2025年11月08日(土)

「わたしの枝で・・実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶ ために、刈り込みをなさいます」ヨハネ15:2



信仰生活で悩みや問題が起きる。その時、どう捉えたら良
いだろう。ある人は、職場に嫌な相手がいた。嫌でたまらず、
職場を移った。しかしそこにも、どうしても嫌な相手がいて、
又、職場をかえた。すると何とそこにもいた。ついに、もしや
これは主の取り扱い?と見方が変えられた。主は時に、苦
手な相手を前に置かれる。又、対応が困難な状況に置か
れる。
嫌な相手と状況を変えて欲しい。祈るのだが、相手も、状況
も何も変わらず、逆に悪くなって行くばかりだ。疲れ果てて主
のもとへ行く時に、自分への取り扱いだと悟る。その時、主
に焦点が合うので、主が教えられたい事が見えて来る。主が
備えた相手だと、受け取り直して行ける。自分を砕くため、足
りない所を与えるため、プライド、虚栄心、罪・・様々示される。

悔い改めが与えられ、気づかされ、教えられ、そして平安
にされる。自我は強く、自分の思いを通したい。その時、
主は、思い通りにならない事柄を、目の前に置いて、教え
られる。自我に気づかされる。「主はその愛する者を懲ら
しめ」とあり、懲らしめは主の愛だ。

そして、もっと実を結ぶために、刈り込みをされる。刈り込
みは、はさみで切られるので、痛い、血が流れる。しかし
間に合う器へと、キリストの似姿へと、砕き、訓練し、練り、
聖めて下さる。今、目の前が、思い通りにならないなら、主
のみ思いを尋ね求めよう。必ず成長へと導いて下さる。

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目の前の状況と、相手しか見えていない時、苦しいばかり
だ。目の前の状況も、自分も、何も変わらない。主に焦点
を合わせる時、自我に気づかせられる。それを認めて行く
時、変えられて行く。