2025年12月03日(水)

「ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫って、サウルの息子 ・・を打ち殺した・・こうしてサウルは死に、彼の三人の息子も、彼の 全家も、共に死んだ」T歴代10:2



サウル王は、ペリシテとの戦いで、主に逆らった不信の罪のために
死んだ、と記されている。が、それ以前に主に従う事をしていなか
った。アマレクとの戦いで「すべてのものを聖絶せよ」との命令に
対し、最も良いものを惜しみ、どうでもよいものだけを聖絶した。

主の言葉に従わず、主を退けたので、主もまた、サウルを王位から
退けられた。サウルは罪により、主との関係が絶たれてしまった。
その時に、サウルは「罪を犯しました、しかし、私の面目を立てて
下さい」と願った。これは罪の悔い改めではない。サウルにとり、
何より重要なのは、体面だった。自分の面目を守ることしか、頭に
無かった。

私たちも、罪によって、人前で面目を失う事が恐いだろうか。人は
関係なく、罪とは、神と自分の間のことだ。サウルはペリシテとの
戦いで、主に伺ったが、主はいっさい答えられなかった。それで霊
媒へと向かった。まず主との関係が大切で、その関係が修復されず、
悔い改めが無いのに、伺いを立てても、答えが無いのは当然だ。

主との関係が、損なわれているのに、自分本位に願ってもどうにも
ならない。「主に尋ねなかった」と言われ、つまり尋ねた事になら
なかった。ダビデは姦淫、殺人の罪を犯したが、真実に御前に悔い
改め、完全に赦された。サウルに悔い改めは無かった。悔い改めに
より、神との間は完全に回復される。今、あなたと、神との関係は
どうだろう
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御声を退け、滅びに向かっていくサウルに学べる。主は、いつでも
悔い改める道を示してくださる。くり返し失敗する罪人であっても、
赦しがある。主の恵みと導きを常に覚えて、主に応えていきたい。