2025年11月18日(火)

「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これ らすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」 ローマ8:37


私たちが試練に会う時、どうだろう。目の前の問題をすぐに解決し
たい、苦しみがすぐに無くなって欲しい、その一心となる。こうし
て、ああして欲しいと、自分の様々な思いがあり、そのように祈る。
願いを主に持って行くのは良いが、しかし目の前に来る問題は、一
つ一つに主の目的と意図がある。「行く所どこにおいても主を認め
よ」と。

そのため目の前の問題を通して、主ご自身を更に知れるよう、そし
て教ようとされている事を悟れるよう祈ろう。主の愛を知る時に、
どんなに苦しい中も、乗り越えて行ける。ある人は、対人関係の悩
みで、主を知れたと証しした。問題は主から来ていて、自分への取
り扱いだと、模範的クリスチャンのように言いながらも、心では怒
りでいっぱいで、受け入れられずに反抗している自分。自分は正し
いと思っている。

そのため心では相手を責めて、裁いている。そして言い訳し、自己
正当化し、相手のせいにし、自己義に立つ自分。しかしそれらに自
分では全く気づかなかった。だが祈り続ける中で、御霊により本当
の姿を見せられた。何と罪深い自分。その時、主の「彼らは何をし
ているのかわからないのですから」との言葉が、実感を持って迫り、
涙があふれ、主の赦しの大きな愛に触れた。

主の十字架の意味が、頭でなく御霊により迫った。一つ一つの目の
前の悩み、問題、苦しみは、主の愛を新たに知れる機会だ。今、目
の前に悩みがあるなら、その事を通して、主を愛を新たに知れるよ
う祈ろう。
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問題が来ると、落胆するしその原因を探り、ますます落ち込む。で
も全ては主から来ていると主を仰ごう。愛してくださっている主が、
何を教えようとされているのだろう。全てを感謝し、益とされる事
を信じていよう。