2009年04月30日(木)

「主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる」詩編6:9 

 

ダビデは、サウル王に妬まれ、命をつけ狙われる。女たちの「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」の言葉に、サウルは怒りと嫉妬の炎が燃え上がった。

それ以来、ダビデは逃げ回る事になる。サウル王から殺されかけ、勿論敵からも命を狙われ、息子の謀反により、息子からも狙われる。
ダビデ自身が病にも陥り、もう状況は周囲からは攻撃受け、自分自身も弱り、絶体絶命の窮地だ。

非常なる悩みと苦しみの中にいた。ダビデこそは神の心にかなった人だった。信仰もって人生を歩むなら、悩みが無くなるのではない。悩みや問題は必ず来る。
私達は苦しくてたまらず、とにかくその問題が無くなる事を願う。

状況が変わる事を願う。問題が問題なのだと思ってしまう。
しかし、そうではない。問題は、何ら問題ではない。苦しみの中でこそ、神が神であられる事を身をもって知って行く。

ダビデは「嘆きで疲れ果て、涙で夜ごとに寝床を漂わせ」と、泣いて泣いて嘆いた。
苦しみの中でこそ、神との深い交わりに入れられる。

「主よいつまでですか、あなたは」と、ありのままの気持ちを神にぶつけ、順境の時には決して経験出来ない恵みだ。
何とかしようともがき、走り回るのではなく、問題をすべて神に持ち出せ。

自分で当たると空回りだ。心を注ぎ出し、神に寄りかかるのだ。神との近い交わりを経験し、祈りは聞かれる。
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28日、29日は、スタッフ帰省等で県外へおりました。出先から配信の予定でしたが、出来ず、申し訳ありませんでした。