2025年10月21日(火)

「あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを 信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現しま す」ルカ1:20


夫のザカリヤは祭司で、妻エリサベツもアロンの家系で、共に神に
従う人たちであった。しかし夫妻には、大きな悩みがあった。エリ
サベツは不妊で、夫婦共に老齢だった。長い間、祈りに祈って来た
事だろう。そんな時、突然、主の使いが現われ「あなたの願いが聞
かれた」と告げる。妻に、男児が与えられ、その子は、イスラエル
の人々を神に返らせ、メシヤのために道を備えると。

何と驚くべき事だろう。待ちに待った大きな喜びだ。自分たちに子
どもが与えられ、且つ、長く待ち望んだメシヤが来られると。だが、
ザカリヤは信じる事ができない。状況を見るなら不可能であり、何
によって信じれるのかと証拠を求めた。すると、彼は口がきけなく
なった。私たちも、神の言葉と状況が相反する時に、信じられない
だろうか。

だが奇跡は、常に「不可能」の土壌で起きる。不可能でなくてはな
らない。だからこその奇跡だ。主はザカリヤをおしにされた。彼は
その期間、主を見上げ、主と交わり、語られた御言葉を思い、考え、
握りしめた事だろう。不信仰が信仰へと変えられて行き、男子誕生
の時には、主の示し通り「ヨハネ」と名付けるように伝えた。その
途端に「彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるように」なった。

主に従ったゆえだった。そして彼は「神をほめたたえた」。主がザ
カリヤを助け、彼の上にもみわざをされた。「主によって語られた
ことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう」。
主は、自らの不信仰を認め、主に求める者を必ず導かれる。信仰を
与えて下さり、不信仰を信仰へと導いて下さる。
--------------
とても信じられない、何によって信じられるのかと、まず正直な思
いを主に問いたい。不信仰のままでもいつも主の近くにいよう。与
えられた御言葉に立って、主のお答えを悟れるように祈ろう。