2005年12月31日(土)

「ヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへ逃れようとし、立った。」(ヨナ1:3) 

ヨナはニネベに行きたくなかった。
神の命令に従ってニネベに行か
ず、反対方向の船に乗った。御旨
に従いたくなかったのだ。私達も
時に経験する。ある人は宣教師に
なるよう導かれていると感じていた
が、高給と自分のしたい仕事に心奪
われ世の仕事に就いた。結婚し神か
ら離れた。しかし、子供の事故で悔
い改め神に立ち返った。海外へはも
う不可能で、宣教師を送り出す宣教
団体で働く恵みを得た。御旨に躊躇
している時、丁度そこに「高給と好
きな事」という船があった。そちら
に乗り、御旨からそれ、時を無駄に
してしまった。人生の大きな進路だ
けでなく、日々の小さな事柄の中にも、
御旨から逃れようと、反対方向の船
に乗る誘惑が多々ある。それは丁度
反対向きの船を、サタンが用意して
いるのだ。誘惑に乗らず、神を選択
し従おう。選択は一瞬だが、結果は
測り知れず大きく違って来る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
みこころを目の前にする時、しばしば時
ピッタリに魅惑的な反対行きの船が備え
られている。サタンの誘惑だ。道をそれ
てしまう。神を見つめみこころに歩もう。
それが大きな祝福の道。


2005年12月30日(金)

「だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:32)




人は皆ミスするものだ。どんなに注意
していても、人間である限りミスをす
る。大切な事は、その失敗から「学ぶ」
事だ。学べば良いのだ。幸せな結婚生
活が、努力なしに築けるなど不可能だ。
又、友人関係もそうだ。譲り合い、思
いやり合い、自分を捨て、相互の願い
に応え、日々学び、日々築き上げて行
くべきだ。ペテロは大失敗をした。
自分だけは大丈夫、命をかけてもとい
う決心が、試練の前にもろくも崩れ去
った。主を裏切ったのだ。
しかし、これが終わりではなかった。
見事に回復され、後に主の証人とされ、
殉教した。私達も皆、信仰が試される。
時に失敗する。しかし、失敗で落胆す
るな。絶望する必要はない。
そこから学ぼう。主がペテロにしたと
同様に、あなたを再び建て直し、人々
を力づけるために、豊かに用いられる
のだ。恵みは十分。失敗を通して、
自分の力や判断で歩まず、主に拠り頼
む者と変えられる。
------------------
失敗や挫折は誰にでもある。あとの処
し方が問題だ。委ねきれずに失敗した
ならペテロのように自分に非力を認め
よう。主に拠り頼む事をまた学べたこ
とが感謝。


2005年12月29日(木)

「 神が私を殺しても、私は神を待ち望もう」(ヨブ13:15)


神は、私達に、より神に近くなるようにと、
暴風雨にさらされるのを、あえて許される
事がある。平安に穏やかな日々を過ごして
いたのに、ふと気づくと、別段理由は無い
のに、突然、困難の中にいる事がある。
経験するだろう。何がどうなったのか、不
安、恐れに襲われる。こんなに苦しいのに、
神はわかっておられるのかと思う。
しかし、特別な目的があるのだ。神はヨブ
の信仰を認めておられたので、サタンのヨ
ブを試すという申し出を許可された。
ヨブを信頼しておられたからだ。ヨブは、
見返りがあるから、神に仕えているだけと
いうサタンの主張を、砕いてしまった。
神はあなたも、忠実な者だと認めて、サタ
ンの試みを許されたかも知れない。
神はあなたを信頼し、じっと見守っておら
れる。親が、子供の手を引いていて、子供
が石で転びかけると、ぐっと手に力を入れ
て強く握り、倒れないよう支え守る。試練
の時は主の特別な愛と支え守りが、あなた
の上にある。
----------------
信仰がなければはただ辛く、失望の中の試練
だが、神様に望みをおいて生きているなら、
必ず御心の時に助けが来ることを見つめて
行ける。試練の送り手は神様だ。


2005年12月28日(水)

「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」(ガラテヤ6:7)

種蒔きをした事があるだろうか。種を
蒔くと実がなる。良い実にしろ、悪い実
にしろ、必ず結実する。これは原則だか
ら、決して変わる事がない。ある息子
は車を猛スピードで無茶に乗り回して
いた。ある時、スリップして大けがをした。
母親は「なぜ神様はこんな事を許され
るのか」と泣き叫んだ。しかし、神を
責める事など出来ない。そんな運転
で事故が起きて当然だ。私達がクリス
チャンだと言う理由で、蒔いた物を刈り
取るという法則を、神が免除される事は
ない。肉に蒔いても、御霊に蒔いても、
私達は必ず蒔いたものを、正確に刈り
取る。ごく些細な事で、日々経験する。
相手にムッとして、一言言い返したい時、
又、イライラを当り散らしたい時、自我で
肉の言葉を発せば、即、自分に平安が
失せ、その場を嫌な空気にし害して行く。
自制すれば、言わなくて良かったと必ず
感謝できる。御霊のために蒔こう。又、
肉に蒔いた時は、きちんと刈り取って行
く事が御心であり、そこに一番の祝福
がある。
・・・・・・・・・・・・
肉に蒔けば、必ず苦しい刈り取りがある。
苦しみながら学ばせて下さる。御霊に蒔く
なら喜びを刈り取る。今日も一日、神に
焦点を当て続け、目の前の一つ一つの事に、
自我でなく、神を意識し神の喜ばれる選択
をしよう。


2005年12月27日(火)

「主よ。お話しください。しもべは聞いております」(Tサムエル3:9)


あるクリスチャンホームで育った
子供が、いつしか礼拝出席が義務
となり、止めてしまった。
その状態が続いた時に、心にとが
めが来た。なぜなら、小さい時か
ら神を礼拝するように教えられて
いたから。やがて、惨めな気持ち
になって来たが、それでも礼拝に
行かなかった。どんどん苦しくな
り、ある日曜の朝「今日、行きな
さい」との聖霊の強い促しを感じ
た。その御声に従い、その日、神
に言われた通りに礼拝に行ったの
だ。その日以来、一度も休んだ事
がない。聖霊は力強く臨まれる。
神の御声を聞いた時に、心を頑な
にしない事だ。御声を聞いて、従
うなら聖霊の力によって変えられ
る。自分から、自分の思いで何か
するのではない。ただ、御声に聞
き従うこと。その時、導かれて行
く。これが成長の秘訣だ。
どんな頑なな心にも御声をかけて
下さる。「きょう、もし御声を聞
くならば・・心をかたくなにしては
ならない」
-------------------
誰に教えられるわけでもなく、内
側から聞こえてくる声に従った経
験がクリスチャンならあるはずだ。
内側から変えられて行く。御声に
耳をすまそう。


2005年12月26日(月)

「人の益を計り、良い行ないに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように」(Tテモテ6:18)


私達はこの世では管理者だ。所有
でなく管理だ。どう違うのか。所
有なら自分の物であり好き勝手に
使えばよい。
どう使おうが誰に文句も云われな
い。だが、管理は違う。所有では
ないから、所有者への報告義務が
ある。預かっているだけだ。富、
時間、持ち物、賜物等、かの日に
神が任せられたものを、どう使っ
たかの報告を求められる。
神に喜ばれるように使うべきだ。
神はある人にお金の管理を任せら
れない。神はそのお金を困ってい
る人に回したいのに、自分のため
に取り込むからだ。神はあなたに
任せた富をどう使うかを試してお
られる。予定外の収入が入った時
はどうか。喜び勇んで思いを巡ら
すか。神に、どう使いましょうか
と、祈って聞けるなら合格だ。
みこころにそって使うなら、更に、
多くの富を任せて下さる。賢く管
理できるように。
---------------------
管理どころか所有もままならない
のに・・と、足りない足りないと
言いながら暮らしている。
もう一度神様から与えられている
恵みを確認して、感謝するところ
からやり直してみよう。


2005年12月25日(日)

「羊飼いたちは・・全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(ルカ2:20)

クリスマスは礼拝する時だ。礼拝とは
自分の貧しさを心底知り、主を心にお
迎えし、お仕えする事だ。王の王なる
お方が、私のために貧しくなられ、十
字架に釘づけられ、贖いを成し遂げて
下さった。「ご自分を無にして・・十
字架の死にまで従われた」そのどん底
までへりくだられた主イエスを、自分
の主として迎え、仕えることが礼拝だ。
主を、心の王としてお迎えしないなら、
私達は自分を王とする。自分が神となり、
自分の思い、力、知恵で、神無しで歩む。
悪魔に欺かれ、自らを欺く結果、自分が
正しいとしか見えない。どんなに謙遜を
装い、物腰を低くしても、正しいのは自
分であり、間違いはすべて人のせいにす
る。そのプライドゆえに間違いを決して
認めない。罪の腐敗しきった恐ろしさだ。
神の前に自らの罪を認めよう。それが
プライドを捨ててへりくだる事だ。罪赦
された安堵と喜び、神の愛に包まれ、
この世界で神を礼拝して生きて行けると
は何という恵み!
・・・・・・・・・・・・・・・・ 
メリークリスマス!どんなに誇り高ぶり心貧しく
ない者であるかを知らされ続け、尚もそれをおおう
主のご愛と尽きないあわれみに包まれている事、神
の暖かい愛で愛されている事を感謝します。お一人お
一人に今日豊かな祝福がありますように!


2005年12月24日(土)

「マリヤは言った。『ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。』」ルカ1:38

御使いがマリアに現れて、みごもって男児
を産む事を告げた。しかし、現実にはマリ
ヤはヨセフと婚約中だった。それが妊娠し
たとなると重大事態になる。当時、それは
石打ちの刑、殺されるかも知れないし、ヨ
セフをひどく傷つける事にもなる。自らの
幸せの崩壊だ。測り知れない困難があった。
しかし、世間体や中傷を恐れて、神を拒む
事をしなかった。すべての困難を身に引き
受け、救い主が人となり生まれるという、
神の遠大な計画に自らを献げ参加した。大
変な決心だった。マリヤから願った事では
ないし、自ら名乗り出て志願した事でもな
い。一方的に神から出た事だ。戸惑いと不
安もあり試練でもあったろう。しかし、神
の意志に自分を従わせた。自分を全く明け
渡した。私達も自分の望んだ事でも、願っ
た事でも無い事態に引き入れられる事があ
る。しかし、“わが霊は、わが救い主なる
神を喜びたたえます”とその事態は必ずや
大いなる讃美と喜びとされる。
・・・・・・・・・・・・・・・
マリヤは何もかもを、事の全容をわかっていた
わけではないし、状況を見ると恐れに襲われた
だろう。しかし、神を信じ自らの生涯も身も心
も神に献げた。神に従う事を選び取った。今、
岐路にあれば神に従おう。大きな祝福の道。


2005年12月23日(金)

「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです」(マタイ26:41)



   
信仰者は天国へ行くまで一生、どんな成
長した人々でも、誘惑を受け続ける。
サタンは空腹のライオンのごとく、食い
尽くそうと獲物を狙っている。あなたの
弱い所が要注意だ。サタンは熟知してい
る。誘惑にならない所には来ない。
自分の弱さをよく知り見張っているなら、
足もとをすくわれる事はない。人一倍高
いプライド、強い嫉妬心貪欲、短気、思
い煩い、体面を気にする虚栄心・・あなた
の弱点がサタンの標的だ。サタンは誘惑
を仕掛けて来る。それは必ずあなたの心
に心地良い。肉欲に合致する。欲望に合
っているので、誘惑だと気づけない。
酒やギャンブルなら簡単だ。
しかし、仕事や趣味、愛する人、それら
は容易に偶像になるが、一見罪でないだ
けに全く気づかない。誘惑は必ず甘い。
心が魅了されるものに気をつけよ。
しっかり心を見張っているなら、誘惑は
必ず来るが、それに陥る事はない。
気づかせられる。
------------------------
自分の弱いところをしっかり把握してお
かなければ、いつも完敗だ。疲れた時、
浮かれている時、いらっとくる時・・我
を忘れさせられる。目覚めておれますよ
うに。


2005年12月22日(木)

「私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで財を費やし、また自分自身をさえ使い尽くしましょう」Uコリント12:15


ある海外宣教師が懸命に働いた。始めは
期待と喜びで一杯だった。数年間、よく
燃えていたが、目に見える成果が無いと、
段々落ち込んだ。思い通りでない状況に
焦り、不安になり思い煩った。
様々な方法を模索するが、尚も結果が無
い。どんどん落ち込み、燃え尽き症候群
に陥った。そのどん底で、責めず、さば
かず、慈しんでいて下さる主に新たに出
会った。その時、自分の姿が見えた。
神のためのつもりが、そうではなく、自
分の満足のためであったと。自分の充足
感に突き動かされて、自分の力で動き回
っていた。再び建て直され、今度は、外
側は今までと同じだが、内側が変えられ
た。神に拠り頼み、神の力により労して
行った。結果に左右される事が無くなっ
た。神と共に働いているからだ。
どんな時にも平安を味わいつつ。
-----------------------------
同じ奉仕、同じ働きに見えても、源が自
力ならいつも苦しい。弱く力ない自分を
認めきった時はじめて、神様を真に知れ、
それがうれしくてしかたない。そこで神
様が働いて下さる。


2005年12月21日(水)

「お弟子たちとペテロに『イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおりそこでお会いできます』」(マルコ16:7)

失敗した事があるだろうか。ペテロは
主を裏切るという、取り返しのつかない
失敗をした。彼なりに主の事は大好き
だった。男泣きに泣いたのだから。主
が捕らえられた時、保身に陥り、主を
裏切ってしまった。ペテロが失敗した
のは、自分の弱さを知らなかったため
だ。主はすべてをご存じで、将来の教
会の指導者とすべく、見据えておられ、
この弱さを取り扱われた。この所をも
通されたのだ。自信満々のペテロは
砕かれた。へりくだらされ、ふさわしい
者へと主は建て直された。自分の弱さ
を認める事は難しい。直視したくない
し認めたく無い。だが、自らの弱さを
認めないなら、やがて大きな失敗を
引き起こす。認めるなら、光の中に出
され、常に祈っている事が出来る。見
えているものは問題ない。弱さの中に
こそ主の力が現される。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分を知らない者だ。自分の本当の姿
を知らない。弱さも知らない。試練がそれ
らを明るみに出してくれる。へりくだらされる
事が感謝。主のあわれみは尽きる事がなく、
それらはすでにご存じの上で愛して下さって
いる。



2005年12月20日(火)

「わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に乗せて行くように」 (申命32:11)


親鷲がひなに飛ぶ事を教える時、
ひなをわざと巣から落とす。
ひなは、真っ逆さまに落下する。
地に激突する寸前に、親鷲はひな
の下に入り、自分の羽に乗せる。
これを繰り返す内に、ひなは飛
び方を学習し身につける。
そして、ひなは今度は自力で飛
ぶようになる。信仰生活で私達
も同様だ。安全な心地良い巣か
ら神が引き出される。巣を壊さ
れる。私たちは心地良い所にい
たいが、そこに安住しているな
ら、全く成長が無いからだ。
巣が壊される時、やむを得ず飛
び立つ。仕方なく、飛び立たざ
るを得ないからだ。あなたも今、
そのような状況か。全く先が見
えないので、不安だろうが、
「永遠の腕が下に」神があなた
を支えられる。目の前の事態に
信仰もって前進せよ。飛ぶ事が
出来る!行く先に、思いを越え
た祝福がすでに備えられている。
そして自分に飛ぶ力が与えられ
ていた事を知る。自己満足の巣
から、新しい信仰の領域に飛び
立たせようとしておられる。
飛び立とう。
---------------------
神さまの無限の守りの中で、日
々チャレンジして行けるとは、
なんという幸いか。信頼し、力
を受けて更に成長していこう。


2005年12月19日(月)

「ほむべきかな。主、まことに主は私の願いの声を聞かれた。主は私の力、私の盾、私の心は主に拠り頼み私は助けられた」(詩篇28:6)





私達は何度も窮地を助けられた経験
がある。一人で子供を育てている婦
人がギリギリの生活で、全く余裕が
なかった。車が故障し数十万の必要。
貯えは底をついていた。生活のため
、足がどうしても必要。泣いて祈り
続けた。すると、何と欠陥車である
事が判明。メーカーで全額無料で修
復してもらえた。別の女性、試練続
きの中、経済的にも困窮。お米が底
をついた。苦しいギリギリの鬱積を
主にぶつけて、お米が与えられる主
に祈った。するとすぐに丁度海外転
勤の荷造りをしていた友人が、余っ
たお米を使ってくれる?と沢山のお
米を持って来た。驚いて主を恐れ感
謝した。窮地は神の機会だ。神を呼
ぼう。助けが来る。
-----------------
窮地で主に呼ばわった時、助けがな
かった事がない。まず心が落ちつき、
状況にのみ込まれない。この状況を
知って下さっている事を覚えるだけ
で安心できる。


2005年12月18日(日)

「正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは実を結ばない者にならないためです」(テトス3:14)

毎日は地道な生活だ。同じ事を
繰り返す。サラリーマンは、毎日
同じ電車に乗り、同じ同僚と仕事
をし、生計を立てる。学生は毎日、
学校へ行き、同じ級友と勉強を
する。主婦は掃除洗濯、3度の
食事作り・・それらは繰り返しで
あり、単調であり刺激的な事は
何も無い。しかし、パウロは、日
々の地道な歩みが、いかに霊的
生活に重要かを示した。落ち着い
た、地に足を着けた生活が豊か
な実を結んで行くのだと。平凡な
毎日に飽き飽きしているか。自分
の仕事に身を入れ、自分の手で
働くことは、外部への良い証しだ。
平凡な日々を誠実に生きる事に
より、豊かな実を結ぶ者にされる。
神は信仰を持って、地道に生き
る事を望んでおられる。
・・・・・・・・・・・・
毎日の同じ事の繰り返しを、誠実に
地道に行って行くことで、豊かな実を
結ぶ。日々の仕事に身を入れ、真面
目に働く事で良い証しとなる。何と感
謝な事だろう。


2005年12月17日(土)

「このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます」(Tコリント4:2)

農村伝道に従事した伝道者、伝道して
も伝道しても、人々が全く関心を示さず、
ぬかに釘のように感じ、失望落胆の誘
惑に襲われた。サタンの大きな攻撃の
一つは「失望」を送ることだ。心に失望
を植え付ける事が出来れば大成功だ。
気力が失せ、希望を失い、期待が萎え
るなら、やがて放っておいても働きを止
めてしまうだろう。しかし、彼は神の御心
をしっかりと捕らえていた。自分への神
の御心は成功ではなく、神に忠実であり
続ける事だ。神は、かの日にその事を
見て、大きな賞賛を下さるのだ。あなた
は職場で、家庭で、今、失望落胆してい
るか。与えられた場で忠実であり続け
よう。神は成功失敗は言われない。神に
対して、委ねられた働きに対して、忠実
であったかどうかだけ問われる。華々し
くなくてよい、遣わされた場で地道に「忠
実」であり続けよう。かの日に、大きな
賞賛を受け取る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
神は成功失敗は問われない。かの日
に問われるのは「忠実」だ。今、遣わ
された場で失望があるなら、神のお心
である「忠実」に目を留めて、日々の
わざを続けよう。主と顔と顔を合わせ
た時に大きな称賛を受けるのだから。


2005年12月16日(金)

「世をも、世にあるものをも愛してはなりません」(Tヨハネ2:15)

ストレートな罪はわかる。あえてし
ようとは思わない。しかし「世を愛
する」という悪魔からの巧妙な誘惑
が来る。サタンの支配下にあるこの
世の「価値観」に気をつけるべきだ。
エバに来た誘惑は、神を捨て自分を
神として、思い通りに生きよという
事だ。クリスチャンながら自分の思
いに生きる。自己実現、自分の損得、
自己保身は世の価値観だ。善悪を知
る木の実を食べ、悪だけでなく「善」
も知る。ヒューマニズムは善、麗し
く見える。しかし、神否定、神無し
の人間中心思想だ。一見悪には見え
ない様々な価値観に要注意だ。源が
悪魔だ。人の賞賛を受け重要人物で
ありたい欲望が心に巣くっていない
か。「世を愛しているなら、その人
の内に御父を愛する愛はない」世を
愛するなら、神への愛が無くなって
しまう。だから心して気をつけよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分の内に古い性質があり、日々戦いだ。
それている時、御霊が気づかせ助けて下
さる。クリスチャンはなぜ世を愛さない
か。世がキリストを十字架につけたからだ。
主を愛して行きたい。


2005年12月15日(木)

「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で面目を立ててください」(Tサムエル15:30)



サウルはアマレクとの戦いで聖絶せ
よとの命令を受けていた。しかし、
従わず値打ちの無いものだけを聖絶
し、最も良いものを惜しんで残した。
サムエルからその罪を示された時、
罪の赦しを求めたが民の前で面目を
立ててくれるよう願った。実は面目
体面を保つがための悔い改めでしか
なかった。神のみこころに添った悲
しみと世の悲しみがある。御霊に導
かれた悔い改めは弁解も言い訳も自
分を正当化することも無い。ただた
だ罪が見え崩おれる。血潮に拠り頼
むばかりだ。世の悲しみは罪の結果
がまずいと思うだけだ。真に自分が
悪いと思っていない。相手や環境が
悪い、体面と体裁が悪いだけで、悔
い改めでは無いから死をもたらす。
見かけは同じでも全く違うものだ。
-----------------
世の罪の感覚は結果良ければすべて
良しだ。しかし、神様の御心に添っ
た悔い改めをするなら、必ず平安の
義の実を結ぶ。


2005年12月14日(水)

『イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた』(マルコ4:39)

弟子達は暴風雨の中で、主に
無視されているように感じた。
「私が溺れて死にそうでもなん
とも思われないのですか」と、
何ともすねた言い方だ。主は
余りの疲労で、舟のともの方で
熟睡しておられた。しかし、主
はちゃんと弟子達を心に留めて
おられた。その証拠に、嵐を静
めて下さった。私達は試練の中
で、孤独で、一人だと感じる時、
よく叫ぶ。「主よ、あなたは何
とも思われないのですか!」。
自然界の嵐を一言で静められた
主は、私達の心の嵐を御言葉で
静めて下さる。主の言葉で心の
波風は、すーっと、なぎになる。
私たちの思いを越えて、深く思
いやり、愛して下さっている。
試練の嵐の中で、何よりも主の
御声を聞こう。心騒ぎは止み、
大なぎになる。もし状況が変わ
らなくても、主のお心を知り、
平安にされる。
・・・・・・・・
溺れ死にそうになるが、決して
溺れない。四方八方から苦しみ
が来るが窮しない、途方に暮れ
るが決して行き詰まる事はない。
必ず向こう岸へ行ける。主が同船
しておられる。


2005年12月13日(火)

「イエスは彼が伏せっているのを見・・彼に言われた。「よくなりたいか」』(ヨハネ5:6)



病人がよくなりたいのは当たり前だ
と思うが、しかし、長期になると諦
めの心が出てきても不思議はない。
何度池に入ろうとしてもだめだった。
これからもだめだろう。「よくなり
たいか」の問は、心を探られる。
自分はどう思い、どうしたいのか。
あなたはどうだろう。信仰生活何度
罪と戦ってもだめだった。弱さがど
うにもならない。これからもだめだ
ろう。あるいは、長年同じ状況にい
ると居心地が良くなり、変化に費や
す気力が持てない。変わりたくない
肉の自分がいる。あなたの目の前で
主は問われる「よくなりたいか」。
池に入れてくれる人がいないと責任
転嫁、言い訳せず「よくなりたい」
と申し上げよう。起きて床を取り上
げ歩めと癒して下さる。
-----------------
良くならない状況に慣れてしまい
「良くなりたい!」との祈りを忘れ
てしまっていないか。良い状態がど
うであったかわからなくなってしま
わぬうちに祈り求めよう。


2005年12月12日(月)

「あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しんではなりません」(Tペテロ4:12)






試練を驚き怪しむなと言われる。
試練は必ず来ると前もって心しておく
べきだ。ふり返る時確かに試練の度に
強められているのだ。絶対に自分には
耐えられないと思った苦しみを乗り越
える事ができて、今がある。時を経て、
様々な出来事の重なりの中でパズルが
解けるようにその意味が解き明かされ
たりする。通って良かったと思える。
試練の中で自分の信仰が試される。
自分の真の姿を知り、自らの弱さを知
る。明るみに出た弱さは神に祈る事が
出来る。悪魔の欺きが明るみに出され
る。今、試練にある人は、善を行うに
あたって、真実であられる創造者に自
分のたましいをお任せする事だ。
主は委ねられたものを堅く支え保ち守
って下さる。
--------------------
試練を神さまと共に解決していくから、
試練の度に神さまを近く感じる。解決に
向けて神様が働かれている事知れる度に
試練のなかで平安に守られてる自分を発
見する。


2005年12月11日(日)

「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」(ルカ22:42)

私達は、明け渡しているつもり
なのだが、実際に逆境が来ると
不平不満愚痴で一杯になり、
もう逃げたい一心だ。単なる
「つもり」に過ぎなかった事が
あらわにされる。問題が起こる
と、あがき苦しみ、状況を変えよ
うと必死になる。目に見えるとこ
ろしか見ていない。私達の祈り
は「この状況から救い出して下
さい。この状況を変えて下さい」
この一点だ。しかし、幾ら祈って
も状況が変わらない中で、苦しみ
ながら神の御心を尋ねる祈りに
変えられて行く。すると、神の御心
が示される。状況ではなく私自身
を変えたいのだと。逆であったの
だ。自分が変えられる。御子のか
たちへと。
・・・・・・・・・・・・・
神のお心は、私自身を変える事で
あり、生涯変え続けて下さる事だ。
思い通りにならない状況により、
強い、固い、自分の思い、自己中心
が砕かれて行く。考え方や、価値観
人格が変えられて行く事がみこころだ。

 


2005年12月10日(土)

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです」(Uコリント3:16)

御言葉が、神が、わからない。何かピン
と御言葉が心に落ちて来ない。もやが
かかっているよう。頭ではわかるが、頭
だけで心に響いて来ないのはなぜか。
それは心におおいがかかっているからだ。
そのおおいとは、自分が中心である事だ。
神より自分の気持ちを優先させ自分の
思いを通し、自分の好み、方法を進める。
神のお心は飛んでいる。又、ある状況下
で状況に飲み尽くされ、その中で神を
仰ぐ事をせず、自分で何とかしようと
右往左往する。思い煩う。見ているの
は状況と自分だ。主に向いて行く時、
解決がある。状況や自分でなく、主の
お心を求める時、心が変化する。主に
集中して行く時、おおいが除かれる。
自分中心になるとおおいがかかり、主
中心になるとおおいが取り除かれる。今、
自分中心になっていないか。
・・・・・・・・・・・・・・
よく経験する。自分中心になっている
時は神が見えない。御心もわからない。
しかし、自分の心でなく、神のお心は?
神はこれをどう見ておられるのか?
のスタンスに立つ時御心示され平安が来る。


2005年12月09日(金)

「まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」(ルカ16:20)





あるカウンセラーによると子供が歪ん
だり損なわれたりするのは教育に関心
なく放任の親より教育熱心な親に多い
と。子供の将来のためにとお尻を叩き、
叱咤激励する。子供のためと思い込ん
でいる。しかし、実は子供のためでな
く自分のためなのだ。自分の体面と見
栄だ。子供を愛しているように見えて
、愛しているのは子供ではなく自分だ。
自分の思い通りに子供を操作して親は
なかなか気づかない。子供のためと信
じ込んでいる。放蕩息子の父親は親を
裏切り、親を捨て放縦に身を委ね、身
を持ち崩す息子をただじっと見守った。
勝手にしろではなく、腕づくで帰らせ
るのでもなく説教しに行くでもなく、
信じてただじっと待ち続けた。これが
愛、人を真に生かす愛。
---------------
真面目で、いつも良い子で頑張って、
そうじゃなければ愛されない、
そんな愛で私達は神様から愛されて
いるのではない。ありのままで愛し
ていると言って下さる。感謝!


2005年12月08日(木)

「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか」



サムエルからすべての物を聖絶せ
よと言われたのにサウルは従わず
に最も良いものを惜しんだ。主に
逆らった不従順だ。主の言葉を退
けたので、サウルも王位から退け
られた。殺人や泥酔のようなスト
レートな罪はわかりやすいが御言
葉に従わない事はたいした罪では
ないとサタンは思わせる。しかし
「従わない事は偶像礼拝の罪」だ。
神に逆らう高慢だ。サウルは肉の
思い判断で行動した。そして「主
のために」と言い訳をし自分を正
当化した。アブラハムはイサクを
待てず、イシュマエルを生み、イ
スラエルとアラブの争いの悲惨な
刈り取りが現在も続いている。肉
の行為には大きな刈り取りが伴う。
聞き従う事が一番の祝福。今示さ
れている通りに聞き従おう。
------------------
御言葉に従わずどうして神さまを
知り得るだろう。御心を無視して
かたちばかりのクリスチャンにな
ってはいないか。大切な事はたっ
た一つと主は言われた。


2005年12月07日(水)

「憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう」(箴言27:4)

妬みはすべての人に巣くう感情だ。サウル
は民がダビデになびいて行くのが不快だっ
た。女達が言った「サウルは千を打ち、
ダビデは万を打った」女達に比較され自分
が劣る事に激怒し、ダビデを疑いの目で見
るようになり恐れもした。サウルが千だけ
なら良かったが、そこにダビデが出てきて、
万というのがプライドが許さない。サウル
は嫉妬と嫉妬から来る憎しみに燃えて、ダ
ビデの命をつけ狙う。主は祭司長達に妬まれ、
ヨセフは兄弟達に妬まれた。自分が持って
いないもの、自分が心の底で欲しくてたまら
ないものを持つ相手を妬む。解決はまず自分
の妬みを認める事だ。そこから始まる。
それを認めて神に告白し悔い改める時、
神は赦しきよめて下さる。必ず妬みから
自由にして下さる。主のもとに持って行こう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
妬みは横との比較から来る。上を見て自分と
神との関係を、縦の関係を堅くして行く時守
られる。普段無意識の事もあり、何かがある
と出て来る。心にざらっとしたものがあるなら、
神に探って頂こう。自由にされる。


2005年12月06日(火)

「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神・・」(Tテモテ6:17)



神は私達に楽しみを与えて下さるお
方だ。楽しむ事は悪い事のように思
っている男性がいた。几帳面で忠実
で、真面目であったが、いっさいの
融通がきかず、家庭や周囲を窮屈に
していた。喜びでなく苦痛を与えて
いる事に気づかされた。神が楽しま
せて下さるお方という事に目が開か
れた。人生を楽しむ事に目を向けた。
リクレーションを楽しみ、ゆったり
とした妻との語らいの時間を楽しみ、
自然に身を置く事を楽しみ朝陽や夕
陽を楽しんだ。心に平安が来て、自
分が変わったので家族が変わり温か
い交わりが生まれ家庭に潤いと安ら
ぎが生まれた。生活の楽しみは疲れ
た心身に新たな気力と喜びを与えて
くれる神からのプレゼントだ。この
贈り物を感謝しよう。
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あれはいけない、これもいけないと、
ついつい自分を追い込んでしまいが
ちだ。目を向けて見れは多くの恵み
に囲まれている。溢れんばかりに与
えられている神様からの恵みに背を
向けてはいけない。


2005年12月05日(月)

「信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます」(エペソ6:16)



信仰生活であなたも経験するだろ
うか。愚痴と不満に目が行くと、
ますます不満が増え、あれも無い、
これも無い。祝福が全く見えなく
なる。反対に感謝に目を留めると
これほどあったのかと驚く程の感
謝が出て来る。そして不思議に不
平不満が見えなくなる。日々、瞬
間瞬間どっちに焦点を当てている
か、どっちを選択しているかだ。
それは自分の選択だ。悪魔は不満
に目を向けさせるよう絶えず誘惑
して来る。声が聞こえるだろう。
思いに来る悪魔の火矢だ。気づく
だろうか。乗って行くなら不満愚
痴で心が暗くなり落ち込んで行く
。御霊は恵みと感謝に目を向けさ
せられる。力の限り、見張って、
あなたの心を守れ。見張る時、御
霊と悪魔に気づける。
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世にでると不平不満が充満してい
る。心をしっかり整えられて今週
も学校へ職場へ、近隣へ出て行こ
う。満ち足りた平安を取られない
ように。


2005年12月04日(日)

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)

ある人が失敗をし、落ち込んでいた。自己
嫌悪で自分が嫌で嫌でたまらなかった。苦
しくて祈っていた。そんな時、夕暮れに、沈
む夕陽を見た。金色の夕陽が黄昏色に周囲を
染めて沈んで行く様は見事であり驚嘆した。
自然を創造された神を感じた。自然は美しい。
例え誰かが否定しても、その美しさは厳然と
そこにあり変わらない。同じように、神が創造
された自分も、どんなに自分が否定しようとも
その尊さ、美しさは変わらない。神は高価で
尊いと言って下さった。自分が自分をどう見
ようと、神の事実は変わらない。その時、自分
の思いでなく、御言葉が言う通りに自分を受け
入れる事が出来た。心に喜びが来た。自分が
どう思うかではない。神がどう言っておられる
か、御言葉はどう言っているか、それを受け入
れることが大切だ。
・・・・・・・・・・・・・・
神の愛を信じようとしない、固い土地、固い
心が砕かれ、耕され、溢れる愛を受け取る
事ができるように。また、御言葉を素直に受け
入れているかどうか、自らの心に偏見や受け取
らない固い岩がないか点検してみよう。
 


2005年12月03日(土)

「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います」(ヨハネ14:27)

主イエスが与えて下さる「主の平安」がある。
あなたも経験があるだろか。状況は嵐、荒れ
狂うまっただ中で、防護壁に囲まれたように、
心は全き平安だ。友人は夫の不貞で離婚とな
り、心もズタズタで張り裂けるような苦悩の渦中
で、主に拠りすがった。その時、穏やかな全き
平安を経験。天国のようだったと。ある男性は
仕事上の失敗で、このままだと莫大な損害が
発生する事態に。夜も眠れず、神の御前に委ね
て祈り明かした。その時、心に主の平安が臨んだ。
どのようにかはわからないが、良きに導かれる
確信が来た。状況は同じなのに、全き平安に
ガードされている不思議を経験。導きに従って
行くと事態は見事解決。主の助けだった。「主
の平安」を与えられる時、どんな悲惨な渦中でも、
心は御国にいるよう。どんな心の苦悶も打ち
明け、お委ねしよう。主に渡そう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世には無い、主ご自身の平安を下さる。時々
経験する。状況は大パニックなのに、全く動じ
ない心の静けさ、安らぎ。どんな時かと考えると、
いつも祈って御言葉にとどまっている時だ。「わた
しにとどまれ、わたしもあなたの中にとどまる」の
通り。



2005年12月02日(金)

「まず杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります」(マタイ23:26)


教会の車は二十数万キロ乗って
廃車にしたが、仮にこれに走行
メーターを五万キロに細工して、
これで大丈夫だ、まだまだ乗れ
るとすればどうだろう。笑って
しまうが、これと同じ事をして
いる。外側の行いを変えるだけ
で、神に喜ばれると思っている。
神が見られるのは中身だ。
外側はうまく振舞っても内側は
罪でドロドロ状態だろうか。
外側はきれいだが、内側は妬み、
虚栄心、プライド、競争心で一
杯だ。内側は人には見えないが、
神が見られるのは内側だ。
何かの期待や状況で、心が騒い
だり、ザラついたり穏やかでお
れないのは内側に何かがある証
拠だ。妬みかプライドか。
主の御前に照らし出される。
認めて悔い改める時、内側がき
よめられる。
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自分の内側にのみ関心を示さな
ければならない。ありのままで
人に接する事ができないとき、
きよめられなければならない罪
がある。


2005年12月01日(木)

「あなたは私が着くまで七日間、そこで待たなければなりません。私があなたのなすべき事を教えます」(Tサムエル10:8)




サムエルはサウル王に待つよう
にと指示した。しかし、サウル
はサムエルが遅れていて、民が
彼から離れる去ろうとしている
のを見て、自分で全焼のいけに
え献げた。その愚かな行為によ
って王位を失った。いけにえを
献げる事は祭司にしか出来なか
った。「待つ」事は私達にとっ
ても難しい。肉は待てない。
一番の誘惑は待てずに肉で行動
する事だ。自分の思いと判断で
動く。アブラハムがイサクを待
てないでイシュマエルを肉で生
み出したように。その結果は悲
惨な刈り取りとなる。ひたすら
待つ時期を与えられる。肉で動
かず、じっと主を待とう。
待つ時間は動機を探られ、信仰
が練られ試される。自分の本当
の姿が照らし出される。大きく
成長へと導かれる。
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不安と焦りにおそわれる度に、
信仰に立とう。神さまは、私
たちの弱さを知っておられるの
に、なおも待たせておられるは、
ご計画があるからだ。