2009年09月30日(水)

「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」Uコリント12:9


劣等感や自己卑下にさいなまれる人は、「どうせ私なんて・・」と言いつつ、本当は、自分の欠点を認めているわけではない。その証拠に、他人から「そうですね。その通りですね」などと言われようものなら、激怒だ。「自分なんてダメで」といいながら、実は「自分は能力があるのに、自分を認めてくれない周囲が
悪い」と思っている。

その屈折が対人関係に、きしみを生じさせ周囲を退かせてしまう。人は欠点があるから不幸なのではない。欠点は誰にでもある。皆、欠点だらけだ。その欠点を認めないこと、認めずに、強がることが問題だ。絶対に弱みを人に見せたくない。

プライドだ。認めたくないので弱さを無視する。自分自身に向き合わない事で、ますます自分がしんどくなる。無視しても事実は何も変わらない。欲求不満と苦しみが増すばかりだ。まず、現実を認めることから始まる。自分の欠点を認めることが始まりだ。

アルコール依存症が治って行くのは、自分はアルコール依存症だと、正面から認めた人々だと言われている。無視したり、逃げたり、ごまかしていては何も始まらない。認めて、受け入れた時、解決へと導かれる。解き放たれて行き、そして、これまで決して見えなかった主の祝福が見えて来る。あなたはどうだろう。
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自分の弱さの中に、励まし慰め力強く導いて下さっている神様を見る。弱さを認めず自分の力で歩むなら、そこにどんな祝福があるのだろう。弱さは感謝だ。