2025年11月28日(金)

「この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たち と同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛 抱したのです」マタイ20:12



ぶどう園の労務者の箇所だ。主人は、朝6時から3時間おきに労務
者を雇った。夕5時に雇った人々は1時間で、もう片付けに入る時
刻だ。しかし主人は労働時間に関係無く、皆に1デナリを払った。
早朝の人は1デナリの契約で、以降は「相当のもの」で明確な契約
は無かった。主人は不当な事は一切していない。

だが早朝の者は、気前が良いなら、多く働いて自分達は、もっとく
れても、との不満だ。主人の心は、「あわれみ」だ。あわれみで一
杯だった。早朝の人は、1日希望と平安で働けた。確実に1デナリ
が入る。家族に糧を持って帰れて喜ぶ顔が浮かぶ。だが5時の人は
どんなに不安と恐れの1日だったろう。家族に持ち帰る糧が無い。

妻はどんなに落胆するだろう。どうすれば良いのか。どんなに心重
かったろう。主人は、慈しみと憐れみで一杯だ。主人の憐れみが現
れた時、早朝の人々の妬みと怒りが露呈した。肉は恵みに反発する。
とんでも無い事だ。パリサイ人は律法を忠実に行なって来た。それ
が突然、信仰による救いが現れた時、ひどく反発し主を憎んだ。

自分が否定されるからだ。肉は、行ないで認められ、評価されたい。
そして肉を誇りたい。自分の力を捨てない。私たちも恵みにより救
われていながら、肉によって完成しようとしているだろうか。十字
架を否定する事になる。恵みの中にしっかりとどまろう。
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自分の現実を見ないで、簡単に自分を早朝の者とみなす傲慢さを示
される。主の救いの働きによって今の自分がいる。主のあわれみは、
尽きない。この恵みをますます深く受けとめたい。