2025年12月10日(水)

「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を 受ける道です」Tテモテ6:6



バプテスマのヨハネの弟子たちは、今まで師であるヨハネに寄せられ
た、皆の関心と人気が、主イエスに向かう事をひどく妬んだ。我が師
びいきのゆえだ。しかし、ヨハネはそうでは無かった。「人は天から
与えられるのでなければ、何も受けることはできない」と、全主権
が、主にあることを認め、受け入れていた。主が与えて下さるもの
を、受けるばかりだ。

別の人に、人気と関心が集まるなら、それも主のなさる事であり、自
分がどうこう言う事ではない。ヨハネは、自分に与えられた場所、地
位、能力、使命をわきまえ、すべてにおいて満足していた。「満ち足
りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です」。私たちはどう
だろう。誰かが成功すれば、ほめられれば、心穏やかでは無いだろう
か。

ある人はシーソーだと言った。誰かがほめられると、自分がけなされ
るように感じる。自分が上がると、人が下がり、優越感を感じる。ど
こまでも人が基準だ。「満ち足りる心を伴う敬虔」、これは御霊から
来るものだ。肉の内には無い。主を知る以前は、自分を量る手段が、
目に見える他者しか無い。必然的に、人との差異で自分を量って生き
て来た。

そのため他者との比較が、新生後も、根深く培われている。御霊はそ
のつど気づかせて下さる。「わたしの目には、あなたは高価で尊
い」、自分の賜物があり、使命がある。主の視点と価値観に立つ時、
見方が変わる。御霊に導かれ、不満が感謝と平安に変えられて行く。
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主と自分との関係を見ていれば、備えられている恵みに感謝して歩め
るのに、周囲を見てしまう。心が穏やかでいられない時には、気づき
たい。主のご愛と主の御約束を覚えていよう。