2025年11月25日(火)

「恐れてはいけません・・まず、私のためにそれで小さなパン菓子を 作り、私のところに持って来なさい・・そのかめの粉は尽きず、その つぼの油はなくならない」T列王17:13




ケリテ川で、主は烏を用いエリヤを養われた。烏は忌み嫌われてい
たし、烏は食物など運ばない。自分が食べてしまう。主の奇跡だ。
次に、ツァレファテの貧しいやもめを用いられた。彼女は餓死寸前
で、その最後の一握りの粉と僅かな油を用いられた。エリヤが「ま
ず、私のために小さなパン菓子を作り、私に」と言った。

彼女は主の言葉を信じて、まず自分たちでなく、エリヤに持って行
った。大変な決断だったろう。すると、粉と油は尽きる事なく、き
きんの間中、豊かに満たされた。五千人の給食で、少年は五つのパ
ンと二匹の魚を、主のもとに携えた。小さなお弁当だった。お腹が
すいて自分が食べたかったろう。だが彼は主にお献げした。

主はその献げ物を用いられ、女性と子ども、共に一万人以上の人々
が満腹した。少年が食していれば、自分が満腹して、それで終わっ
た。しかし主に献げた時、大勢の人々の祝福のために用いられた。
そして主の栄光を拝する事となった。八十歳の老齢のモーセも、主
がお入り用と召し出された。

「あなたの手にあるそれは何か」と問われ「杖です」と答えた。主
は、モーセの羊飼いの杖を、神の杖として、民の出エジプトのため
に用いられた。どうだろう。有能で、力があるから主のお役に立ち、
用いられると思いがちだが、そうではない。貧しく、小さく、弱く、
無力な者こそを用いられる。力は自分からではなく、主から来る。
主からの示しがあれば、導きに従い、お献げしよう。
--------------
無力な者こそ用いられる。何という励ましだろう。僅かなものと尻
込みせず、まず献げたいとの思いを祈ってみよう。主が力と知恵を
くださる。何も恐れず献げたい。