2025年11月26日(水)

「『あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は主の名を呼ぼう。 そのとき、火をもって答える神、その方が神である。』民はみな 答えて、『それが良い。』と言った」T列王18:24



エリヤはアハブに、カルメル山に、全イスラエルと、450人のバア
ル預言者と400人のアシェラ預言者とを集めるようにと言った。ア
ハブは集めた。ここに3種類の人々がいた。@真の神に従うエリ
ヤA450人のバアル預言者と400人のアシェラ預言者B一般のイス
ラエルの群衆だった。そしてエリヤはこのBの人々に向かって叫
んだ。「いつまでどっちつかずによろめいているのか。

もし主が神であれば、それに従え。もしバアルが神であると思う
なら、それならそれに従え」と。フラフラし、その場〃で、ころ
ころ変わり、カメレオンのように自分の利得と都合に合わせてな
びく。イスラエルは、元々神の選びの民として、先祖アブラハム、
イサク、ヤコブの神であるヤーウェを知っていた。だが同時に、
アハブに従い、バアルやアシェラへの偶像礼拝も、実際行なって
いた。

そのつど、都合良く態度を変えた。「冷たくも、熱くもない。む
しろ、冷たいか、熱いかであって欲しい。なまぬるく、口からあ
なたを吐き出そう」と言われた人々だった。ヤーウェを拝み、バ
アルも拝む、このご都合主義により、イスラエルに偶像礼拝が大
きくはびこり、国家を堕落させ、滅びへと向かわせてしまった。

形は主が神だが、主には従わず、肉は自分の利得、欲望、都合と、
自分が中心だ。まず、どっちつかずである事を認め、助けを求め
る時、主は祈りに答え、従う者へと内側から造り変えて下さる。
主の愛を知り、主ご自身を知る幸せは、御霊の下さる喜びや平安
は、何にも代えられない。
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問題が起こると、主に祈りながらも、あれこれと思案し不安にな
る。平安がすぐに失せてしまうどっちつかずの者だ。不信仰を悔
い改め、全てのことに主を認めたい。信じる祈りをお献げしたい。