2001年08月31日(金) 「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である」(箴言27:5)
「あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である」(箴言27:5)
エレミヤは人々の罪について大胆に責めた もし神に従わないなら、滅びに通じると警告 した。民の反応はどうであったか。真理を語 った預言者は命を脅かされた。しかし、エレ ミヤは脅迫に屈する事なく警告を続けた。 このエレミヤを通して私達は教えられる。 警告のメッセージは、相手に喜んで受け取ら れないと言う事だ。そして、私達は警告を与 え、その結果を神に信頼しなければならない という事だ。警告を与える事は喜ばしい事で はない。むしろ痛い事だ。しかし、もし相手 に危険が迫っているなら警告を与えなければ ならない。放っておくなら、相手が滅びるか らだ。あなたは誰かに警告をする必要はない か。時に愛は助ける前に傷つけなければなら ない。罪人を迷いの道から引き戻す者は罪人 の魂を死から救い出すのだ。御霊の人である あなた方は柔和な心でその人を正してあげな さい。
2001年08月30日(木) 「欺きのはかりは主に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる」(箴言11:3)
「欺きのはかりは主に忌みきらわれる。正しいおもりは主に喜ばれる」(箴言11:3)
クリスチャン作家の三浦綾子さんが、ある時 銀行でお金を下ろした。帰宅後現金が僅かに多 い事に気づいた。行員のミスだった。 それを電車賃を自腹で間違い分を届けた。 当然の事として行った。近頃は自転車が鍵一つ ではすぐ盗まれる。乗り捨てに使われる。 財布をお落として交番へ行くと帰って来る事は 期待しないでくださいと言われる。しかし、 聖書は神は正直であることを喜ばれると言う。 正しい事を行う者を祝福されるとある。私達は 人の前に生きる者ではなく、神の御前に生きる 者だ。私達は損得に生きる者でなく神のみここ ろに生きる者だ。神からの賞賛が私達にとって 最も価値あるものだ。正直を神が喜ばれる。 いつも神を意識して正直であろう。 私達の生活にある正直さを通して、神の栄光が この世に現されるように。正直には報いがある。 それは神の御前に平安な心であり、やましくな い心。これは何ものにも代えられない。
2001年08月29日(水) 「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」(マルコ12:30)
「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」(マルコ12:30)
信号が黄色から赤に変わった時、前の車は 赤信号でも行こうとしたが、パトカーを見て 思いとどまった。違反切符を切られるからだ もっともな理由だが、正しい動機だろうか。 私達が神の戒めに従う事について考えさせら れた。私達が恐怖心から神の命令に従ったと しても、殺人、盗み、嘘、姦淫、不品行など の罪の悲劇はかなり減るだろう。しかし、神 は恐怖心から従うことを喜ばれない。 神は、戒めの第一に神を愛せよ、と言われた。 次に隣人を愛せよと言われ、この二つより大 事な命令は他にはないと言われた。私達神に 従う動機は、従わないなら罰せられるという 恐怖でなく、神を愛するからだ。みこころに 従う動機は「愛」だ。神が私達を救ってくださ った動機が「愛」であるように、私達が神に従 う動機も愛以外の何であてもならない。 神を愛するとは神に従うこと。神を愛する者 は御旨に従う。私達は奴隷の霊を受けたので はなく、子として下さる御霊を受けている。
2001年08月28日(火) 「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり」(イザヤ43:1)
「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり」(イザヤ43:1)
プールで小さな息子に父親が泳ぎを教えて いるのを見ていた。息子は父親の腕の中で、 父親の言う言葉に従うよりも、水を恐がって 怯えて身体をこわばらせていた。 父親は「大丈夫だよ絶対に溺れないように、 ちゃんと見ているから」と懸命に安心させて いたが、当たり前の事に感じられた。 父親は絶対に息子を溺れさせないだろう。 その時、その父親と息子が神と自分に重な った。私達はその子供と同じ態度を神に取 る。困難や問題、試練を前に恐ろしくて怯 えて不安で固まってしまう。 神が支えておられるのに、溺れてしまうの ではないかと恐れる。父親が息子を絶対に 溺れさせないように、神は絶対に守られる 川を渡る時もあなたは押し流されないと言 われる。あなたは戦いに圧倒されているか 厳しい試練におじけづいているか。神が共 におられる事を思い出せ。 力強い愛の御腕の中にあなたをしっかり抱 いていて下さる。
2001年08月27日(月) 「どうか私とあなたの間・・に争いがないようにしてくれ・・もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」(創世13:9)
「どうか私とあなたの間・・に争いがないようにしてくれ・・もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」(創世13:9)
アブラハムにもロトにもロトにも所有物が増 し加わり、彼らの牧者達の間で絶えず争いが起 こるようになった。一緒に住むのは無理で、彼 らは別れる事になった。 年配のアブラハムは、ロトに譲り、最初に選ぶ 権利をロトに与えた。ロトは譲ってくれた叔父 の事を考えることもなく、目に見える一番肥沃 な土地を選んだ。アブラハムはロトが最上の地 を取っても気にならなかった。アブラハムは全 ての権利を神の前に明け渡した。 ロトは神のみこころを求める事なく、祈る事も なく、自らの欲望だけで損得だけで目に見える 最高の土地を選んだ。実はそこはソドムとゴモ ラ。神が滅ぼされる罪深い堕落した土地だった。 アブラハムの執り成しによってロトは滅びから 救われた。あなたが物事を選択する時の動機や 基準は何か。神のみこころか、それとも自分の 損得であり欲望だろうか。
2001年08月26日(日) 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。見よ、すべてが新しくなりました」(Uコリント5:17)
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。見よ、すべてが新しくなりました」(Uコリント5:17)
私達がキリストを見上げて信仰に 成長しようと前進している時に、 過去の失敗や過ちが立ちはだかる 事を経験する事があるだろう。 取り返しのつかない過失、失敗し てしまった人間関係、果たせなか った夢・・後悔が私達をおおう。 あの時ああしていたら、この時こ うしていたら・・あの時の決断を 変えていたら、過去の悲しみが現 在を曇らせ、未来を暗くする。私 達は皆、後悔するが、キリストに ある喜びを奪われる必要はない。 私達は新しく造られた者であり、 古いものは過ぎ去った。自分の失 敗や過失と考える時、何という恵 みだろう。キリストの十字架の血 潮によって、過去はすべて拭い去 られた。後悔から解き放たれた新 しい歩みが備えられている。キリ ストは私達を新しい人生へと入れ て下さった。過去は去り、キリス トに接ぎ木された。新しい養分が キリストから来る。古いものは過 ぎ去った。信仰に立て。
2001年08月24日(金) 『サムエルはサウルに言った「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった』(Tサムエル13:13)
『サムエルはサウルに言った「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった』(Tサムエル13:13)
一人の牧師が失敗を通して学んだ。田舎の小さ な教会で牧師の働きを始めた頃、子供が病気で困 っていると教会に来た男にお金を与えた。 すぐ後で、この男は薬物中毒で、そのお金で薬物 を買った事がわかった。しかし、与えた時は成す べき正しい事をしたと思った。サウルの事を見る 時に、与える行為の先を見通さなければならない 事を悟る。サウルは犠牲を献げる事で神に栄光を 帰していると考えた。行為が大切だと思えた。 しかし、犠牲を献げる行為によって神に罪を犯し たのだ。私達は行為だけでなく、関係に目を向け る事が必要だ。敵をも愛せよ言われるが、愛せよ とは即座の行動で応じる事はできない。 愛には関係を育むために時間がかかる。神は私達 との関係を大切にされ、また、他の人々と正しい 関係で生きる事を願っておられる。 もし彼のために時間を取って、薬物中毒だと知れ たなら中毒を助けるのでなく、回復の手伝いが出 来た。
2001年08月23日(木) 「ですから、私たちは機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう」(ガラテヤ6:10)
「ですから、私たちは機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう」(ガラテヤ6:10)
一人の婦人が、その日自分は自分の事しか 考えてなかった事を思い知らされ教えられま したと話した。特別にハードでストレスの多 い一週間を過ごし、疲れ果てていた。 家にもしなければならない仕事が山積みで、 うんざりしていた。自己中心な自分の思い煩 いで一杯だった。そんな状態で礼拝に臨み、 椅子に座った。すると、横に座った婦人が突 然悩みを打ち明け出した。話し合う内に素晴 らしい事が起こった。平安な表情になり顔に 喜ばしい笑顔が見えた。そして、驚いた事に 相手に心遣いし、心を注いだ彼女自身も変え られていた。新しい気力が与えられ心が刷新 されていたのだ。自分のことしか考えられな かった状況から引き上げられたのだ。 兄弟姉妹が互いに仕え合う事を神は喜ばれる それを通して自分自身も益を受け、互いに神 に近づけられる。
2001年08月22日(水) 「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」(コロサイ3:13)
「互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」(コロサイ3:13)
クリスチャンの友人同士がちょっと した事で議論となり、言い争いにな ってしまった。気まずい思いで別れ た。すると、夜に一方から謝りの電 話が入った。もう一人が言葉でひど く傷ついていたので、「赦す」との 言葉が非常に言いにくかったが、そ の言葉を口から出した時、心が変わ って行くのを感じた。その言葉は友 情と親密な関係を壊す事から、二人 を守った。そして、彼女はその傷が 癒されるのを経験した。しばしば、 私達は赦すことが難しい。受けた傷 を執念深くいつまでも根に持つ。し かし、それによって、一番苦しむの は自分である事もよくわかっている。 他人を快く赦す事を妨げるのはプラ イドだ。プライドが赦せない気持ち を縛りつける。しかし、平安は赦す 人と共にある。赦しなさいとのみこ ころを実行する時、心に平安が訪れ る。あなたは赦せない相手があるか。 今日、神に従え。
2001年08月21日(火) 「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます」(ヨハネ6:68)
「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます」(ヨハネ6:68)
一人の人が何不自由なく家族も健康で、 仕事にも恵まれ充実した人生を送っている と思っていた。いつも何かが欠けていると は感じていたが深く考えようとは全くしな かった。ところが愛する人々の死に直面し た時、以前は振り払っていた沢山の事柄に ついて急に疑問が出てきた。 彼らは、どこへ行ったのか。再び会えるの か。自分の心に欠けているものは何なのか 自分の今までの価値観が逆転した。大切だ と思っていたものが変わってしまった。 イエス・キリストに対して心を開いた。 すると、主が来てくださり、平安で満たし て下さった。今までもずっと招いておられ たが、自分が心を開こうとしなかった事に 気づかされた。主イエスとの個人的な交わ りを得、楽しみを得、ついに真の充実した 人生を見い出した。 イエスが心の戸をノックして下さっている 時、心を開くことが大切。
2001年08月20日(月) 「だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか」(ゼカリヤ4:10)
「だれが、その日を小さな事としてさげすんだのか」(ゼカリヤ4:10)
ゼブバブルが神の宮を建て直すよう召され た時、最初にした事は、まず礎を据えた事だ った。その上に石を一つづつ乗せて行った。 どんな大きな働きも最初は小さな地味な働き から始まる。一人の姉妹は、神様に献げるた めに、バス通勤を徒歩にし、そのお金を献げ る決心をした。雨の日も風の日も疲れた日も 続けた。やがて目標に達して、それを神様に 献げる事ができた。一歩一歩示された事を成 し遂げて行った姉妹は、今女性海外宣教師と して活躍している。ある身障者の女性は、自 分が神様のためにできる事を祈った。 すると、祈りの奉仕を示された。彼女は神に 従い、祈りの奉仕を始めた。忠実に奉仕を果 たし続けた。リストに従って祈るが、そのリ ストは日毎に増えたいった。教会のため、 兄弟姉妹のため、宣教師達のため、宣教のた め、近所の人々のため上に立つ人々のため、 沢山のリストを祈り続けた。 忠実に続けている内に、彼女は電話祈祷チェー ンの全国組織の代表へと導かれた。 小さな奉仕を忠実に果たせ。
2001年08月19日(日) 「だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者はわたしを受け入れるのです」(マタイ18:5)
「だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者はわたしを受け入れるのです」(マタイ18:5)
一人の婦人が特別に忙しい一週間を 過ごし、週末にくつろいでいた。庭に ロッキングチエアを持ち出し、暖かい 心地よい陽射しを楽しんだ。快適な 休息だった。その時、子遠の声が聞 こえ、門が開く音が聞こえた。隣の若 い母親だった。突然の急用ができ、 二人の子供をみてて貰えないかとの 依頼だった。ニコニコと承諾したが、 内心はうんざりだった。疲れていて 休みたかった。しかし、気を取り直し 小さな子供の相手をし、遊んでやっ た。やがて母親が迎えに来て、帰っ て行った。その後、彼女の心が楽し く弾んでいて、平安で一杯なのに気 づいた。実はイエス様が子供達を 彼女の慰めと励ましと力づけのた めに送って下さったと気づいた。 イエスご自身が子供達を通して、 来られたのだと。妨げと不愉快に 思ったものが、実は特権だったのだ。 あなたの生活も点検してみよ。
2001年08月18日(土) 「別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし・・枯れてしまった」(マタイ13:5)
「別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし・・枯れてしまった」(マタイ13:5)
一人の婦人がちょっとした事で、 相手の婦人と言い争いになってし まった。不愉快な思いでいたとこ ろ、相手の婦人が、花の苗を持っ て仲直りに来た。それは受け取っ たが、不快な思いは消えなかった。 ちょうど花壇を作ろうと思ってい た矢先だったので、その苗を植え ようとしたが、どうも出来なかっ た。土が余りにも、固すぎたのだ。 植える事が出来なかったその時、 自分の心に気づかされた。相手を 赦そうとしない頑固な頑なな岩が ある。固い自我に気づかされた。 悔い改めの心が与えられ、相手と 和解したいと願う心が与えられた。 その時、雨が降り、先ほど掘り起 こした土を柔らかくしていて、今 度は苗を植える事が出来た。土が 恵みの雨で柔らかくなったように、 自分の心も、神様の恵みにより柔 らかくされた事を知った。あなた の心はどうか。頑なな思いが無い か。枯れる前に石を掘り起こせ。
2001年08月17日(金) 「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩篇37:5)
「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」(詩篇37:5)
面白い話しがある。一人の老婆が坂道を 大きな風呂敷包みを背に背負って、息苦し そうに上っていた。車で通りかかった人が 気の毒に思い、老婆を車に招き入れた。 老婆は何度も礼を言い車に乗った。しばら く走りバックミラーを見ると、なんと老婆 がその荷物を背中に背負ったまま座ってい た。驚いて、荷物を下ろすように言うと、 老婆は車に乗せて貰うだけで勿体なくて荷 物は私が背負いますと言った。 笑い話でなく、これと同じ事を私達もして いる。イエスのもとへ来るが、荷物は背負 ったままだ。重荷を下ろそうとはしない。 私達の人生のすべての日に、神は私達を助 ける、決して見捨てないと約束しておられ るのに、自分の荷を委ねようとしない。 神は真にあなたの重荷を負って下さる。 任せない限り神はそれを受け取る事が出来 ない。あなたの重荷を主に渡せ。どんなに 安らかになる事か。一日づつ全ての日の重 荷を担って下さる。「ほむべきかな。日々 私達のために、重荷を担われる主」
2001年08月16日(木) 「この病気は、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです」(ヨハネ11:4)
「この病気は、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです」(ヨハネ11:4)
ラザロが病気だと聞いた時、イエスはわざと ベタニヤヘ行く事を遅らせた。イエスは、ラザ ロが死ぬ事によって神の栄光が現れる事をご存 じで、ラザロが死ぬ事が御心だと知っておられ た。だから、「私は彼を眠りから覚ましに行く」 と言われた。 そして、信仰のゆえに命の危険のある場所へ戻 られた。弟子達はなぜもっと早く行き、死ぬ前 に癒されなかったのかといぶかった。離れた所 からでも奇跡を行う力を持っておられるのに、 あえてなぜ危険な場所へ行かれるのか。 イエスは完全に神のみこころに従われたのだ。 状況でも環境でもご自身の思いでもなく、イエ スにとって一番大切なものは父の御旨であった 父の御旨はラザロの病気を癒すことではなく、 ラザロをよみがえらせる事だったのだ。 私達も色々な状況の中で正しく神の御旨に聞き 従うなら栄光が現れる。
2001年08月15日(水) 「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、神をほめたたえるようになります」(Tペテロ2:12)
「異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、神をほめたたえるようになります」(Tペテロ2:12)
ある雑誌に、こんなアンケートが 出ていた。「店員が勘定を間違え たら、あなたは正すか、そのまま にするか」「10万円入り財布を 拾ったら、交番に届けるか」 15年前は最初が15%で、次の が4%だった。5年前はどちらも 25%だった。人が見ていなけれ ば、人々は気にしないのかも知 れない。しかし、私達は正直で なければならない。税金の申告、 仕事上の出費の請求、何であれ 真実を告げる必要がある。聖書 は、私達の立派な行ないは、 人々が神をほめたたえるように なる一つの方法だと言った。 今、正直である事がまれになり、 珍しい事になるのなら、いっそう 良い機会である。私達の事をし っかり見ているこの世に対して、 模範を示そう。私達の日々の 生活の振る舞いは、ペンや声 よりもよく語る。誠実であれ。誠 実である事はキリストを表わす 人格だ。
2001年08月14日(火) 「私は堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかししているのです」(使徒26:22)
「私は堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかししているのです」(使徒26:22)
フィリピンで宣教していた宣教師は、 マニラのゴミ処理所で、どうすれば そこにいるゴミ集めをしている人々 に福音を伝えられるかを、神に祈 っていた。すると、一人の老人が来 て、ゴミを捜して来る間、自分のゴミ を見ていてくれないかと頼んで来た。 その国では、年上に年齢を聞くのは 敬意を表わしている事になるので、 宣教師はその老人に年齢を聞いた。 男は喜んだ。今日で75だと答えた。 宣教師と共にいた同労者はハピー バースディを歌い、握手し抱きしめ た。そして、天国へ行く用意はある かと聞いた。彼はよくわからないと 言ったので、福音を話した。彼は その日キリストを信じ救われた。パウ ロは総督や王に証しする機会があ った。その結果はどうなったかわか らないが、彼は置かれた場所で忠 実になすべき事をした。そして、 結果は神に委ねた。あなたも遣わ されてた場所で、証しをし、結果は 神に委ねればよい。
2001年08月13日(月) 「主の憎むもの、兄弟の間に争いを引き起こす者」(しん言6:19)
「主の憎むもの、兄弟の間に争いを引き起こす者」(しん言6:19)
一人の人物がイギリスの国家機密 をロシアに流すスパイとして働いて いた。彼らがモスクワに対してした 最大の貢献はその情報を流す事 より、疑いという毒をまき散らし、 内部同士を疑心暗鬼にさせた事だ。 疑問を持たせる毒、これはクリス チャンの交わりの中にも、サタン がまき散らす。他のクリスチャン の失敗をあからさまに言う人の 事ではない。眉をひそめたり、声 の疑いの調子を混ぜて人の評判 や誠実さに疑問を持たせようとす る事だ。あからさまでなく巧妙、 狡猾なので陰険だ。聖書の中で 罪のリストの一番は「高ぶる目」で 始まり「兄弟の間に争いを引き起 こす者」で終る。主の憎まれるもの だ。五つの裏切り行為があって、 舌、手、心、足、口を使って表わ されている。しん言6:16。兄弟 間に疑いの毒をまき散らすのでは なく、癒しと励まし慰めの言葉を まき散らす者とされるように。舌 を聖霊に支配して頂けるように 祈れ。
2001年08月12日(日) 「あなたがたが多くの実を結ぶことによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです」(ヨハネ15:8)
「あなたがたが多くの実を結ぶことによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです」(ヨハネ15:8)
18世紀の見習い靴職人ジョン・ワー は、忠実な証し人になりたいと思って いた。もう一人の靴職人が来た時、 キリストについてよく話した。彼はわずら わしがっていた。しかし、その彼が法 律を破って捕まった時、ジョンに助け を求めて来た。それを通して、彼は キリストを信じ、その後献身して行った。 それが彼のインドで大きな働きをし たウィリアム・ケアリだった。彼は世 界宣教に大きな良い影響を与えた 人物だ。ジョンの忠実な証しが用い られたのだ。あなたは説教したり、 教えたり、宣教地に行けないとがっ かりしてしまうかも知れない。自分は 実を結ぶような大きな奉仕など出来 ないと思っているかも知れない。 ジョンが同僚に与えた影響を思い 出せ。キリストを証しするのに、海を 渡り海外に行く必要はない。あな たのすぐ近くにいるのだから。あな たの家族や隣人、職場の人々に口 だけでなく、態度で生活で証しせよ。 必ず実を結ばせて下さる。
2001年08月11日(土) 「イエスは、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マルコ1:35)
「イエスは、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マルコ1:35)
アイルランドの有名なあるフルート奏 者は、人生の熟年期に入った時、老 化による技術低下を自覚した。彼は 毎日、基礎の練習から始めた。音階 が微妙に崩れているのを発見し、愕 然とした。演奏会はうまくこなせた。 しかし、基本が崩れていたのだ。そ の基本からやり直したのだった。私 達の信仰生活も同様だ。神から離 れるのは少しづつ少しづつだ。知ら ぬ間に霊的な事柄への食欲が失せ てしまい、この世が魅力的なものに なっている。平安は無い。主イエス・ キリストはどんなに忙しくても、父なる 神との交わりを、決して欠かされな かった。神との交わりは信仰生活 の基本だ。あなたに平安が無く、 道にそれているなら、基本に戻れ。 神との個人的な時間を取れ。御言 葉に親しみ、神に祈る時間を確保 せよ。疲れ果てた、ある男性は職 場の屋上で昼休みに静かなひと 時を持った。彼は霊が生き返るよ うに、潤いが戻るのを経験した。
2001年08月10日(金) 「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵をいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵の御座に近づこうではありませんか」(ヘブル4:16)
「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵をいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵の御座に近づこうではありませんか」(ヘブル4:16)
あなたは留守番電話でイライラした事は無 いだろうか。すぐに相手と話したいのに、相 手につながらない。「ただいま留守にしてい ます。発信音の後にお名前と電話番号をお話 下さい。後でこちらからお電話いたします」と 聞こえると、がっかりしながら、相手のいな い機械に向かって話す。 よく経験する事だ。しかし、神が留守であら れることは無い。神はいつでも祈りを聞かれ 絶えず祈るよう励まされている。なんという 慰めだろう。いつでも、どんな危急の時にも 神は聞いていて下さる。そして、神は私達の 祈りを待っておられる。あなたはなぜ神のも とへ行かないのですか。あなたの祈りを妨げ ているものは何ですか。祈りを妨げているも のを神に話す事から始めよ。神は答えたいと 待ち構えておられる。 祈る時間が無いなら、あなたは忙しすぎる。 生活を点検した方がいい。
2001年08月09日(木) 「彼は決してゆるがされない。正しい者はとこしえに覚えられる。その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない」(詩篇112:6)
「彼は決してゆるがされない。正しい者はとこしえに覚えられる。その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない」(詩篇112:6)
ある人々は神の素晴らしさは信じている が、自分の身に起こる事は悪い事ばかりだ と疑いの中に居る。また世の中では悪い者 が栄えていて、正直者が損をしていると疑 問を持っている人達もいる。 神を信じて、何か良い事があるのか、得が あるのかと未信者は考える。しかし、断言 できる。神を信じて歩む道は、真に喜びの ある道であり平安な道だと。それを体験す る秘訣は、自己中心の選択に「いいえ」と 言い神の御心に、神の命令に「はい」と言 い続ける事だ。そのように信仰生活を歩み 続けるなら本物の喜びを体験できる。 なぜなら、自分の欲望を満足させる道に一 瞬の快楽はあるが、真の喜びは無いからだ 試練の時にも神は平安を与えると約束され ている。どんな苦しい中でも主の平安が臨 む。自我にノーと言い、神の御心にイエス という歩みを、今すぐ始めよ。そして続け よ。
2001年08月08日(水) 「生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです」(ヘブル10:31)
「生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです」(ヘブル10:31)
親しいクリスチャン婦人が癌 で亡くなった。又、子供を亡 くした親もいる。世界を見れ ば、地震で教会が全壊、集っ ていた人々が亡くなったとい うニュースもある。痛ましい 事だ。しかし、本当の悲劇で はない。死は必ずすべての人 にやって来る。早いか遅いか の違いだけだ。死が悲劇なの でなく、イエス・キリストを受け入 れずに、死を迎える事が悲劇 なのだ。それは死が永遠に彼 らを神から引き離すからだ。 良い行ないが天国への道では ない。天国の切符は無代価の 贈り物だ。お金を払っても得 られない。キリストを信じる信仰 によって得られる。救いは神 からのプレゼント。報酬ではなく 勝ち取るものでもない。御子 を信じるすべての人に与えら れる。あなたの周囲の人々は どうだろう。死は悲劇ではな い。すべての人に、いつか必 ず来る。真の悲劇はキリスト無し の永遠だ。遣わされたそれぞ れの場所で、祈りと証しのた めに自分自身を献げる事がで きる。あなたをその場で用い て下さる。
2001年08月07日(火) 「わたしをいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう」(エレミヤ17:14)
「わたしをいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう」(エレミヤ17:14)
ある婦人が、洋服を縫っていた。久し振りの裁縫 であり、楽しんで縫い進めていた。やがて、素晴ら しい作品が仕上がりに近づいて来た。ワクワクして ボタン穴を開け、ボタン付けをしていた。 その時、裾を引っ掛けて、何と、ミシンにからませ 破れを作ってしまったのだ。一瞬、作品が台無しに なったと愕然としたが、気を取り直し修復を考えた すると、模様の関係で、うまく合わせ、全く気づか れないようにうまく隠せたのだ。 誰も気づく人はいなかった。うまく修復できたのだ 私達も同様に、隠れた罪、隠れた傷、人には見えな い修復の必要な部分を持っている。 キリストの十字架の血による赦しにより、私達はど んな罪も傷も修復されるのだ。愛と恵により内側か ら完全に修復される。神のもとへその罪を傷を修復 の必要な部分を持って行かなければならない。 それには、まず自分が自分の罪を認めなければなら ない。そこから始まる。
2001年08月06日(月) 「かつて神々を神々でないものに、取り替えた国民があっただろうか」(エレミヤ2:11)
「かつて神々を神々でないものに、取り替えた国民があっただろうか」(エレミヤ2:11)
母の日に、プレゼントを買った時、カーネーション が一本ついていた。パッと見た瞬間、本物と見間違え てしまった。それは本物に酷似した造花だった。 最近は造花の技術が進んで、本物そっくりに作られて いる。模造品は珍しい事ではない。旧約の昔から人々 はずっと自分達が作った神々を拝んできた。 金の像を作った。日本では人が神と礼拝され、狐の神 石の神、木の神、数えられない神を造って来た。 クリスチャンは手で造った像は拝みはしないかもしれ ない。しかし、目に見えない偶像はどうだろうか。 富み、賞賛、地位、名声、愛する人々、それらは容易 に神になり得る。また、自己中心は自分が神だという ことだ。あなたの中に、どんな遇像があるだろうか。 偶像は神への全き献身を妨げる。あなたの心を探り聖 霊に照らし出していただき、まことの神から引き離す 偽りの神々を捨て去ることが出来るように。
2001年08月05日(日) 「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません」(Uコリント4:8)
「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません」(Uコリント4:8)
ある教会学校の教師が、神に祈り つつ悶々としていた。一人の男子 生徒が乱暴で、反抗的なのだ。ク ラスは妨害するし、他の生徒に喧 嘩はふっかけるし、若い教師はど うしてよいかわからず、ずっと祈り 続けていた。どんな時にも、決して 行き詰まる事は無いとの神の励ま しに、必ず道が備えられちるという 確信が来た。祈りを積む内に、家 庭訪問をするよう導かれた。母親 に会って話を聞いた時、彼の置か れている現状を知った。離婚し、 母親は夜遅くまで働き、彼は夜の 時間も一人で過ごしていた。寂し い思いをさせて心痛んでいると、 母親は語った。教師は彼の状況が 理解でき、彼に対する愛情で心が 一杯になるのを感じた。教師が彼 を受け入れ出すと、彼は素直にな った。突っ張っていただけだった。 根は素直な子供だった。彼は模範 的生徒になって行った。あなたに も今何か問題があるか。決して行 き詰まる事はない。打開策がある。 祈れ。
2001年08月04日(土) 「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません」(ルカ6:37)
「さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません」(ルカ6:37)
余りにも自分勝手で、自己中心な行 動が絶えないため、妻に返事をして もらえない夫がいた。夫は妻の耳が 遠くなったのだと思い、妻の耳をテ ストする事にした。「聞こえるかい」 後ろに回って、小さな声でささやい た。妻は答えない。続けて二度やっ てみた。その時、「聞こえてます。 何度も」と妻が言った。自分の欠点 を棚上げにして、相手が悪いと責め る典型的な例だ。他人の荒捜しに必 死で、実は自分はそれ以上だという 事に気づかない愚かな人は多い。 他人の非難をし、批判をする。しか し、間違っているのは自分の方であ る場合も多い。主は人のこの「さば く」性質をご存じだ。だから、さば いてはいけないと言われた。他人を 量ったはかりで、正しく自分が量り 返されるのだ。厳しく高い基準で、 さばくなら、その厳しく高い基準 をその通りを、神はあなたに向け られる。あなたはそのさばきに耐 えられるとうのか。欠点の無い人 はいない。間違いを捜しているな ら、鏡を見ればよい。
2001年08月03日(金) 「だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:32)
「だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:32)
私達はミスするものだ。人間はどんなに注意 深くしていても、人間である限りミスがあり失 敗する。大切な事は、その失敗から学ぶ事だ。 幸せな結婚生活が努力なしに築けるなどあり得 ない。譲り合い、耳を傾け合い、互いの願いに 応え合い、日々様々な失敗から学び、日々築き 上げて行くべきだ。ペテロは大失敗をした。 命をかけても従うという決心が、試練の前にも ろくも砕けた。従うどころか、主を知らないと 三度も否定し、裏切ったのだ。大失敗をした。 しかし、これが終わりではなかった。回復され 後に聖霊に満たされた主の証人とされた。 そして最後は主のために殉教したのだ。私達も 信仰が試される。主のゆえの拒絶や信仰ゆえに 苦しみがある。主に明け渡して行くことだ。 そうするなら、あなたは人々を力づけるために 用いられる者とされる。失敗で落胆するな。 様々な失敗から学べ。主がペテロにしたと同様 にあなたを用いて、人々を力づけられる。
2001年08月02日(木) 「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する子を懲らしめ、受け入れられる全ての子にむちを加えられるからである」(ヘブル12:5)
「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する子を懲らしめ、受け入れられる全ての子にむちを加えられるからである」(ヘブル12:5)
聖書は、試練は誰にでも与えられる。それは神が 愛しておられるゆえに、しかし試練の時の態度が大 切だと言っている。態度で試練が益にもなり、害に もなる。それを決定するのは私達自信だ。 有名な作家、マーク・トウェインは、弟を若くして 事故で失い、一歳の息子を病気で失い二人の娘も二 十代でどちらも病で亡くなった。彼は悲しみの中に いたが、神に心を向けず、心閉ざしとげとげしい暗 い人になって行った。彼の生涯は絶望と孤独と悲惨 だった。不幸せだった。しかし、彼は神なしの人生 を自分で選んだのだ。財産と地位、名声は彼に何も 与えはしなかった。私達はどうか。苦しみや悲しみ に会った時、神も人も遮断し、自己憐憫の殻に閉じ こもる事もできる。しかし、神は神に向かって心開 き、金のように聖められていく事をみこころとされ ている。
2001年08月01日(水) 「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要な時、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい」(エペソ4:29)
「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要な時、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい」(エペソ4:29)
あなたの周囲の人々の言葉は信用 出来るか。もし信用出来るなら、 それは幸せな事だ。あなたはどう か。あなたは正直か。曖昧な事柄 真実では決してない、灰色の嘘を 巧く語る事はないか。自らの心も 欺こうとするが、それは明確な嘘 だ。古代クレテ人は「昔からの嘘 つき」と言われていた。嘘をつく 道具は「舌」だ。小さな器官だが 大きな力がある。対人関係を壊し 長年の友情を破壊し、人の心を深 く傷つける。一方では、絶望した 人に生きる力と希望を与え、落胆 した人を励まし、傷ついた人を癒 す事も出来る。この小さな器官を 出来る限り知恵を持って使えと、 勧めている。最高に用いるために は、まず聖霊にあなたの舌を委ね る事だ。聖霊に支配され、神のみ こころ通りに用いて頂く事だ。そ うするなら、あなたの舌は周囲を 生かし、建て上げて行く。