2025年12月12日(金)

「ねたみや敵対心のあるところには、秩序の乱れや、あらゆる 邪悪な行ないがあるからです」ヤコブ3:16




他の箇所では、憤りは残忍で、怒りは沸とうする。しかし妬みは、
誰も、どうにも出来ないものだと言っている。妬みは、激烈な破壊
力を持つものだ。そして、それは誰の内にもあり、又、自分の内に
あるのに、気づかない難儀なものだ。カインは献げ物の事で、激し
い妬みが弟アベルに向かい、弟を殺害した。

ヨセフは父親の偏愛により、兄たちのひどい妬みを買い、兄たちに
より隊商に売られた。サウルは、女たちから大きな賞賛を受けるダ
ビデを妬み、憎しみは狂気へと高じて行く。兄息子は、放蕩三昧を
したあげく、父から愛で迎え入れられる弟を妬み、激しい怒りで震
えた。主は、祭司長たちに妬まれ、妬みのゆえに引き渡された。

ぶどう園の早朝の労働者も、5時の労働者を妬んだ。「あらゆる労
苦と仕事の成功は、人間同士の妬みによる」とある。妬みは強烈な
エネルギーとなり、妬みが動機で、様々な分野に成功を収めさせる。
しかしそれは非常に虚しいと。私たち自身の、あれこれの動機に
「妬み」は、なかっただろうか。密かな競争心、張り合いが、見え
隠れするだろうか。

その「妬み」はどこから来るのか。よく探り、主に取り去って頂く
よう祈ろう。祈りは答えられる。祈り求めるなら、主は取り扱い、
解決して下さる。主を見上げる時、主の溢れる愛と慈しみ、賜物が、
紛れもなく自分に、注がれている事に目が開かれる。御霊によって、
妬みから解き放たれて行く。
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相手に非がなく、正しく優れている事で湧いてくる妬みは、なんと
邪悪な罪だろう。その妬みが簡単に内に湧いてくる事を認めていた
い。上からの賜物に感謝し、光の方へ向かおう。