭の成
功は弱さを受け入れ合うと同時に、互
いを正しく認め、評価し感謝を言い表
す事だ。感謝は喜びと潤いを生み出す。
今、感謝を言い表すべき人がいないか。
御霊が示しておられるなら、機会を捕
らえて感謝を言い表そう。すべての事
を感謝していく時、サタンの足場はな
い。不都合な事、マイナスの事、あえ
て信仰により感謝を献げよう。
みわざを拝する。
--------------
不平不満より、感謝な事を数えてみよう。
サタンより心が守られる。御言葉に触れ
落ち着いた心で周りを見るなら、溢れる
ばかりの恵みに気づくのではないだろう


2005年08月18日(木)

「・・神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」(ローマ12:2)

聖書は一貫して、自分を変えよと言っている。私
を変えて下さいが、正しい態度だ。人を変えようと
して、どんなに不毛の戦いをした事だろう。神で
さえ人を造り変えるのに膨大な時間、深い愛と配
慮を必要とされるのに、口一つでどうしてそんな事
が出来よう。口やかましく言えば言うほど心を閉ざ
させるだけだ。自分が変わりたくないのに、人から
コントロールされるなら反発と拒否反応しか起こらない。
夫が妻を、妻が夫を変えるのを見た事がない。親
が子に対しても同様だ。ただ自分を変える事が出
来るだけだ。あなたが変わる時、夫は、妻は、子供
は、相手は変わる。人が変わるのは、自分が変わ
りたいと思う時だけだ。人を変えようとの思いを捨
て、自分が主により変えられる事に専念せよ。必
ず成長を見、周囲に神を現わす。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
問題が起こると、相手を変え、環境を変えようとする、
肉に来るサタンの誘惑だ。自分が変えられる事、この
一点に焦点が合う時、今まで見えなかったものが見え
て来る。一つ一つがつながり、すべてが必要であった
事が見えて来る。
 


2005年08月17日(水)

「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちに真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです」(ヨハネ8:44)



すべての偽りはサタンから出ている。
サタンから出ているゆえに、すべての偽
りに決して荷担してはならない。それは
サタンの巧妙な罠だ。私達の言葉に決し
て偽りがあってはならない。
よく唇を見張る必要がある。サタンとの
戦いだ。黒ではないが灰色の言葉はない
か。嘘ではないが真実では無い言葉はな
い。それはその場をうまくやり過ごすた
めのごまかしであり偽りだ。関わっては
ならない。主にある者の唇からは真実だ
けが語られるべきだ。もし偽りを語って
しまったならすぐ悔い改めるべきだ。
そのままにしておくなら、サタンに足場
を与え、そこから攻撃を招く。サタンか
ら来ているゆえ偽りを拒絶せよ。
御霊が偽りの言葉を静止される時、従う
なら守られる。
-------------------------
なぜ「イエス」は「イエス」、「ノー」は
「ノー」と言えないのだろう。真理の大切さ
、偽りの源を明確にしていないから、灰色の
中途半端な思いをサタンに吹き込まれてしまう。


2005年08月16日(火)

『私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました』(詩篇32:5)



ダビデはバテシバと姦淫の罪を犯し、その発覚
を恐れてバテシバの夫ウリヤをも殺害、罪は罪
を呼び二重の罪を犯した。その罪を隠していた
間は、一日中うめいて骨々は疲れ果てていた。
神の御手が重くのしかかり、骨髄はひでりで乾
ききったと。煩悶と苦しみの様が出てくる。
ダビデは罪に苦しんだ。苦しみに耐え切れずと
うとう神の御前に罪を告白し悔い改めた。その
時、そむきの罪は赦され、罪はおおわれた。
主を三度まで呪いをかけてまで否んだペテロ。
自分のしてしまった事を後悔し、男泣きに泣い
た。神はどのような失敗をも赦し回復させて下
さる。哀れみは尽きない。罪には刈り取りがあ
る。結果は刈り取るが赦されるのは何と幸い。
-------------------
罪を犯しても神様とのまっすぐな関係が壊れる
ことがないのは、罪を告白するからだ。
罪を隠して心痛んでいるより主に信頼して告白
しよう。恵みが取り囲むと約束してくださって
いる。


2005年08月15日(月)

「どんな貪欲にも注意してよく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです」(ルカ12:15)



物を収集した経験があるだろうか。子供の頃は
切手やカード類、大人になるとCDやビデオ、
本や衣類、人によって様々だ。ある主婦は飾り
人形が好きで家に可愛い素敵な人形が溢れてい
た。しかし輸入物にも目が移り、段々高価なも
のが欲しくなり際限なくなって来た。ある日祈
りの中で神が「それは貪欲です」と指摘された。
欲望は際限がない。神に任された金銭をこのよ
うに使うのは御心ではない。貪欲の誘惑に襲わ
れていた事に気づき、心を断ち切る事が出来た。
これはある中やギャンブルにはまるのと同じだ。
「今持っているもので満足せよ」「満ち足りる
心を伴う敬虔」あなたにも貪欲の誘惑が来てい
ないか。誘惑に立ち向かい神に喜ばれる選択を
しよう。
---------------------------
天に携えて行けない物に心を奪われるな・・・
何かの本で読んだ。大切な時間を削って働いた
報酬を無駄なものに使っているなら、時間も、
労も、お金も無駄にしている。おまけにストレ
スまでついて来る。貪欲のための奴隷とならな
いよう、守られるますように。



2005年08月14日(日)

「わたしは心優しく、へりくだっているから・・わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば安らぎがきます」(マタイ11:29)


ある人が家に一人でいた時、余りに美しい夕
陽に驚いた。その頃、難しい仕事と実家へ日
参しては実母の介護に疲れ果てていた。
余りの見事さに神を思った。途端、自分が神
からいかに離れているかに気づいた。日々心
身消耗しきって目の前の事しかなく、神無し
の生活をしていた。「わたしのもとに帰りな
さい。その重荷をわたしに背負わせてくれな
いか、愛しているよ」との語りかけにを感じ
た。心身疲れきっていて涙が溢れ出た。
神から離れていた事を悔い改めて、助けを求
めた。すると、心がすっきりして平安がやっ
て来た。主が負って下さっているくびきを主
と共に負う事を申し上げ心新たにされた。
一人で負わないですぐに主の元へ行け。主と
共に負うくびきは軽くて平安。
------------
イエス様のくびきを負い、共に生きていただ
く道はストレスやつぶやきから開放された平
安の道だ。心がざわついて、いらいらトゲト
ゲする時、少し立ち止まって考えてみよう。
くびきを自分で負っていないか。


2005年08月12日(金)

「いのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです」(マタイ16:25)



ある男性、時間ぎりぎりに飛び起き、洗面し、カバン
を持ちバス停に全速力で走り、飛び乗った。
ハアハアと思い切り息を切らせ「このバスはどこ行き
なんだ?」これは現代の人々の姿だ。忙しいだけの毎日、
全速力で走りながら、一体どこへ向かっているのかわか
らない。私達は信仰者としてどうだろう。
的外れの方向に向かっていないか。神を後回しにし、
自己中心に自分の欲望を優先させ、目の前の美味しい草
をあさっていないか。迷子になってしまう。神との交わ
りから離れて自分の力で歩んでいるか。心から平安が消
えているか。注意信号だ。今すぐ方向変換し、優先順位
を正そう。神に立ち返り、神との交わりを第一にしよう。
心に喜びが戻る。
-----------------------
少しの時間でも御言葉にふれるひと時をもとう。やる事
は次から次に襲ってくるから、神様との交わりを死守し
なければすぐに道に迷ってしまう弱い者だということ、
忘れずにいよう。


2005年08月11日(木)

「・・不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」(コロサイ3:13)



職場に横柄な態度の上司がいた。機嫌が悪い
と、仕事に口を挟み、様々な難くせをつけて
くる。どうでも良い事にまで文句をつける。
ある日、集中砲火を浴びて、もう耐え切れず、
帰宅して主に叫び祈った。「主よ。どうして
ですか!」と、怒りを次々とぶちまけた。
心の叫びをすべてぶちまけると段々落ち着き
心静まって来た。この事で神は何を教えたい
のか、静かに今度は神の御声に耳を傾け始め
た。肉は仕返しし攻撃したいが、キリストの
血潮のゆえに罪赦された自分は、赦しを選択
できる新しい性質が与えられている事に思い
が至った。神に喜ばれる選択をしたいと思っ
た時、心に霊の喜びと平安が訪れた。
赦すことは選択だ。
-----------------------
主は「赦しなさい」と言われるだけでなく、
赦す力も与えてくださる。そのためにはまず、
意志で赦しを選択することだ。怒りの感情に
とらわれることから守られる。


2005年08月10日(水)

「この世と調子を合わせてははいけません。いや、むしろ神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知る・・」(ローマ12:2)

こんな笑い話がある。商店街で肉屋と魚屋が
向かいあっていた。肉屋の時計が調子悪く、
魚屋に正確な時間を聞いた。すると「うちの時
計は毎日あんたの時計に合わせてる」との答
えが返って来た。折紙工作で型紙に合わさずに、
切り取った折紙に合わせ、次々と切って行くと
微妙に大きさが違って来る。信仰も同様だ。主
と御言葉に私達の価値観、思い、行動を合わ
せなければ、いつのまにか微妙にこの世界の
価値観に染まり影響を受けてしまう。主イエスか
ら目を離してはならない。すぐに物差しが狂って
くる。少しづつ御言葉から離れて行き、肉の思い
判断へと傾いて行く。流されている時は、その事
にすら気づかない。今、あなたの尺度は御言葉
だろうか。
・・・・・・・・・・・・・・
何に基づいて行動しているだろう。御言葉と御霊
の導きか、それとも肉の思い、判断か。培われた
古い価値観は根深い。主から目を離すと、知らず知
らず世の価値観で動いている。主との交わり通して、
日々修正される。


2005年08月09日(火)

「神の恵みによって、私は今の私になりました・・私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました・・私ではなく、神の恵みです」(Tコリント15:10)


自分の弱さを受け入れ、又、自分の出来る事も卑下
する事なく受け取れる人は多くの事を成し遂げる事
が出来る。パウロがその模範だ。主の教会を迫害し
た者であるとの苦い過去を認め、罪人のかしらだと
へりくだっている。しかし、自分はだめな者と言う
のではなく、使徒である事がはっきり言えた。又、
他の使徒達よりも多く働いたと言えた。そして、
これらすべては神によるのであり、神の恵みである
と、神に栄光を帰した。自分の弱さをあるがままに
認める時、弱さの内に完全に働く神の力がどのよう
なものであるかを知る事が出来る。弱さの内に完全
に働く神が臨在をもっておおって下さるのだ。
自分に正直であれば、自分を受け入れる事ができ、
自由にされる。
-------------------
何もしないでおいて自分は無能だと言うのは、謙遜
ではない。できるか、できないかは「従いたい」と
はっきり神様の前に自分を差し出すか、そうでない
かだ。


2005年08月08日(月)

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46:10)



豊かな賜物を与えられている有能な婦人がいた。
彼女のモットーが前進、向上であった。が、働
き過ぎで倒れてしまった。病床生活を余儀なく
され、ひどく失望落胆した。そんなとき、大き
なイベントがあり、その働きに加われない事に
苛立ち神に反抗している自分に気づいた。働き
を一切止められた時、自分の心が見えてきた。
働く事、行動する事が喜びで力で、生きがいで
ある事、とどめられている事が耐えられない苦
痛である事にも気づいた。神ではなく、仕事が
偶像になっている事を教えられた。神からスト
ップがかからなければ決して気づけなかった。
特に神のための働きを神より大切にし、優先し
ている事は気づきにくい。神は止めて、教えら
れる。
-------------------------------------
私達はすぐに道をはずれて突っ走ってしまう。
わたしこそ神であることを知れ・・・何度も
神様からそう言われ正しい道へと引き戻され
る。何たる幸い。


2005年08月07日(日)

「すべての事について、感謝しなさい」(Tテサロニケ5:18)

皆、経験するところだ。サタンが四六時中、
不満や愚痴、不安、思い煩いを見せて来る。
心に声が聞こえる。それに聞いて乗って行
くと、神が飛んでしまい感謝が消える。逆に
神に感謝して行くと、神の愛やご配慮、みわ
ざがどんどん見えて、こんなにあったと驚く
ほどの感謝が出て来る。そして不満と不安が
消える。不満と不安に乗ると感謝が消え、感
謝を見て行くと不満と不安が消える。この二
つが一日の間に交錯する。私達がどちらの声
に同意し、選択するかによって結実を見る。
サタンに乗ると周囲にも害毒を流し、御霊
に聞くと周囲に潤い喜び、安らぎをもたらす。
何も見えない中で神に感謝して行く時、それ
は信仰だ。目で見た事は誰でも感謝できる。不
都合な事態の中で、見えない中で感謝して行
く時、その信仰は神に喜ばれ、サタンの闇の
わざを砕く。そして、神の真実を知る事になる。
・・・・・・・・・・・・・・・
最初は見える事から一つ一つ感謝を始める
事が出来る。これは日々の練習だ。ピアノも
車も練習して少しづつ上達して行くように、感
謝も練習だ。やがてどんな中でも感謝を選択
できるようになって行く。




2005年08月06日(土)

「彼は主と話したので、自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった」(出エジプト34:29)

ある人が対人関係でもめて心乱れ、悶々と
眠れないまま夜が明けた。日の出を見た時
自然の見事さに神を感じた。周囲に腹が立ち、
なぜ皆、自分勝手なのかと怒っていたが、その
時、神の御声が聞こえた。「自己中心なのは、
あなたではないか」心が素直にされ、冷静に
受け止める事が出来た。主の栄光を反射して
行くべきなのに、自分の思いを通し、自分の強
情と頑なさを反射していたのだ。それで、分裂
させてしまっていた。自分が反射するものが、
わがままで、自己中心であるなら、人々を主か
ら遠ざけてしまう。自分が主に似るように変え
られて行く時、主を反射させる。主と交わる事
によって変えられる。日々変えられて行く。主
との交わりが根本だ。私達が日々反射させてい
るものは何だろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・
愚痴や不満、不機嫌を反射させるなら、人々
を主から遠ざけてしまう。愛、喜び、平安を反
射させるなら人々を近づける。誰も持っていな
いから、喉から手が出るほど欲しい。まず主に
自分自身を受け止めて頂こう。そこから喜び
が来る。



2005年08月05日(金)

「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩篇37:5)


ある男性は仕事が多忙になり教会へ行
けなくなった。教会へは時間があれば
行くものであり、毎週行く人は特別に
熱心なのだと思っていた。そんなある
時、信仰生活とは意志で選び取って行
くものだと教えられた。アップダウン
のある感情に従って行くなら信仰生活
は成り立たないと。牧師はいつもいつ
も喜びに満ち満ちているわけでは無い
と。しかし、神の喜ばれるみこころを
選び取って行く時、感情はついて来る。
感情を先にするなら振り回されてしま
う。感情は制御できないが、意志は制
御できるよう神に造られている。
それゆえ秘訣は意志を向け、意志で従
う事だ。そうするなら感情も味わえる。
みこころを選び取って、意志を向けて
従おう。
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感情を制御せず、感情偏重で生きるな
ら、いつまでたっても神様を知ること
はない。祈り心で意志を向ける時、感
情は静まり神様のみわざを見る。




2005年08月04日(木)

「私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました」(ピリピ4:11)

よく子供がオモチャ店へ行くと、次々と目移り
して、一つを手に取ると横の物に目が移り、あ
れもこれも欲しい。この光景は信仰生活に似て
いる。神が与えて下さっているものに満足出来
ない。いつも別のものが欲しいのだ。それで平
安が無い。今の状況、環境を神からのものと、
受け取る事が大切だ。そこに平安が来る。「満
ち足りる心を伴う敬虔」が大切と言ったパウロ
は「どんな境遇でも満ち足りる事を学んだ」。
自分に与えられているものに目を留め、感謝し
て「満足」する事は力だ。他と比較して「無い、無
い」でなく、自分に与えられているものに感謝する
なら、妬みは出て来ない。満足は、自分の思いで
なく、神をみこころに従う事から生まれる。自分の
幸せをどんなに求めても満たしはない。神の国と
神の義を求めて行く時に初めて幸福と満足が
ある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
満ち足りる事も学んで行くことだ。いつもすべて
の事について感謝する事、生活の中で神を第一
にして行く事、状況でなく自分でなく神に焦点を当
てて行く事、これらにより満足が来る。これは日々
の訓練で、繰り返しの練習だ。



2005年08月03日(水)

『すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい」』(マタイ14:18)

ストラディバリウスは有名だ。最高のバイオリンだ。一
つ一つの部品が丁寧に人により彫られ作られている。
しかし、どんなに素晴らしくても、あくまでも物だ。奏者
あって初めて、このバイオリンは生きる。バイオリンだ
けあってもどうにもならない。才能ある奏者に奏でられ
る時、会場の人々を素晴らしく感動させ、その神髄を
発揮する。バイオリンと奏者が一つになった時、息を
飲む音色が生み出され、演奏は輝く。私達も同様だ。
私達の造り主の手に自らを置くなら、自分が最高に自
分らしく開花し、素晴らしい音色を鳴り響かせる。自分
だけではただのバイオリン、名手の手に握られる事が
秘訣だ。神に自らを明け渡す事が、最高に自分が自
分らしく生かされる道。真価が発揮できないままのバ
イオリンか、それとも自らを明け渡し、名手の手に握
っていただくか、私達の選択だ。一生一度の信仰の人生、
よく考えてみよう。
・・・・・・・・・・・・
名手の手に握られる事が重要だ。主は献げられたパン
と魚を取り、祝福し、大勢の人々を満腹させられる。自
分の喜びだけでなく、一つの人生が周囲の大きな祝福
とされるとは、何と感謝な嬉しい事だろう。


2005年08月02日(火)

「あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である」(詩篇62:8)



サウル王は人々が「サウルは千を打ち、ダビデ
は万を打った」と言った時、彼に無いのは王位
だけだと怒りと嫉妬に狂った。槍を投げつけ、
ダビデを殺そうとした。王につけ狙われるダビ
デの恐怖、死への恐れ、不安、思い煩いはどん
なに切羽詰った瀬戸際であっただろう。
しかし、そんな中でダビデは神からの平安を得
て安らいでいる事を証ししている。ダビデはど
うしてそう出来たのか。心の嘆き、叫び、不安、
怒り、思い煩い、恐れのすべてを神に注ぎだし
たのだ。感情をも造られたお方だ。それゆえあ
なたの感情を受け止めて下さる。問題は依然と
してあったとしても神に心を注ぎだすなら、心
が変えられる。主から来る平安で満たして下さ
る。心を注ぎ出せ。
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問題は依然としてある。その中で喜んでおれる
から感謝だ。その時、その時、山場にあって神
様に叫び、答えをいただく。神様を近く感じる




2005年08月01日(月)

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」(Tコリント5:17)


この世界の考え方は人間は本質的に善で、
それゆえ劣悪な環境を改善したり、自分
を改良し、悪い所を除去してやれば、本
来の善の性質が伸びて来るというものだ。
しかし、神は人の心は陰険でそれは直ら
ない、すべての人は罪を犯したと言われ
る。ちょっと手を加えれば良くなるとい
うものではなく私達はとことん悪い。
徹底的に罪人である事、神に敵対し、反
攻している者である事を知る必要がある。
十字架のみわざに頼るほか救われる道は
無い。しかし、神はそのような者を愛し
て下さるとは何という驚くべき事だろう。
私達が愛するに値するから愛されたので
は断じてない。何の功績も無い者を一方
的に愛された。今生かされているのは神
の愛ゆえだ。
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年齢に関係なく主にあるなら、どんどん
成長し変化し続けられるとは何という幸
いだろう。神様が内側から変えて行って
くださるのだ。今週も主に委ねて歩もう