2009年03月31日(火)

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません」ヘブル11:6


ある人が、極めて厳しい経済状態にあった。多額の必要の上に請求書があり、祈りに祈るが、支払い日はどんどん迫って来る。しかし、与えられない。

尚も、祈り続けるが、与えられる気配はなく、恐れと不安が募る。いよいよもって与えられず、不安で一杯になり、主の働きは中断して、世の仕事に出ようかと考えた。

悶々のタイムリミットギリギリの時に、知り合いから電話が入った。祈りの中で、主から示されたので、献げものを振り込んだとの連絡だった。

その額が、何と必要額ほんの少し多い目で、満たされたのだ。もう大喜びで、飛び上がり、全身が喜びに満たされた。その時、ふっと御霊の語りかけが来た。

「どうして喜んでいるのか」「知人が振り込んでくれましたから」「なぜ振り込んだとわかるのか」「知人がそう言いましたから」「なぜ確かだとわかるのか」「彼は信用できますから」

「では、わたしが、何度も、『あなたの祈りを聞いた、何も思い煩うな、恐れるな、栄光の富をもってすべての必要を満たすと』と言った言葉はどうなのか」。

その時、知人の言葉は信じても、神の言葉を信じない不信仰を示された。私たちはどうだろう。誰に頼り、誰の言葉に聞いているのだろう。
不信仰を悔い改め、目に見えない神に、信仰をお献げして行こう。
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目に見えるものだけに呼応しアップダウンを繰り返す。それなら世の人と同じだ。それが人間の悲しい限界でも、私達には信仰がある。常に支え守って下さっている神様に信仰をもって近づこう。