2024年12月22日(日)

「まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼 している」詩篇 33:21



神学校を卒業したある若い働き人が、地方に開拓宣教に出た。
田舎の非常に固い地であり、宣教は困難を極め、なかなか人は
来ない。チラシを配っても〃人は来なかった。又、人が来ても、
続かなかった。頭では、田舎伝道は大変だと聞いていたし、理解
していたつもりだが、実際に経験し、もう心が折れそうだった。

そんな中、働きの成果が出たら喜び、出なければ、がっかりした。
人が来れば喜び、来なければ、落胆し、ひどく落ち込む。そん
な歳月を経て、ある時、気づかされた。目に見える成果で一喜一憂、
アップダウンし、自分は絶えず気持ちが不安定この上ない。それ
なら、常に成果を見つめ、成果を喜びとしているのであり、主を
喜びとしているのでは無いと。

見ているのは成果であって、主ではない。だからひどく落ち込んで
しまう。そうでなく、与え主を絶えず仰いで、どんな時にも、主を喜
んで行くなら、どのような状況の中でも、結果がどうであれ、喜び
がある事を教えられた。主が与えて下さったものを、祝福を、喜ぶ
のでなく、与え主である主ご自身を喜んで行くからだ。

そして主を喜んで行くなら、もし自分の思い通りに事が運ばない
としても、そこに不満は無い。主を喜び、信じているからだ。主の
ご計画がある事を信じ、主のしようとしておられる事がある事を
信じ、万事が益になる事を信じて行く。そんな中で、主は信仰を
鍛え、更に信仰を強めて行って下さる。今、見ているのは主だろ
うか、それとも主の与えて下さるものだろうか。

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主が与えて下さるものは嬉しい。しかしそこに軸を置くと、与えら
れなければ、落ち込み、祝福されていないのではと、さみしくなる。
軸を、決して変わる事のない主ご自身に置けるよう、祈ろう。すべ
ての道で、主を認めて行けるよう祈ろう。