2026年09月28日(月)

「イエスは言われた。「人にはできないことが、神には できるのです」ルカ18:27



金持ちの青年が、永遠のいのちを受けるには「何をした
らよいか」と主のもとに来た。主は「尊い方は、神おひ
とりだけ」と答えられた。主が、人が何かを行なう問題
でなく、神の問題だと言われたが、彼は、行なう思いに
満ちていた。主はこの間違いを教えようと、律法を持ち
出された。

律法は、自分の力で律法を守れないこと、良い事ができ
ないことを、教えるためにある。律法がいのちを与える
事ができるなら、義は良い行ないによった。だが、すべ
ての人が罪の下に閉じ込められ、義が、善行でなく、キ
リストに対する信仰による事とされた。

彼に自分では、良い行ないができない事を教えようとさ
れた。「姦淫してはならない、殺してはならない・・父と
母を敬え」と。すると彼は「みな守っている」と答えた。
だが、守れるはずがない。その彼に、主は「あなたに一
つ欠けたものがある。持ち物を全部売り払い、貧しい人
々に分けてやりなさい」と。

もし律法を守っているなら、「あなたの隣人を愛せよ」
とあり、すでに貧しい人に施していたはずだ。「みな守
っている」と言ったが、自分の力では、決して守れない
事を、主は認識させたかった。だからこそ「尊い方」が
おられる事を。しかし、彼は。主に拠り頼むことをせず、
主のもとを去ってしまった。

私たちも、財産=自分の力、自力の行ないだが、自分を
捨てられないだろうか。どこまでも根深い自我に、自分
では不可能だ。しかし主には可能だ。主のもとを去るの
でなく、主のもとへ行き、主に助けを求め、取り扱って
いただこう。
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自分を支えているのが、自分の正しさなら、それが主を
知り頼ることを妨げてしまう。日々、主に愛され、主に
助けを求められる幸せを覚えて、離れずにいたい。