2009年07月31日(金) 「彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます」ヨハネ10:4
「彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます」ヨハネ10:4
「羊はその声を聞き分けます」とある。羊飼いの声を聞き分ける事ができると。羊飼いは愛する羊を、その名で呼んで連れ出すからだ。 羊は良い羊飼いの声を聞き分けてついて行くのであるが、しばしば惑わす違う声も聞こえて来る。羊飼いの声を妨げる様々な声だ。盗人、強盗や雇い人だ。良い羊飼い以外の声だ。 サタンの声、周囲の人の声、自分の欲望から湧き上がって来る、肉の声がある。 それらの声が時々混線し、間違えそうになる。 欲望の声は自分と一体になっているため、時に非常に紛らわしい。 御霊の声と肉の声がわからなくなる。 わからない時はまず自分の思い、自分の好みを明け渡す事だ。 それは「イエス」でも「ノー」でもOKですという事だ。自分の思い通りでなくても受け入れます、との態度だ。 そしてよく祈り、祈りを積むなら、必ず御霊の声、良き羊飼いの声がわかる。悪に誘惑する声なら、ストレートでわかりやすいが、悪ではなく、罪でもなく、一見合法的で、良い事に見えることに騙されやすい。 サタンは光の御使いに変装する。羊飼いに似せたサタンの声がある、良い考えに思えるが、御心をそれさせる人間的な意見がある。最善に見える欲望の声がある。 まず、白でも黒でも、右でも左でも従います、の態度が大切だ。 それさえあれば、必ず良い羊飼いの声がわかる。「羊は彼の声を知っている」ので「彼について行く」。 ------------------- 肉と、サタンの声がうるさ過ぎて、神様がさせたいと思っておられる事と自分がしたいことの区別がつかない。自分をまず脇に置いて聞いてみよう。今の思いは、右でも、左でもと言えるものだろうか。