2025年12月06日(土)

「・・どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさば く王を立ててください」Tサムエル8:5


サムエルがいた時代に、イスラエルは王を求めた。他の国
々に王がいるように、自分たちも王が欲しいと。しかしイス
ラエルの王は「主」だ。主ご自身だ。イスラエルの民の望み
は、主を退けて、主以外に、王を求めたいとの行為だ。主を
捨てるなら、必然的に、「めいめいが自分の目に正しいと見
えること」を行なう事になる。

つまり「正しいと見えること」とあり、正しい事だが「自分の目
に」が重大な問題だ。主の目にでなく、自分が王になる。自
分が基準でルールになる。主の御心から離れた生き方にな
る。イスラエルの歴史はずっとそうだった。主を捨てて、偶像
に仕えては、敵の攻撃に苦しみ、主に叫び求めて、救い出さ
れる。

そして主に立ち返るや、又、すぐに偶像に仕える、その繰り
返しだ。私たちはどうだろう。自分の目に正しい、と見える事
に歩んでいないだろうか。主の言葉に聞かず、御言葉と祈
りにより判断するのでなく、自分の思いで判断するだろうか。
又、御言葉に目を留めはするが、自分に都合の良い御言葉、
心地良い御言葉だけを選んでいないか。

それこそ、自分の目に正しいと見えることだ。痛い御言葉こ
そが自分を変え、建て上げてくれる、自分に必要な御言葉
だ。今、目の前に問題があるなら、自分の思い、つまり自
分の目に正しいと見えることがあるが、御言葉に=主の目
に正しいことに、従ってみよう。豊かな祝福にあずかって行く。

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肉は、自分の目に正しいと見えるから、やっかいだ。自分
の思いを進め、これが最善の道と思えてしまう。人の目に
はまっすぐに見える道が、その終わりは死の道だと。主を
仰ぎ、御言葉に聞こう。真実の道に導かれる。