2009年08月31日(月)

「そこで彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった」ヨハネ21:6



ペテロ達は、熟練した腕、持ち前のプロの勘を働かせて、夜の間中、何度も網を下ろした事だろう。しかし、雑魚一匹とれなかった。

これは自分の力、自分の思い、自分の知恵での漁であった。肉の力と思いを駆使して、動き回っていた。自分を信じ、自分に頼っている限り、神を信じる信仰はない。神に頼る事はできない。

頭の中に神はあっても、決して頼らない。熟練しているはずの、自分達の力の限界を思い知らされた。無力を味わい知った。挫折と敗北感に打ちのめされていた。
その時、「舟の右側に網をおろしなさい」との声が聞こえた。

言われた通りに右側に網をおろした。これが信仰への分岐点だった。
自分の思い、知恵では、プロの腕でもってしても、一匹もとれなかった。
今更、魚がいるはずがない。しかし、自分の思いに頼らずに、信仰によって歩む事が、「右側に網を下ろす」ことだ。

打ちのめされて、無力を味わい知った時に、はじめて自分に頼らず、神に頼る。
「信仰」によって歩む。自分を信じている限り、神に頼ることはできない。魚がいるはずのない所に、魚がいた。

網を引き上げる事ができないほどの大漁でそのまま舟を岸につけて、網を陸に引き上げた。「信仰」によって歩む世界は、神のみわざを見る世界だ。あなたも、今、右側に網を下ろせと語られているだろうか。  
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人にはできないことも、神様にはできる。自分の力や、感情に頼っているなら、今日出来ていることも明日は出来なくて落ち込むだろう。自分で頑張ってしまわず神様に頼ろう。