2025年07月01日(火)

「信仰の試練は、火を通して精練されつつなお朽ちて行く金よりも 尊く、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至る こと・・」Tペテロ 1:7



人生には、順境があり、逆境がある。そしてそのどちらも主がなさ
ることだ。しかし、この世の価値観は、順境だけが欲しい。家内安
全、商売繁盛、無病息災、五穀豊穣、受験は合格・・、順境が善で、
逆境が悪との思いが無いだろうか。しかし、逆境も主のなさること
であり、主から来ている。順境は祝福されていて、逆境は祝福され
ていないとの思いが無いだろうか。

受験合格は祝福で、不合格は祝福されていないと。心寂しくなり、
愛されていないのではと。しかしそうではない。逆境の時こそ、む
しろ沢山の霊的学びを得て、成長へと導かれる。愛されている。順
境も逆境も、神のなさることであれば、無意味なものは一つも無い。
逆境に意味があり、目的がある。そして、「それは後の事をわから
せないため」とあり、主は、後の事を伏せておられる。

いついつ病気になる、経済的困窮が来る等、先の事は告げられない
。私たちに、将来の事はいっさい見えず、わからない。それは主に
信頼させるためだ。一足一足、信頼を学ばせられるためだ。先の事
が見えたなら、信仰は必要ない。見えない中で、主を信頼する事が
信仰だ。

逆境の時には、早く解決したい、悩みから逃れたい思いで一杯にな
る。その背後にある主のみ思いに、なかなか思いが至らない。しか
し今、逆境にあれば、主がなさっている事であり、主のみ思いに思
いを向け、教えて下さっている事を悟れるよう、祈ろう。
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主が順境もつくり、逆境もつくられる。主を中心に見る時、闇もま
た光になる。送られてくるものは全て主からと信仰で見ていたい。
必ず、意味があり恵みだ。主を信じていよう。