2026年06月27日(土)

「主は再びシロで現われた。主のことばによって、主が ご自身をシロでサムエルに現わされたからである」 Tサムエル3:21



少年サムエルは、エリのもとで養育されていた。ある
時、突然、主からの御声が臨んだ。エリに指示され
「主よ。お話しください。しもべは聞いております」と答
えた。すると、その一番初めの主からのメッセージは、
エリの家への裁きであった。「彼の家を永遠にさばく。
自分の息子たちが呪いを招くような事をしていながら
戒めなかった罪による」と。

自分の師であるエリに伝えるには、極めて厳しい辛
く痛い言葉であった。サムエルは、エリに語ることを
恐れたが、主の言葉をそのまま伝えた。預言者とは、
神から受けた言葉を、忠実にそのまま民に語る人の
ことだ。どんなに痛い言葉であろうと、そのまま語ら
ねばならない。これから預言者として立てられるサム
エルへの、最初のテストであったかも知れない。

私たちも「しもべは聞いております」、喜んで聞きます
と主に向かいつつ、しかし、自らの罪を指し示され、
自らの姿を照らし出される痛い言葉、自分の願いと
全く異なる受け入れ難い言葉、矯正の厳しい言葉は
聞きたくないだろうか。耳をふさいでしまうだろうか。
痛く辛い言葉こそが、恵みの言葉だ。

そこで自分が変えられ成長して行ける。主から語り
続けて頂くためには、痛い言葉にこそ耳を傾けよう。
「愛している、すべての必要を与える、願いを聞く」
等の言葉が「恵まれた」と思っていないだろうか。主
は、私たちをきよめ、成長させようとして下さっている。

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痛いみことば、聞きたくないみことばが触れる時、
うすうす気づいている。痛いので、向き合いたくない
が、祈りをもって向き合おう。そこから豊かな祝福へ
と展開して行き、自分が造り変えられて行く。